マエストロ・ジュリオ修道士
―主に祝福された野の香り―
マエストロ・ジュリオ修道士の出生の地は、ヴィオラといって、その名の
とおり、すみれの花が群生する「野の香り」いっぱいの地です。
幼少期を、大自然の色あい、香り、実りなど、それぞれ豊かな地ですごしました。
四季折々の花が咲きみだれ、季節ごとの農作物、果実の実りを手にし、
それこそ、土に親しみ、土とともにあった生活でした。
六歳の時、母親が天国に招かれます。それを機に兄はサレジオ会の神学校、
姉は修道院、妹たちはさまざまところにひき取られ、しばらく父親と二人だけ、
農家に取り残されました。こうした家族の分散は、一抹の寂寥感を
ジュリオの心に残すことになりましたが、それでも、豊かな大地と自然は、
ポッカリ空いたジュリオの心を満たすのに充分だったようです。
やがて、幾星霜を重ねた春の日、神学生であった兄の勧めで、
ベッキにあった修道士志願院に入ります。ジュリオ、十四歳のときでした。
ベッキ、そこはドン・ボスコが大自然に親しみ、母マルゲリタから、
大自然を通して信仰心をはぐくまれた地でもあるあります。
一九三八年、ヴィラ・モリアにおいて修練期。修道生活の手ほどきを
うけるかたわら、風薫り、光こぼれる高原地いっぱいに広がる果樹園や畑
で作業に従事します。この頃、日本からチマッティ神父が修練院を訪れ、
日本で働く修道士を懇願します。ジュリオは、そこに神の照らしと導きを感じとり、
チマッティ神父に従っていく望みを表明しました。
初誓願後、来日。ベッキの志願院時代からの修友、ロメツリさんも同じ志をもって、
日本に向かうことになります。その同じ船上に、ペトラッコ神学生、
アチェルビ神学生たちがいました。
チマッティ神父、ボビオ神父たちの歓迎を受けたあと、武蔵野の自然と雑木林が
点在する練馬の修学院で、数ヵ月、日本語を学びます。やがて、日向の地、
宮崎にあった小神学校に赴任することになりました。
天孫降臨の地に足を踏みしめて農作業にいそしみ、炊事場に立って大釜でスープを煮、
飯を炊き、大勢の小神学生の生活を支えます。
時、すでに戦時色が濃厚になっており、やがて戦局も最高潮に達した
一九四五年七月下旬、九州に在住する宣教師、外国人たちは、熊本県栃の木温泉に
強制収容されました。特高の監視下、生活の規則は厳しかったが、それでも
阿蘇山のふもと、雄大な自然は、自然そのまま、何ら変わることなく、
収容された人たちの日々を包みこんでくれました。
そして、終戦。帰るメドも立たず、しばらくそこで残留することなり、
一九四五年九月二日、フィグラ神父、マレガ神父たちが見守る中、ブラジオン神父の
もとで、ロメツリ修道士とともに終生誓願を宣立します。
立願後、時を見計らって宮崎に戻り、焦土と化した土地を前にして、
復興へと立ち上がりました。
十一年ぶりの帰郷で、子供の頃と何ら変わらないヴィオラの土地と大自然を
目と肌にやきつけ、活力を取り戻し、再来日します。
一九五二年、東京サレジオ学園が新しい任地となります。ここで三十六年にわたり、
戦災孤児とともに生活し、戦災孤児のためにつくす生涯の充実した時期を
すごすことになりました。当時は、まだ広々とした畑があり、果樹が植えられ、
マエストロ修道士にとって、土に親しみ、大地に根を張った修道者として、
生きがいと、居場所を全身で感じることのできる年月でした。
この頃、マエストロ修道士に出会った子どもたち、修道女たち、協働者たちは、
郷愁にも似た懐かしさをそれぞれの中に刻みこみ、生涯の歩みの力と励ましを
今だに胸に抱いています。
晩年の主な任地は、調布のサレジオ神学院でした。生涯、大自然のもと、土とともに
すごしてきたマエストロ修道士の生活は、すっかり自然の営みのそれと同一化して、
自然のリズムと息づかい、そのままでありました。そこでも、庭の樹木の手入れ、
花の栽培、ルルドの造成、路傍の整備、そして、神学生たちの作業指導など、
春夏秋冬、晴れの日も曇りの日も、雨風の日も、かわることなく、自分の任務を
果たしつづけるのでした。
二○○○年、梅雨月、頭頂部の腫瘍手術を機に入院しますが、やがて、
クローン病の発病により、治療と療養の生活を余儀なくされました。
この間、三年以上ものあいだ、マエストロ修道士にとって、土を踏みしめる
ことのできなかった唯一の期間で、その心の痛みを他の推し測る
ことはできないでしょう。
二〇〇三年初秋、ガンが判明し、日を追うごとに大腸、肺が冒され、
みるみる衰弱していった。師走に入るや、傍目にも悲愴なくらい激痛に襲われる日々が
つづいてきます。まるで大自然の光が全く届かない暗闇のトンネルに
閉じ込められたようで、あの、おだやかで落ち着いたマエストロ修道士を
襲った乱調の時間でした。彼にとって浄化の日々であったのでありましょう。
主のご降誕を、陣痛の苦しみの中にある胎児として迎えたのち、
十二月二十七日未明、トンネルの先にかすかに見えた出口に向かって、突進し、
一気に大自然と神の光へと駆け抜けていったのです。天国における新しい生命の
誕生でした。
生前、マエストロ・ジュリオ修道士の内に、そしてその周辺に漂っていた、
あの独特の時間の流れは一体、何だったのだろうか。おだやかで落ち着いた、
あの空気は一体、何だったのだろうか。マエストロ修道士と出会った人たち誰もが、
彼の内から流れる時間と空気によって、彼と同じような、おだやかで落ち着いた
自分自身を取り戻し、時には慰められ、時には励まされ、時には希望を
見出していく……
それはきっと、マエストロ修道士の中に沁みこんだ大自然の営みのリズムであり、
大自然の息づかいではなかったろうか。生涯、土と親しみ、土と共にあった
彼のうちには大自然そのものが息づいていたように思う。そして、その大自然とは、
創造主であった神そのものであったと言えないだろうか。創造主のリズムが、
創造主の息づかいが、創造主の心がマエストロ・ジュリオ修道士の内に
受肉していたように思える。
マエストロ修道士は多くを語る人ではなかった。まして、説教することも、
特別、顕著な活動をしたわけでもなかった。しかし彼は、その存在をもって創造主
なる神をあかしした、みごとな宣教師であったと言えよう。
「ああ、わたしの子の香りは
主が祝福された野の香りのようだ」(創世記27・27)
藤川 長喜 「Venite et Videte」二号より
カテゴリー: Uncategorized
0件のコメント