ロメッリというサレジオ会修道士
川部 金四郎
かねがね、宣教師願望が強かったロメッリ氏は、メキシコかインドを希望していた。
親類、知人、友人などがそちらにいたからだ。だが基本的にはすべてをまかせるという考えで、長上の判断にゆだねていた。
やがてアルゼンチンという線が具体化したが一転また一転、最終的には神の摂理のみ手はロメッリ修士を遠い日本へ導いたのだ。チマッティ神父、リビアベッラ神父たちの日本宣教についての話を何度かコッレ・ドン・ボスコで聞いたことも、氏の気持ちを揺さぶった。
かくして十八歳の春、ロメッリ氏たち若き七人のサムライが、日本への宣教に燃えて祖国イタリーを出発! 時に一九四〇年八月十七日。若き七人の面々とは、マエストロ、アントリーニ、ペトラッコ、セッキ―、コルッシ、アチェルビ、それにロメッリ氏。
一行は、三か月の船旅のすえ、神戸に上陸。チマッティ神父の出迎えを受け、かくして日本への第一歩をしるしたのである。下井草で早速スタートしたのは日本語の勉強、デルコール、カーラン両師の指導で、「咲いた咲いた、さくらが咲いた」
そうこうしているうちに、宮崎にいたベアレシオ修道士が病気になった関係で、ロメッリ氏が宮崎の救護院に赴任。終戦ということで、宮崎から東京への大移動となった。当時としてはすこぶる貴重な大量の物資を運ばねばならなかった。ロペス神父の仲良しだった米進駐軍の友だちが、二台の鉄道大型貨物車を手配してくれたのは助かった。それに、生きたままの数頭の牛、にわとり、七十俵の米、缶詰、穀類、野菜、机いす、肥料など、それこれもろもろを、できるだけ積み込んだ。なにしろ、生き物がいるので、ロメッリ、檜田修士の二名が貨物車に乗り込み、東京成増まで同行した。実に月曜日に宮崎を出て、次の月曜日にやっと成増に着いたという。ごくろうさま!
サレジオ会が米進駐軍から借りて、恵まれない子ども達を世話していた、成増の土地と健物から立ち退くことになったのは、そこに米軍将兵たちの、家族のための住宅を建てることになったからだった。摂理のみ手は米進駐軍をはじめ、行政、恩人、協力者、友人知人、おおぜいの善意の人々を動かして、子ども達と会員たちをより広い、より条件のよい「国分寺」に導かれたのだ。タシナリ、ロペス、マンハルド、松尾、ロメッリの五名が先遣隊として新しい事業をスタート。それから六年。氏はファストいっぱい、子ども達のケアーに動いた。
一九五〇年、中津支部にいたロレンツォーネ修士が死去したので、ロメッリ氏が中津に送られた。時に国分寺サレジオ学園の院長は、タシナリ神父の後任として、マルテッリ神父が務めていた。結果的には氏が赴任した中津ドン・ボスコ学園に、以後五十年以上働き、子ども達のうちに、貴重な多大の実績を残すことになった。現在でも、ドン・ボスコ学園での氏の存在は大きい。
中津に来てしばらくすると、時の管区長タシナリ神父から、唐突に、願ったこともないのに、一度イタリーに行ってみるようにとの連絡が何度かあった。氏は別にその気もなかったので、そのままにしておいたところ、再度管区長から帰国をすすめられた。聞いてみると次のような理由があった。氏が来日してから十三年になるのに、その間、ほとんどイタリーのご両親のところには、電話はおろか手紙も書かず、音沙汰なしだったので、お父さんが管区長に問い合わせたのだ。「うちの息子は日本に行ってかわいい嫁さんでももらっているのではないか?」ことここに至って氏はようやく重い腰を上げ、実に十三年ぶりになつかしの祖国の土をふんだのである。
こんなわけで、早々と日本に舞い戻ってきた氏は、その指導力を発揮し、特に地域の酪農、農業、ハーム・ソーセージ作り、超近代的サイロにより、乳牛の大規模飼育を手がけ、この分野では大分県だけにとどまらず、広く近県にもその名をとどろかせ、おおぜいの見学者たちが、バスを連ねてやってくるありさま! こんなわけで、程なく「青年酪農組合会長」に推挙されるまでの有名人になった。
地方、日豊諸宗教懇話会のメンバーとして、際立った役割を果たし、仏教の坊さんたちを中心としたいろいろな宗教の指導者たち二十名余りを引き連れて、イタリー・シエナを主に訪ねる巡礼団の団長の重責も立派に果たした。とにかく、宮崎に五年、国分寺に六年、中津ドン・ボスコには実に五十年以上というキャリアーの持ち主である。氏の話の中にはよく、マエストロ、ロレンツォ、エミリオ、ロッソ、ガシキーノ、檜田などの名前が出てくる。
氏は静かに語る。
こんにちのサレジオ会は、安定している反面、ほとんどの会員に個性がとぼしい。
召し出しについて
安定しすぎていて、冒険心、これに賭けようというガッツが足りないように思う。
修道士について
よろこびのある、いきいきとした「あかし」がほしい。「自分の利益」だけを求めないこと。
日本では修道士の存在は中途半端で意味がないのではないか。
自分の召命に自信、よろこび、ほこりをもたなければ召命は出てこない。
共同体からもっと 評価、支え、理解がほしい。 氏の語らいにはキリがないが、今回はこの辺で。
川部 金四郎 「Venite et Videte」二号より
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