サレジオ会来日100周年記念サイト

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日本管区の歴史

1925サレジオ会海外宣教活動50周年を記念する宣教師団派遣計画により、チマッティ師を団長とする9名が日本に派遣される。 12月29日、ドイツ船籍フルダ号にてジェノヴァ港出港。  
19262月8日、門司港到着。サレジオ会中国管区所属。 2月16日、目的地の宮崎へ到着。  
1927宮崎、大分、中津の三つの教会を正式に担当することになる。 6月30日、副総長リカルドーネ神父視察。 8月1日、日本のサレジオ会が中国管区から分離、準管区となる。  
1928宮崎、大分両県が福岡教区から分離、「独立宣教地区」となり、サレジオ会に委託される。チマッティ師は教区長となる。 5月24日、月刊誌『ドン・ボスコ』発行。  
19293月、ドン・ボスコの列福式と総会参列のためチマッティ師、イタリアへ帰国。 6月、宮崎県田野教会落成。 12月14日、6名の扶助者聖母会員(現サレジアン・シスターズ)が宣教女として来日。  
19301月29日、チマッティ師と共に8名の哲学生が来日。 宮崎の大淀で神学校(哲学院)が始まる。11月、高鍋に移転。 4月、邦人司祭養成を目指し、中津教会に小神学校開設。 大分教会内に出版事業部(ドン・ボスコ社)が始まる。  
19314月、大分で印刷訓練校が始まる。 6月、宮崎の「明星幼稚園」落成。 12月、別府教会が始まる。  
193212月に「宮崎救護院」(現「カリタスの園」)を開設し、老人と児童の世話を始める。  
19331月、サレジオ会が東京にて三河島教会を担当する。 1月、都城教会が始まる。 8月、6人の神学生が神学の勉強のために香港へ出発。 11月、中津小神学校を宮崎に移転。同じく高鍋神学校も宮崎へ移転。 12月、「中津養成院」(現「聖ヨゼフ寮」)開設。  
19344月1日、ドン・ボスコ列聖。 東京練馬区に「帝都育英工芸学校」(現「サレジオ工業高等専門学校」)が開設。ドン・ボスコ社も同地に移転。 三河島に「ドン・ボスコ保育園」開園。  
1935宮崎宣教地区が「知牧区」に昇格、チマッティ師初代教区長に就任。 神学校が宮崎から練馬に移転。同地で最初の修練院開始。  
193611月、日本サレジオ会初司祭叙階式(ベルナルデェイ師、ブラジオン師、タシナリ師)。 12月、邦人会員初の誓願式(秋元、西村両神学生)。  
19378月15日、宮崎カリタス修道女会(現イエスのカリタス修道女会)誕生。 12月20日、サレジオ会日本管区誕生。初代管区長がチマッティ師。  
19383月29日、最初の管区会議。 総会議参加のためにチマッティ師一時イタリア帰国。 11月20日、マリア・ドミニカ・マザレロ列福。  
19391月31日、カリタス会員2名の最初の誓願式。 宮崎小神学校出身ペトロ向井の最初の邦人司祭誕生。  
194011月11日、日本政府の要請でチマッティ師、教区長辞任。  
1941チマッティ師、東京へ移転。11月、三河島教会主任司祭。  
194212月2日、リヴィアベラ師、満州へ派遣される。  
1943宮崎小神学校閉鎖。サレジオ会志願院は東京、杉並(育英)に移転。  
1944サレジオ会最初の邦人司祭、秋元保夫師叙階。  
19454月14日、野尻湖の土地と建物を、現在の東洋英和女学院のものから購入。その後、練馬の神学生、野尻湖に疎開し、そこで8月15日、終戦を迎える(11月まで滞在)。 戦争中、徴兵された日本人会員5名が戦死又は戦地で病死。  
19461月、宮崎県延岡に教会開設。 4月、「日向中学校」(現「日向学院」)開校、志願院併置。 11月 中津養成院が火事で全焼。その後、戦災孤児救済のため、中津に「ドン・ボスコ学園」、板橋の成増に「東京サレジオ学園」を開設。 戦時中、中止されていた月刊誌『ドン・ボスコ』が、『からしだね』と名称を変更して再刊。  
1947「東京サレジオ学園」、小平に移転、小、中学校を設置。 東京の練馬にあった志願院が宮崎に戻る。 チマッティ師、総会議出席のため、アメリカ経由でイタリアに帰国。  
1948東京碑文谷にオラトリオ(教会学校)が始まる。 リヴィアベラ師、満州から戻る。  
19493月5日、ドミニコ・サビオ列福。 「目黒サレジオ幼稚園」開設。 第2代管区長タシナリ師就任。 東京下井草に教会開設。  
1950サレジオ神学院が練馬から調布に移転。 ドン・ボスコ社は育英から独立。 「大阪星光学院」開校。 聖座の決定により宮崎県の教会をザベリオ宣教会に移譲し、サレジオ会は大分県の教会のみ担当。  
19516月24日、マリア・ドミニカ・マザレロ列聖。 9月、「調布サレジオ神学院」の新館落成。  
1952大分県日田に教会開設。 『からしだね』誌が『カトリック生活』誌と名称変更。 別府「海の星幼稚園」開設。  
19533月23日、バルバロ訳「口語新約聖書」出版。 大分県臼杵、鶴崎、杵築に教会開設。  
19545月24日、碑文谷サレジオ教会の新聖堂落成。 6月12日、ドミニコ・サビオ列聖。 8月、日本のサレジオ管区、韓国での事業開始。  
19552月15日、育英の本館が火災で全焼。会員2名が犠牲となる。 3月19日、ジジョッティ総長列席のもと、チマッティ師の叙階50周年。 4月、「日向学院短期大学(夜間)」開学。 第3代管区長にダルクマン師就任。 12月、大分県佐伯に教会開設。  
1956大分県坂ノ市に教会開設。 「日向学院短期大学(昼間)部」開設。 10月、下井草教会の新聖堂落成。 扶助者聖母会、韓国の事業を始める。  
1957杉並に修道士のための志願院を開設。  
1958四谷支部開設。 調布の信徒のための聖堂を落成。 中津ドン・ボスコ学園を「聖ヨゼフ寮」と改称。  
1959東京碑文谷に「目黒サレジオ中学校」(現「サレジオ学院中学校」)開校。  
1960大分県中津・古城に教会開設。  
1961大分県津久見に教会開設。 ダルクマン師、管区長に再任。 「日向学院高等学校商業科」を廃止。  
1962天正遣欧使節を記念し、中学生をイタリアに派遣  
1963「川崎サレジオ高等学校」(現「サレジオ学院高等学校」)開校。  
1964バルバロ・デルコール共訳口語訳『旧新約全聖書』完訳出版。  
1965大分県宇佐教会に教会開設。 10月6日、調布神学院において、チマッティ師、86歳で帰天。すぐに列福列聖運動開始。  
1966大分県玖珠に教会開設。  
196710月5日、調布サレジオ神学院の新聖堂が落成。東京大司教区の小教区として認可 チマッティ師の遺体が地下聖堂に移される。 第4代管区長にデランジェラ師就任。 足立区に教会、幼稚園開設。  
1968宮崎、育英両志願院を大阪星光に移転。  
1969   
1970   
1971別府に「サレジオ・ハウス」開設。 神奈川県鷺沼に教会開設。 日南市富土に「海の家」開設。  
1972韓国が日本管区より独立。  
1973第5代管区長に本田善一郎師就任。  
1974管区長館を四谷に移転。 川崎の鷺沼に「川崎サレジオ志願院」(現横浜)開設。 野尻湖少年聖書学校開始。  
1975川崎サレジオ高等学校に中学校が併設。 目黒サレジオ中学校廃校。  
1976サレジオ会来日50周年。東京カテドラルにおいて祝賀ミサを行う。 チマッティ師の列福列聖調査開始。 宮崎、別府、日田、北九州にて協力者会(現コオペラトーリ)の活動が始まる。  
1977チマッティ師の遺体の検案実施。腐敗を免れていることが確認される。  
1978東京教区におけるチマッティ師の列福列聖調査終了。  
1979第6代管区長に山本克己師就任。 サレジアン・シスターズで 東京、静岡、名古屋にて協力者会(現コオペラトーリ)の活動が始まる。  
1980初邦人会員宣教師として倉橋師がボリビアの宣教活動に派遣。  
1981   
1982   
1983調布サレジオ神学院内にチマッティ資料館完成。  
1984   
1985第7代管区長にマッサ師就任。 会員保養のため山中に修道院新設。  
1986宮崎カリタス修道女会(現イエスのカリタス修道女会)の「サレジオ家族」への加入が認可。 サレジオ会来日60周年記念。ヴィガノ総長来日。  
1987野尻湖ハウス新築。調布新修練院・シニア志願院新築。  
1988ドン・ボスコ帰天百周年記念が各地で開催。 調布サレジオ・ユースセンター新築。 サレジオ協力者会の新会則、ローマ聖座より認可。 別府支部でユース・センター開始。  
1989碑文谷教会司祭館・信徒会館完成。 大阪サレジオ修道院新築。 サレジオ学院セミナーハウス落成。 東京サレジオ学園総合計画完成。  
19909月、在俗修道会ボランタリエ・ディ・ドンボスコ(VDB)が日本で発足。  
1991第8代管区長に溝部脩師就任。 ドン・ボスコ海外青年ボランティア・グループ(DBVG)の第一回派遣。 教皇ヨハネ・パウロ二世より、チマッティ師、尊者と宣言される。  
1992第1回ユース・フェスティバル開催(調布)。  
1993小平サレジオ小・中学校新校舎落成。 日向学院男女共学開始。  
1994調布サレジオユース・センターホール落成。 津久見教会を大分教区へ。  
1995サレジオ学院中・高等学校、川崎から横浜の現在地に移転。 四日市に「四日市サレジオ志願院」開設。鈴鹿教会委託。 ソロモン諸島へ宣教師派遣。 コングレガシオン・ド・ノートルダムから大分県の「スタディー・センター」を引き継ぐ。  
1996チマッティ師の姉シスター・マリア・ラファエラ・チマッティが福者となる。  
1997第9代管区長に藤川長喜師就任。 4月、聖ヨゼフ寮で幼児・女児受け入れ開始。  
1998SITEC開設。  
1999小平修道院落成。 臼杵教会を大分教区へ。 6月、中津で学童保育「まりあ」開設。  
2000溝部脩師司教叙階、仙台教区司教就任。  
2001サレジオ会来日75周年。碑文谷教会において祝賀ミサ。  
2002   
2003第10代管区長にプッポ師就任。  
2004日田教会、玖珠教会を大分教区へ。 3月、聖ヨセフ寮新園舎完成。 溝部脩司教、高松教区司教に就任。 チャーベス総長来日。  
2005佐伯教会を大分教区へ。 「サレジオ・スタディ・センター」閉鎖。 横浜教区の浜松ならびに大和教会にて滞日外国人司牧に管区を挙げてサポート態勢に入る。 ソロモン支部、フィリッピン北管区管轄下に移行。 「育英高専」は、町田市多摩境に移転し「サレジオ高専」と改称。  
2006別府教会75周年、教会改築。 「四日市サレジオ志願院」高校棟新設。 8月、大分明星幼稚園が学校法人別府サレジオ学園に加入。  
2007浜松支部開設。  
2008宇佐教会、豊後高田教会を大分教区へ。 宮崎カリタス修道女会、総本部をローマに移転。 5月、日本語版ボレッティーノ・サレジアーノ『ドン・ボスコの風』創刊号発行。 調布教会新聖堂落成。 三河島教会75周年。 DBK(ドン・ボスコ基金)開始。 協力者会の名称を「サレジアニ・コオペラトーリ」に変更。  
2009第11代管区長にチプリアニ師就任。 大阪星光学院新校舎落成。 日向学院寮を協働者に完全にゆだねる。 サレジオ会創立150周年行事。ブレゴリン副総長来日。 宮崎カリタス修道女会、正式名称を「イエスのカリタス修道女会」に変更。  
2010聖ヨゼフ寮(旧ドン・ボスコ学園)75周年。 「浜松司牧センター」落成。 5月、ADMA日本管区発足。 EAO地域顧問Wong師による特別視察。 サレジオ高専75周年。  
2011ドン・ボスコ聖遺物巡礼。 DBVG創立20周年記念行事。 青少年司牧顧問アッタール師来日。  
2012横浜志願院を四日市志願院に統合。 別府末広支部と荘園支部を統合。 管区設立75周年行事のため、チャーベス総長来日。 宣教顧問クレメンテ師来日。  
2013町田支部開設。 名誉司教溝部師、京都に「望洋庵」開設。 サレジオ家族教職員講座、開始。  
2014ドン・ボスコ生誕200周年霊的準備としてローマ巡礼。 第12代管区長に山野内倫明氏就任。  
2015町田サレジオ幼稚園開園。 サレジオ同窓会日本連合(東京小平・サレジオ、横浜、大阪、宮崎)が結成。 小さき花の幼稚園、幼保連携型認定子ども園へ移行。 SYM Japan発足。 ドン・ボスコ生誕200周年閉幕式ミサ・イベント開催   
2016   
2017愛野で学童保育「ドン・ボスコ」開設。 サレジオ高等教育機関EAO会議を日本で開催。 サレジアニ・コオペラトーリEAO大会を東京で開催。 福音宣教省次官 サヴィオ・ホン大司教 日本各地を訪問。 名誉総長チャーベス神父、サレジオ家族のための黙想会のため来日。  
20181月、第1回「協働者の集い」が神奈川県三浦で開催。 3月、「日向学院寮」閉鎖。 韓国管区管区長、ステファノ・ヤン神父来日。 6月、別府修道院改築。 第13代管区長に濱口秀昭師就任。 サレジオ同窓会連合世界連合幹部来日。 SYM Japan、イスラエル聖地巡礼。 9月、山野内倫昭師司教叙階、さいたま教区長司教就任。 11月、フェルナンデス総長来日 EAO養成部門会議、山中湖で開催  
2019サレジオ家族事業所・小教区協働者の手引き『ドン・ボスコの心で教えよう』刊行 中津教会を大分教区へ 3月「サレジオ・ハウス」閉鎖  
20206月、滞日ベトナム人青年たちのための「ドン・ボスコ・オラトリオ」が調布に開設。  
2021日向学院創立75周年  
20223月、鷺沼サレジオ幼稚園閉園 12月28日、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士帰天400周年  
20231月、都筑教会開設(鷺沼教会から移転)。 2月、来日100周年準備期間(3年)開始。 2月、EAO地域顧問ヨセフ・フゥォック師による公式訪問。 愛野教会が諫早教会集会所となる  
2024   
2025   
20262.8サレジオ会来日100周年  
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