日比野箕之介先生の思い出
日比野先生について真っ先に思い出すのは、いつも背筋の伸びた背中です。ピンと背筋を伸ばして颯爽と歩きかれる姿を見ると、こちらまでも「きちんとしなければ」と言う気持ちになったものです。その日比野先生には学生時代だけでなく、日向学院で教員として働き始めてからも大変お世話になりました。それを、このような文章では表現することは不可能でありますが、先生のお人柄が少しでもおわかりいただければ幸いです。
≪私の高校入学当時≫
私は昭和五十三年に日向学院高等学校に入学しました。私は入学した当初、小学校から続けてきたトランペットで、音楽大学へ行くことを考えていました。当然音楽の先生である日々の先生に相談に行ったのですが、先生は国立大学の特設音楽課程へ行くことを勧められたのです。当時の私にとってはそのことがとても以外であったし、なぜ音大はダメなのか理解できませんでした。(音大はとてもお金がかかるし、プロのオーケストラへの就職もとても難しいと分かるのは後になってからのことです。)そのようなこともあり、入学後しばらく日比野先生に対し、不信感を抱いてしまいました。当然のように私は音大を受験するための勉強を始めたのですが、ピアノやソルフェージュなどのレッスンについては、他の先生に就いて一週間に一回のレッスンを受ける事になりました。
≪高校生時代≫
私は日比野先生に対し、反抗する事はありませんでしたが、音楽の授業はただおとなしく座っているだけだったのではないかと思います。放課後の音楽部の活動についても、自分で好きなことをやっていただけのような気もします。しかし、日比野先生は何もおっしゃいませんでした。今考えれば、指導の厄介な生徒が改心するまで待つという姿勢だったのでしょうが、それが自分自身でわかるようになるのはそれからずっと後のことであります。(浪人時代参照)その上、当時として不思議だったことがあります。それは音楽部でいろいろな大会や発表の場に出かけると、必ずトランペットをフューチャーした曲をご自分で編曲されてくださったことです。音楽部といっても男声合唱(当時日向学院は男子校)で、それに私の演奏するトランペットが加わると言う形であるのですが、当時の私はなぜ自分が使われるのか分からなかったし、またそれにより天狗になっていたような気もします。
≪高校生時代 その②昼休み時間≫
その当時の音楽部は「コーロ・ドン・ボスコ」と言われており、命名は日比野先生と聞いております。日本名でいえば「ボスコ神父の合唱隊」という意味だと思います。十五~二十名ぐらいで構成されていましたが、ほとんどのメンバーがスポーツ系の部活動と掛け持ちしていました。掛け持ちしてもなぜ部活動が可能か、それは昼休みに練習をしていたからです。音楽が好きな者が集まり、昼休みに弁当を食べ終わるとすぐに音楽室へ集まりました。しかし誰よりも先に来てピアノの前に座っておられたのが日比野先生だったのです。四時間目の授業の後でも必ず日比野先生が一番最初にこられていました。いったい何時食事をされていたのか分かりませんでしたが、とてもまねの出来ることではないと感じました。そのようなお人柄もあり、我々部員は毎日の昼休みの一時がとても楽しいものでありましたし、憩いのひと時でもあったような気がします。練習は日比野先生の弾かれるピアノの周りをぐるりと囲み、とても親近感を感じるものでした。皆スポーツ系の部活動と掛け持ちをしていたにもかかわらずとても仲が良かったのはこのような練習スタイルにあったのだと思います。
≪浪人時代≫
私は東京の某音楽大学を受験したのですが、日比野先生の助言を無視し滑り止めを受験しませんでした。大学の講習会などにも参加し、ある程度合格する自信があったのですが、
その受験に失敗したのです。もちろん日比野先生に報告へ行ったのですが、そこで先生は「浪人をするのであれば宮崎でしなさい。トランペット以外のレッスンはすべて指導するから。」と言ってくださったのです。今までどちらかというと先生に迷惑ばかりかけて、まったく助言を無視していた私を受け入れてくださったようで、どう表現すればよいかわからないほど複雑な気持ちでありましたが、この浪人時代日比野先生にお世話になろうと決心しました。その一年間のレッスンはすさまじいものでした。日比野先生は、浪人生の私に毎日学校へ来るように言われました。曜日を決めて、ピアノ・聴音・新曲視唱・コ―リューブンゲン・楽曲のレッスンを受けました。そのレッスンはすべてご自分の授業の空き
時間に、音楽室で行ってくださったのです。今教員という職についているので分かります
が、空き時間に他の仕事が入るということはとても大変なことです。しかしそれを日比野先生のレッスンは毎日ありました。とてもきつかったですが、その事に本当に感謝しています。私はこの一年間の恩は一生忘れてはならないと思っています。その甲斐もあって翌年には希望する大学に合格する事が出来ました。余談ではありますが、日比野先生は決してレッスン代を受け取られない方でした。私の両親もとても恐縮していましたが、それは最後まで貫かれておられました。
≪大学時代≫
長期休みには必ず日比野先生のところへ小さなお菓子折りを持って出かけました。それ位では、今まで受けた恩を返すことは出来ない事は分かっていましたが、近況報告をする事は、最低限のマナーだと思っていましたし、とにかく自然と足が向き、お話がしたいと思うような方でありました。話の内容は、大学の中での勉強や授業内容などでありましたが、とにかく今でもすごいと思うことは、浪人時代に受けたレッスンの内容がとても高度で、大学でのソルフェージュなどの授業に全然苦労をしなかったという事です。浪人時代は、何でこんな難しいものまでやらなければならないのだろうと考えた事もあったのですが、大学の授業に曲りなりにもついていくことが出来、専門のトランペットの練習に思う存分時間を費やす事が出来たのも、先生のおかげであります。今考えると、それをさせていただいたのも日比野先生のおかげだと思っています。
≪教員時代≫
何と私は、母校である日向学院の教員になってしまいました。日比野先生の下で教鞭をとることとなったのであります。私は日比野先生と一緒に仕事をするとは夢にも思いませんでしたし、ましてや日比野先生のような授業はできるとは思いませんでしたが、とにかくがむしゃらにやるしかありませんでした。教員になれば、どんな方でも最初に味わうのは自己嫌悪と挫折ではないかと思います。私も最初の頃、自分が思うような授業はできず悩んでいたのですが、そんな折り日比野先生が的確な指導をしてくださったのです。それもあたかも音楽室にいて、私の授業を見てその感想を述べられるような的確な指導でありました。私は不思議でならなかったのですが、本当にその場におられるように「ここでこのような話は良いとか良くない」とか、「板書はこのように」「注意のタイミング」「ピアノ伴奏のこと」等々。後で分かったことですが、私の授業は必ず音楽室隣の音楽準備室で聴いてくださったようなのです。多分私が緊張したり、うるさがったりするのを察して、隣で授業を聴いてくださったのだと思いますが、今考えると本当にありがたく、今の自分がこのような授業ができるのも、先生のおかげであります。
≪寮監≫
寮監も経験しましたが寮監の仕事は大変です。私は寮監の仕事がいやで、教員をやめようと真剣に考えたほどです。その寮監が不足した時期がありました。私は本寮という一番たくさんの生徒がいる場所の担当をしていたのですが、そこの寮監ではなく部活動などを本格的に行っている生徒が入る第三寮の寮監が不足していたのであります。我々若い者はほとんど本寮の寮監督しており、代わりに行く者がいませんでした。そのときその第三寮の監督を引き受けられたのが日比野先生でした。その当時の第三寮はほんとうに大変で、部活動の終了時間が違うことにより、帰ってくる生徒の時間がまちまちで、寮監は休まる暇はなかったと思います。しかし、日比野先生は一言も文句や愚痴などをこぼされることなく、寮監の仕事をさせておられました。昼も夜も、生徒たちのためにご自分を犠牲にされるような方でしたが、何よりもすごいのは、絶対に不満を述べられることがなかったことです。そのような先生でしたので、当時の寮生たちは先生のことをちょっぴり怖い親父のように、また何でも話の出来る友達のように慕っておりました。私もそのような光景を目の当たりにし、あのような形で生徒と親しく接するためにはどうすればいいか真剣に考えたものでした。
≪今生きておられたら≫
今日比野先生が生きておられたら、多分お叱りを受けるだろうと思います。現在学院は共学になったことにより様々な問題を抱えております。特に女子生徒の容儀の面では指導が難しいと感じます。やはり今まで男子だけを教えた教員が、女子を教えるとなると極端に甘くなったり、注意が緩くなってしまうようです。しかし絶対に妥協をされなかった日比野先生は、このような状況に立たされた場合どのような指導をされるかと考えたとき、
「絶対に妥協せず時間をかけてでもしっかりやりなさい。」というお言葉が聞こえてきそうです。まだまだ教えていただかなければならないことがたくさんありましたが、今はとにかく先生を見習って頑張るしかありません。
≪最後に≫
現在でも卒業生の話の中には日比野先生の思い出などが出てきます。絶対に妥協をされなかった先生ですが、なぜか憎めず、最後には先生の言われることに従わなければという気になった方です。やはり毎日毎日の姿勢・態度・言動・行動などすべてにおいて手本となる方であったがゆえに、生徒たちにとってはとても印象深く心に残っているのだと思います。私も絶対に妥協することがないよう、日比野先生を手本として精進したいと思います。
中島 俊弥 「Venite et Videte」二号より
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