やっぱり大きい存在でした
——都成神父さまを偲んで——
もう四十年以上も前になる。大阪星光学院中学校に入学したわたしは、生徒と担任という関係で都成神父と出会った。今から考えてみると、そのときの彼はまだ四十歳ぐらいであったはずなのに威厳があり、未信者だったわたしにはカトリック神父というだけでも取っ付きにくいのに、そのうえあの威圧される雰囲気ではやっぱり近寄りがたい人だった。かなりのやんちゃ坊主がそろっていたはずだが都成神父の時間だけは不思議と静かであった。
数学のテストが終わった次の日、答案が返され、答え合わせがあった。何とか点数が上がらないかと思い、必死で答え合わせをしていると、答えが合っているのに×印がついていた。「あれっ!」と思い、さっそく都成神父のところに答案を持参。なにしろそこが合っていれば一○○点満点なのだからこちらも必死!わたしが待っていた答案をひと通り見終えると、ポツンと一言。「河合君、一○○点というのは完全だということだろう。この答えはあっているがやり方は小学生のやる方だな。だから完全じゃない。やっぱり×でいいんだ」。それを聞いて悔しく思った半面、「中学校って難しいんだな」と納得させられてしまった。まず、「自分には厳しく」を数えられたようだ。これが遺された一つのアドバイス。
やっと神父になって星光学院に初ミサに行った。これまで先生と生徒という関係だけだったが、今度は同志という関係も少しはできたみたい。その晩一緒に飲んでいると、また例によってポツンと一言。「なあ河合神父さん、これから君も人の上に立つ時が来るだろう。その時はな、部下が自分の望む六十%のことをしてくれたら満足して、感謝して、その人をほめないとだめだぞ」と。いずれお前も学校経営に携わるかもしれないと思ってのあたたかい勧めだったのだろう。「周りの人々には優しく」。これが遺された二つ目のアドバイスとなった。
ここまでの都成神父はとてもかなわない強い人というイメージ。しかし星光学院を退職され、別府に行かれた直後に、彼は大きな病気をされた。ちょうど、わたしも同じ時期に九州に行ったということもあり、以前より顔を合わす機会が多くなった。宮崎に行った最初の頃、新任地で誰とも顔なじみがなく、寂しかったわたしは五月に別府へ行く機会があり、久し振りに彼と会い、一緒に記念写真を撮ってもらった。(わたしが都成神父と写っている唯一の写真である)その時もいろいろ励ましてもらった。写真に写っている都成神父の素晴らしい笑顔がとても印象的だ。
彼の偉いところは、人に対する優しい思いやりであった。いろいろな悩みをかなり強い調子で打ち明けたことがある。そんな時、彼は直ぐにやってきてくれたし、しかもわたしに負担を感じさせないようにするために、よく「他の用事があったので、ついでに来たんだよ」とも言ってくれていた。そして現実的なアドバイスをいただいたのを今でもしっかりと覚えている。
でも段々と彼の病気は重くなっていった。「強い都成神父」のイメージを大事にしたいわたしは病床の彼を見舞いに行く勇気がなかった。「衰えた都成神父」を認めたくなかったのだろう。そんなに重病の彼なのに、自分のことでいやなことがあったわたしは、彼に電話をした。その頃マリアンナ病院に入院されていた都成神父に。むこうは重い病気で苦しんでおられるのに、そこに心配を増やす電話を入れるなんてとんでもない、と今では思うが、
その時は甘えたい気持ちで一杯だったのだろう。その時「なあ河合神父さん、若い者たちに頑張ってもらわないと…。もうわたしも長くないよ。神さまのくださったこの病気をしっかりと受けとめているんだよ」と電話口で言われた。感情が高ぶっていたわたしは思わず「神父さん、いやです。そんな話やめてください。いやです。聞きたくありません」と泣きながら絶句してしまった。それから二、三日が経ったころ、マリアンナ病院に入院中の都成神父を見舞った時、「この前は、電話で気分を悪くさせたようだね。ごめん」と言われ、思っていなかったことばに恐縮した。自分の苦しさもさぞ大きかったであろうに、改めて、彼のスケールの大きさに驚かされた。
その後も、別府に帰られた都成神父を見舞う機会が何回かあった。行くと、よく「遺言と思ってしっかり聞いてほしい」と前置きして「自分が正しいと思っていることでうまくいかないとき、愚痴ったり、相手を責めたりするのは、わがままなしるしなんだよ。わたしなんかどうしてもすぐにはできないことがたくさんあったから、それが今すぐにできなければ、今はその次のことで満足しよう、というように考えたね。人生でこれしかないというものはそんなに多くないんだよ。我慢することも大切だよ。」と忠告された。せっかちでわがままなわたしを見通しておられたのかな。「高望みせずに、今の出来ることに最善を尽くせ!」最善を求めてイライラするより、次善をしっかりと実現しろ」。これが遺された三つのアドバイス。
そしていよいよ彼の死期が近づいてきた。回復を願う周りの人々に「もういいよ。明星学園の卒業式に参加できる奇跡を神さまはしてくれたじゃないか。もうこれで充分だよ。
これ以上神さまに無理を言うもんじゃないよ。」と、穏やかな顔をして言っておられた都成神父。自分の使命を全うすることだけを考えていた人とも言える。「すべてを神さまにゆだねよ」。どうやら、これが遺された最後の四つ目のアドバイスか。
お通夜と告別式のとき、都成神父と最期の対面をしたが、悲しくはなかった。ただ無性に寂しかったことを今でもはっきりと覚えている。「自分が甘えて、無理を言って行ける人が、またひとりなくなった」と思ったから。どうやら、わたしは最後の最後まで、都成神父にとって不肖の生徒であったようである。(最近、体型だけが似てきて、「都成神父さんに似てきたなあ」と言われるが、内面のほど遠さにかえって恐縮している次第)
でも都成神父は、わたしにとってやっぱり大きい存在であったし、なくなられた今も強い力となっていてくださっていると確信しているし、一人の信仰者として、サレジオ会員として、教育者として、いつまでもわたしを導いてくれることを願っている。
いろいろな講演で話させてもらっているのだが、以上の四つの遺言がやっぱりいつまでも自分の人生の力強い支えとなっているので、改めて述べさせていただいた次第。
都成神父さん、天国でゆっくり休まれるもいいのですが、未熟なわたしをしっかり見守り、導いていくことを忘れないようにしてください。そして、いつの日か天国で、「河合神父さん、頑張ったね。よし一杯やろう」というお褒めのことばをくださいね。それを励みに、神父さんが歩んでこられた教育畑の道を、これからも歩んでいきたいと思っています。
Fr. 河合 恒男 「Venite et Videte」一号より
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