サレジオ会 機関紙 「ドン・ボスコ」 宮崎公教会宣教師 チマッティ神父

◆第一号 昭和3年(1928)5月24日

ドン・ボスコのサレジオ会宣教師は、宮崎・大分両県の人々の為なるこの貧しき刷り物を、
ドン・ボスコのサレジオ会事業の鼓舞者にして守護者なるキリスト信者の扶助なる聖母
マリアに奉献する。

発刊の辞
親愛なる宮崎・大分両県の民衆諸君よ!
諸君は、すでに一年以前からドン・ボスコのサレジオ会宣教師達が、宮崎・大分・中津の
三教会において、数々の霊魂の為に、また諸君の子弟の教育の為に全力を尽くしているのを御承知のことと思います。
教会は、離れて遠隔にある家庭の為には、時に通信文、新聞記事 その他の印刷物などにより、また時に、個別訪問などのことによりそこに喜びをもたらすことに努力いたしました。また、信仰を強固にするために、諸君の霊魂の利益上、私どもが行う事業の完全を期するに必要なる連鎖を作る為の、可能なかぎりこれに宗教教育を授け、秘跡の恩恵にあずかるの喜びを味あわせることなどに努力いたしました。
諸君の美しき心とその有効なる協力、および天主の御扶助とのおかげにより、私どもは或る物についてはその成功を収めることができました。
しかしながら、私ども宣教師の教えを、一層規則的にお伝えしうる強固な機関をつくるため、ここに貧しき刷り物を、発行することとし、これを月々諸君のお手元にさしあげることにいたしました。この小新聞紙は、私どもの思考、計画、希望などを諸君にお伝えし、
また、カトリック教会、聖会、教皇、日本および世界における真の宗教の発展状態などについても迅速の報道を試みるのであります。
また、実に少年達の為、月々一ページのに渡る読み物をあたえるこの小新聞紙は、諸君の
子弟教育においてはその良き助力者であり、諸君においては、その通信欄により、両県に行われる布教事業の状況を逐一御承知になれることができるのであります。
諸君の霊魂の利益を思うこの新しき我が善意の象徴を、諸君が受け入れられんことと、祈り、助言、協力及び本新聞紙発行上、必要な費用に関し、そこばくのご寄付なども私ども
を扶助せられんことを希望致す次第であります。
私どもは、天主の慈愛の中に諸君の各人と共に真の家庭を造らんことを熱望すると同時に、
全諸君の霊魂に天主の治配を普及するため、宮崎・大分両県の青少年教育に力を尽くすため、キリスト信者の助けになる聖母マリアに対する信仰としばしば泌蹟にあずかることを徹底させるため、キリスト教徒として為すべき義務の完成に資するあらゆる手段方法を諸君がその霊魂に与えうる為、私どもの心と意志とが常にこれら実行とあいともなうよう祈りをささげているのであります。
来る日も来る日も、諸君のため、諸君の家庭における精神的、物質的繁栄のため、日本国の名誉のため、私ども宣教師の祈りと思考とはなされているのであります。

◆第二号 昭和3年(1928)6月24日

愛すべき宮崎、大分両県の信者諸君に贈る

諸君はすでにご承知の通り、吾がドン・ボスコのサレジオ会に属する霊父達は、聖母マリアを「キリスト信者の扶助」として尊び、年少者教育をその為すべき天職として鋭意これに従事いたしてをります。
この資格における聖母のためには、世界最大の布教師たる ドン・ボスコが、ある日子供らに向かって、次のような夢物語をいたしました。

私は海岸にいました。遥か沖をながめると武装ものものしい多数の軍艦が、一艘の大船に
戦いを挑んでいるのでした。大船はたくさんの小舟にとりまかれて護られていました。
戦争中、暴風雨がおき、例の大船は小山のような波を受けて沈んだかと思えば浮き、浮いたかと思へば沈んで沖へ沖へと進んで行きます。
海の真ん中に二本の長い柱が立っていて、その一本の上にはマリアさまの御像があり、
その下に、大文字で「キリスト信者の扶助なる聖母 マリア」と書かれ、もう一つの
柱の上には、大きなご聖体が描かれ、そのもとには「信者の救済」と描かれてありました。

敵艦の猛烈な攻撃にもかかわらず例の大船は二本の柱の間を静かに通って行き、そこに錨
を投げ、綱をもって両方の大柱に結びつけられました。と、嵐は止み海は平穏になりました。

この夢物語には深い意味があります。これら多数の敵艦は、常に聖会に逆らう異端異教の
悪人を示し、大船は聖会をしめしそして、救霊のためには聖会とマリアさまとのご扶助に
よらねばならぬこととを示しているのであります。聖会の歴史を詳しく調べてみれば、昔から今日に至るまで聖母マリアは信者の家族と聖会を常にお助けになっていることを明らかにしることができます。
故に、救霊をこいねがい、生活に必要な物質をこいねがう人々は、この慈愛深い聖母にお
頼みなさい。なお先に書いたドン・ボスコの夢物語を含味し、諸君方の子供の救霊のためにも、聖体と聖母マリアとのご扶助が必要であることを銘記しなさい。この二つのものに
対する信心は、ドン・ボスコの教育精神の根幹をなすものであります。
諸君よ!諸君は日々の務めを良くつくしなさい。
かつて或る母が、自分の子供を呼び「高い山で働いているお父さんに急いでこの手紙を持っていってください。道草を食わないで真っ直ぐにゆきなさい」。と申し、それに低い声で
何か外の命令をささやきました。子供は、母の言葉に従って出かけました。
ところが、途中で「ちょっと遊んで行きたまえ」と、友達に誘われ、また、「ちょっと休んでからいらしゃいな」とある金持ちの人に言われましたが、高い山、行きがたいその路にもかかわらず、子供は母の言葉を守ってこれらの誘惑に打ち勝ち、ついに父の許について
手紙を渡しました。
先に、母が子供の耳にささやいた言葉は何であったでしょうか?
それは、「汝の務めを尽くせよ」という言葉でした。
父母が、家族の者に対し正しき務めを為すことはその義務であり、青年が各自分の仕事や
学校の勉強に熱心であることはその義務であります。
このように、各人がその義務を尽くしつつ聖母の保護を仰いで参りましょう。

◆第三号 昭和3年(1928)7月24日

愛すべき信者諸子よ!

聖会が、キリスト信者の扶助なる聖母マリアに献げる5月24日、イタリアの信仰厚き信者ノビレ将軍は、教皇ピウス11世聖下より託せられた十字架を北極の氷大陸上に投下した。世界の全信者は、この事実を銘記して共に歓喜の情を、分かたねばならぬ。
将軍は教皇陛下に通信していわく、「我とわが友一行は、我らに託せられたるいとも尊き
重大なる使命に対し、深き信仰もて再び感謝の言葉を叫ぶものである」と。
十字架とは、何ぞや?―三位一体と救世との玄義を思い起こし、また、天主のご恩寵を
呼び降すため、善良にして従順なる信者が日に幾たびも幾たびも為すべきキリスト信者の
印である。
十字架とは、なんぞや?
これこそ諸使徒、諸聖師、真の文明をして地上に花さかしめた勝利者等によってはじめられたる救霊の印である。
人は変わり、社会の諸相は移るとも、勝者、敗者、王者、臣民のいづれを問わず霊魂と精神との正しき理法なる十字架のみその普遍王国の不朽の印として残るのみである。
世界の五大州には、あたかもラジオのアンテナが宇宙に電波を漂わすごとく、尊き十字架がイエズスのみ声と信者の熱望との波動を漂わせまた、諸々の霊魂に福音の喜びと、天主に対する人間の愛と感謝との歌を漂わせているのである。
今、カトリック聖庁におけるイエズスの見ゆる代理者たる教皇の聖旨により、信仰厚き一
信者は、北極地方を慈悲、平和、諸々の霊魂の贖有と救済との新しき約なる広き祭壇として天主にこれをささげつつ十字架を投下した。十字架はそこより、全人類に勝利の輝きを伝えている。
さて、我らキリスト信者は、この新たなる十字架の勝利に歓喜せねばならぬ。我らの霊魂にも、我らの内的、外的の行為にも、我らの義務、完成の上にも、この十字架の印のいとも深く刻まれるを思えば、我らの義務完成の上にも、この十字架の印いとも深く刻まれをるを思えば、我らは尊きそれをはずかしめぬよう心がけると同時に、比類なき信仰を他人に向かって誇りうるのである。この尊き信仰を、未だ目覚めざる人々の心に十字架もて、
飾らしむることに諸子の力は致されるべきである。
しかしながら、ここに忘れてはならぬことがある。それは、十字架の勝利は常に苦痛に対してなされる印たることである。これは数百万の殉教者によって如実に物語られているところであって、日本のカトリック教会の勝利においてもまた、赤々と流した血潮がいかに尊く価値のあったものであろう!現世生活の諸々の困難に際して、我らキリスト信者は、しばしば我が主イエズスの御苦難の印に想いをいたし、しかして苦難の後には必ず、天国の光栄を、永遠の平和の来るべきことを、確として信ぜねばならぬのである。

5月24日、イタリアのローマに於いて、帝立音楽専門学校学生 奥田良三氏はカトリック教会に帰復し、ポーロなる霊名の許に洗礼の秘跡を受けた。
これもまた、十字架の一勝利であって若き帰復者は、その美しき記念日の思い出を永久に楽しむべきである。

帝立チェチリア音楽専門学校に遊んだ北海道 札幌の人奥田ポーロ氏は、聖霊の光明に照らされて1928年(昭和三年)の聖霊降臨に洗礼、堅信、聖体の秘蹟を受けた。十字架の保護の許、その腕の中に、慈悲深くも人を抱く聖会にポーロ氏を帰らせたもうた神に対し、彼は己の声のみならずその霊魂の全ての熱心をもて称賛と感謝との融合を波動せしめんとして、血縁者や友人達に数々の祈祷をこいねごうたと云う。
我が愛すべき信者諸氏よ!
十字架の印は、諸子においては即ちその信仰、異教徒間にある時は、諸子の為の使徒である。また、天主の子となり、兵士となる印である洗礼、堅信は諸子の的確なる義務完成により疑いもなくそこにその、ふさわしさを示すであろう。
かくてこそ十字架は、諸子の霊魂に勝利の凱歌を奏するのである。
宮崎大分霊父一同

◆第四号 昭和3年(1928)8月24日

愛すべき信者諸子!

既にご承知の如く、我らドン・ボスコのサレジオ会は、年少者教育の為に働くことをその第一の目的といたします。
年少者教育にたずさわる人々よ!懐に子供を抱く世の母よ!子供の節操に感心する世の父よ!可愛い弟妹をもつ世の兄姉よ!何とぞ、次のことにご注意下さい

「信者なる子供とは如何なるものであるか」に就て諸子は時々お考えになりましたか?
ドン・ボスコ曰く「天主は常に人間を愛している。しかし、子供と共に在られたときこそ
一層喜び給い、これを愛し給うた」と。

天主さまが、子供を愛された理由は、子供はまだ、悪魔のいざないを受けたことはなく、その心は謙遜に、罪の穢れもなく、まったく質朴なるものであるからであります。
イエズスさまは、「子供に与えられた恩恵は、我に与えられたと同様に見なす」と仰せられ、悪い手本を子供に示した人々を、厳しく戒められています。

本文を読む信者諸子よ!よくお考えください!天主さまは諸子に子供の霊魂をお託しに
なっているのです。
ですから、諸子は子供を守護せねばならぬ・・・。そして、守護の天使は、子供に対する
諸子の行いに対して絶えず心を用いているのであります。諸子は、他日 天主から託せられた大切な預かり物に関して総勘定をせねばならぬと日に一度は考えねばならぬのであります。
ドン・ボスコは教えています。
「子供の無罪にして清らかなる霊魂中には、洗礼によって直ぐ真の救い主と、そのみ体
 とが来る」と。
救い主とそのみ体とを受け得べき歳は?と或る人がドン・ボスコに尋ねました。
ドン・ボスコは「霊魂と肉体との糧に就いてよくその区別がつき、また、宗教の主なる教えが解ったとき、初聖体を拝領するが良い」と申しました。
今日、聖公会は、ドン・ボスコのその教えに従う信者を導くように命じています。
この大切な秘蹟をおろそかにし、また、人間的感情に支配せられてみだりに躊躇するのは
よくないことです。

世の父母達よ!初聖体を拝領した時、子供に対しての重大な配慮はここに終わったのでしょうか?否、むしろそこよりその端を発するとも言いうるのであります。
子供の霊魂は、しばしば、ひき臼の石の運転にたとえられます。ひき臼の下に、良き麦をおけば良質の麦粉ができ、悪い麦を置けば下品な質の麦粉ができる・・・。何も入れねば
石は磨滅して行く・・・。
 子供の霊魂も丁度これであります。その心には、愛が常に運転しています。そこに立派な考えと完全な行いをいれるか、下品な悪質の考えをいれるか、何も入れずに空まわしにしておくか・・・。
の三つの中で採るべきものは自ずから明らかであります。
世の両親の中には子供の外的の敵をふせぐことにのみ心を用いて、その内的の世界に意を致さぬ者がないと言えましょうか?
外的の敵を防ぐのも、勿論重大なことですが、それだけでは足りましょうか?
諸子の子供は、宝石にも比すべきですが、この美しき宝石は実に生き物であります。
生き物の意味はご存じでしょう!すなわち、内的、外的に発達し、延び、栄養をとることです。この宝石をして永久にその美を失わしめざらんためには、その進歩に応ずる適当な
配慮をしてやらねばならぬ。
ドン・ボスコの教育方法の原則、「子供をして過つあたわざる位置に置く」という教えに気をつけ、この一句の意味を暫く考えてご覧なさい。
子供は小さな植物のようです。
土地、太陽、雨の状態に従って或いは強、或いは弱、或いは曲、あるいは直に成長いたします。子供にとってその周囲、即ち家族と家庭とは土地、太陽、雨にも比すべきものであります。
実に、子供に対する家庭の任務は重大であります。須らく家庭は、醜悪なことば、下品な行いを絶対にさけ、悪しき印刷物を排斥し、一方善良な書物、出来うべくんば高尚な絵画
彫刻もて住居を飾って真・善・美の範則を垂れることこそ望ましきことであります。
これすなわち子供をして罪を犯させない位置に置くことであります。

◆第五号 昭和3年(1928)9月24日

子供に与うべき友

先に申し上げたドン・ボスコの子供教育方法の話を続けまして、今回は子供にあたうべき友は、如何なるものであるべきかということに就いて述べたいと思います。
子供教育上、家庭が善良であるべきことは勿論でありますが、その周囲たる友の善良如何
もまた、重大問題であります。
先ず子供のため、同僚と親友との区別を明らかにしてやらねばならぬ。
同僚とは、学校、仕事、遊び、集会等いたるところにある友の謂われであるが、未だ、選ばれたるものではない。親友とは、自分の周囲にあるものの中から、選りあげた者である。
親友は、必ずこれを選みおくべきである。その故は、子供は親と教師との扶助を得る前、
親友とともに自己の重大問題の判断をすることができる。
自己の重大問題の判断を求めることは何人にも軽率に語るべきではない。
・・・・親友こそ相談相手である。しかるに、子供はその選択能力を欠いている故に、親たる者はその子供が、親友を選ぶにあたり「汝が親友にする友を連れてきなさい。そして、
私どもがその友と語ってみて後、汝の親友として許しましょう。」と明らかに言うべきである。
ドン・ボスコは、九歳のおり、愛すべき母、マルガリタから右の教訓を受けたのである。
諸子は、ドン・ボスコが若い時に夢の形式を持って召しだしを蒙ったことを御存じでしょう。すなわち、彼は怒号し、泣き叫び、神をけがし互いにそしりあう多くの青少年の中に在った。・・・その時、不思議な一人物が近づいて、「これらの悪太郎らのために働きなさい」と言うと、幼きドン・ボスコは、「そう仰せられるあなたはどなたですか?私の母は、許可なくして未知の人と交わることを禁じています。」と答えた。
 既に諸子がご存じのとおり、その夢の中の人物は、イエズスさまであった。
ドン・ボスコが、この際においてすら母の教訓を守ったのはほかでもない・・・・。
それは、悪友というものは、しばしば親友の如く装うて善良なるものを欺きその潔白を失わせこれをつまづかせるからである。
ドン・ボスコは、「愛する我が子供らよ!遊びと休憩との時、悪い友は、これを疫病の如くお避けなさい」と熱心に勧めたのである。
友をわけて、良き友、悪い友、良くもなければ悪くもない友の三類にすることができる。
良い友との交わりは利益である。大して良くない友との交わりは、それが必要なればゆるされる事であるけれど、決してこれを信用してはならない。悪い友は如何なる場合でも、絶対にこれを避くべきは、勿論である。悪い友は、うそ、冒瀆、つぶやき、悪質にして下品なことば、聖教の放棄、窃盗、親の戒めに対して、不従順等のことをしててんとして恥じざるものであるから、これを悪魔のごとく排斥せねばならぬ。
「徳ある人にならえば、徳ある人となり、悪にまじわれば悪となる。故に悪は、これを毒蛇の如く嫌うべし」と神は教え給う。
要するに、良き友をまねる時、その子供は善良となり、彼らは共に天国を楽しむであろう。
これに反して悪友をまねるとき、その子供は霊魂を失う危険に近づいて行く。
これら悪友をさけるためには、たとえ一人になっても決してその子供はさびしくはない。
何故ならば、その子供はイエズスさまとマリアさまと守護の天使と共に生き得るからである。善い友とは、度々、悔悛、聖体の秘蹟を受け、聖堂に良く参詣し各自の務めを良き行と良き手本とを以て人の鑑となり、罪を遠ざけるよう常に心掛ける等の人、これである。
斯くのごとき人と交わるときの利益はいかばかりであろうか。
旧約時代のことである。サウロ王は、ダビドのなすことが全て成功するのをみてますます、
これを憎みどうかして己れの子ヨナタに相談した。所がヨナタは前から、ダビドを兄弟の
ように愛していたので、二人はどんなことがあっても死ぬまで離れまいと誓いあい、互いに一層良き行いを以て相励まし、相助けていた。
ああ、諸子よ!諸子は、皆、右の事実に心をいたし、諸子が愛する子供を必ず立派な信者となすように、心がけねばならない。

◆第六号 昭和3年(1928)10月24日

早坂司教閣下を迎う

我らドン・ボスコのサレジオ会員は、宮崎教会を訪問遊ばされる日本最初の司教閣下を、大なる歓喜の心もて、歓迎いたします。
日本サレジオ会員は、その祖ドン・ボスコの遺訓を思い、キリストの代理者なる教皇を聖会とを代表する権ある司教閣下の御前に平伏し、日本におけるローマカトリック教会の勇敢にして光輝ある歴史のエポックメーキングなる最初の日本人司教被選の事実を謹んで心銘に刻む者であります。
願わくは、閣下ならびに、閣下の治下なる教区に栄あらんことを!
我らは、古における日本聖教殉教者の群れの続出せんことと、我ら、サレジオ会に委任せられたる、教区ならびそこに諸種の事業を運転する若人の栄えを、閣下の祝福に於いて深く希望致す次第であります。
日本サレジオ会員一同

我ら宮崎教会信者一同は、天主の聖名による良き慰めの言葉を持つ日本最初の司教閣下を歓迎します。長崎県出身の当教会信者は、特に涙いくまで歓喜し、この偉大なる牧者に対して尊敬と愛とを捧げる次第であります。
我が青年会、少女会、父の会、母の会は皆心を一つにして閣下の上に、天主さまの熱き祝福あらんことを熱望いたしています。
我が真心をこめたこの歓迎の言葉には、大分および中津の兄弟達の心もまた、一つになって含まれているのであります。
アズ・ムルトス・アンノス               
宮崎教会信者一同

子供の談話に就て

子供の教育についてのドン・ボスコの精神を続け、今度は子供が為す談話に注意せねばならぬことを申し上げたいと思います。
子供たちが為す談話のうち、度々表面は良く見えていて内容の悪いのがあります。
この微妙な点を注意せぬとその、傾向はますますひどくなって参るものであります。
ドン・ボスコ曰く、「地獄には悪い談話を聴いた子供がたくさんいる」と。
昔、聖パウロも「全ての悪質の談話は、それを為すだにも生徒たるにふさわしからず。
調理が、考えるべきものであると同様、談話も之を考えねばならぬ・・・。
たとい、立派な料理を考えても、そこに毒の一滴でもあったなら、食する人々に大なる害を与えるものであります。
人あるいは、「悪い談話をする結果は、良く知っていますが、家とか、学校とか、商店とか
向上とかで、悪い談話の絶え間がないから、仕方がありません」と言うかもしれません。
我が愛すべき子供たちよ!諸君たちに、こうした場所がいたるところにあることは私どもとてもよく知っています。ですから、私どもは、諸君が天主の戒めにそむかぬよう、心配するのであります。
もし、諸君の目下に、こうした悪い傾向があったなら、厳しく戒めてください。
咎めることのできない目上のひとならそこからお逃げなさい。
それも出来ぬ折りは、その悪い談話は、耳にいれぬようにつとめ、こころの奥で「天主よ!
我をあわれみたまえ!」ととなえなさい。
厳しい用心にも、かかわらず。天主に背く危険があると感じた時は、聖アウグスチノのお勧めに従い早速そこからお逃げなさい。救霊に危険な所にあって、人々と交際するのは、この世にあるいかなる毒害物よりも唾棄すべきものである
悪き一つの言葉、身ぶり、遊びは多数の子供を悪に導きうる力を持っています。従順で羊のような子供も、悪い言葉、悪い手本によって天主の聖寵をすててあわれむべき悪魔の奴隷となります。
まことに福音に書いてある通り、この世の望みだけを達して永遠の生命を失うよりも、貧窮、軽蔑、また手足を切られ眼球をむかれても、そのまま天国に入るほうがいかにましであるかは考えるまでもありません。
諸君方の行をみて、笑ったりあざけったりする人が、多分世の中にあるでしょう。
何事によらず、悪い噂は地獄において涙となり、善はたとえあざけりをうけても天国において非常なる喜びとなるものであります。でありますから諸君は天主に忠実につかえなさい。そうすれば、今まで諸君を軽蔑し笑った人々も己の間違っていたことを悟り、返って
諸君の徳を誉めるようになるでしょう。その時は、諸君の心もまた、穏やかになる訳です。
聖アロイジオの周囲に在っては、人々は皆悪い談話をつつしみあいました。時に、何人かが悪い談話をだしても、聖アロイジオを見ると、その談話は自然に消えたそうであります。

子供の読み物についてもまた、深き注意の必要があります。
子供が成長しきる前は、あまりひどい仕事はできない・・・成長しきってしまえばかなりの仕事もできる。・・・・と同様に、その魂も扱わねばならぬのであります。
そこで、子供の読み物を選択する場合は、それぞれの子供の心になってこれをなす善良な
教師を真似なければなりませぬ。
それにつき、ドン・ボスコは「愛する子供らよ!不良書積はペストのようにおさけなさい。
真の宗教や、司祭に反対する本、新聞、印刷物等は、遠ざけてください。不行儀、無礼な書き方は毒杯の如くすてて下さい」と申しています。
こうした場合、不良書の危険についての聖パウロの説教を聞いたエフソフの信者にお手本をとりなさい。その、エフソフの熱心な信者は、広場に悪い本を集めて焼いてしまいました。何故かと言えば、地獄の永遠の火に己をやくより、この世の悪い本を焼いた方がましだと考えたからです。
たとえ、子供がいかに好む本であっても、それが不良書である場合は、これを取って代わりの良書を与えねばなりません。これは、親たる者にとって最も重大な義務でありますが、
多数の人々は、ここに考えをいたしておりません。
ドン・ボスコの教訓にある通り、朝夕の祈りに加えて毎日 精神的な読み物を少しでも為さねばなりません。そうした書物とは、例えば、キリスト模倣とか、聖人伝などのことです。これらの書積は、諸君の上に、いかほど利益することでありましょうか。
そして、読んだ内容を人にかたり、或いは他人の前で特に特に文字の読めぬ人々の前で読みきかせたらいかほど天主さまの前に、功績となることでしょう。

◆第七号 昭和3年(1928)11月14日

御大典に際し、信徒諸子に告ぐ

その日、瑞気天に漲り、歓声地に湧き、万衆の心 敢然として古都に響く。また、文武なる天皇陛下におかせられては天範に則り、いと御荘厳なる御即位の大典を執り行わせたまうを以てなり。我ら布衣にありて、その盛儀を拝するを得ず。よりて公教信徒一同此処に相会し、恭しく奉慶の微意を致さんとす。願わくば陛下の御治世のいよいよ気円にして、皇国のいよいよ隆盛なる、天上と共に、とどこおりなからんことを。
おそれおおくも、陛下が乾綱をにぎり、広献を張り、宵衣肝食、警告安眠の大業に御精励
あらせたまうことは、我らが中外国民ともに、迎合感服するところにして、聖保羅のいさめるところに従い、正にして義なる一切の詔命に復し、国家一旦緩急あるの際、喜んで身命をだも捧げんことを誓い奉る。されど、その奉ずる所の公教の訓規にもとづき、如何なる誓約も、ただ、空文、廃礼にとどまるの何らの益するところなきをしり、今 ここに全能なる天主をあおぎ、我らが最も敬愛したてまつる陛下および、皇室を守護し当来における全ての障害をまぬがれしめられ、且つ、陛下の政府が聖旨を礼し、治績をあげ、国交をおこし、その民をして、各々そこに按ずるを得しめたまはむようにただただ、祈りもとむる所、あらむとする。天縦総明にして仁慈寛広にわたらせ結う陛下御先皇が、特に憲章に依りて、信仰の自由を保障し給うことは、我らが平常感悦して措かざる所なり。
我らは教義の節度にしたがい、国家の権威を重んじ微賤をかえりみず、忠愛、正義、信神の誠をもって、邦家の為、儘悴し、陛下の純良なる臣民たらむことを期する者なり。この
ごときは、また実に我らがその奉ずるところの公教に対して、各自の本務をとげ、聖経の要旨に合なう所以なることを確信する。

◆第八号 昭和3年(1928)12月24日

御降誕を迎えて

吾が主の御降誕!何と美しき事実であろう。星霜二十世紀の長い間、如何に世界中の人間の感情をやわらげたことであろう
我ら信者は、聖公会と喜悦を共にして荘厳なる儀式にあずかり、霊魂をきよめて聖体を拝領し、幼子イエズスに吾が心の讃美と約束とを献げねばならぬ。
 御降誕の日には、三つの玄義 即ち天主として来たもうたイエズス・キリストと、人として来たもうたイエズス・キリストと凡ての人の中にイエズス・キリストの霊的に誕生したまふその意味を示すため、この日 司祭は三つのミサをささげるのである。
さて、幼児イエズスの誕生について少し考えてみましょう。
人祖は、悪魔のいざないに従い天主の戒めに背いた罰として、天主の御聖寵を失い、智恵くらみ、心乱れて苦しむことも死ぬことも免れるようになった。しかも、その罪は子孫に伝わったのである。限りなく尊い天主に背いた罪であるから、限りある人の力では、この罪を贖うことが出来ぬので、人を憐れみたまふ天主は救い主をこの世に降すことを約束したもうた。あわれな、人間に対して、熱烈な愛をもった天主は、救い主としてそのお独り子イエズス・キリストをつかわすため、肉親と霊魂とをそなえた童貞マリアの胎内に、聖霊によって救い主を宿らせたもうたのであった。真の天主として、真の救い主としてイエズス・キリストは今から丁度、1900年余り前、ユダヤ国ベトレヘムの厩の中に降誕したまうたのである。その時、無数の天使が現れて「天においては天主に栄光あれ!地においては、ご好意の人に平安あれ!」と御降誕を祝し歌った。ベトレヘムの付近の野原にあった羊飼いは、一人の天使から救い主ご降誕の知らせをうけたので、急いで行ってみると
、お知らせの通り、まぐさぶねの中にみどりごが寝ていたので、大層よろこび、幼児を前に平伏して拝礼した。
さて、もう少し考えて行ってみよう。人間の罪は、傲慢、邪淫、この世の富のわざである。
イエズスは人々に謙遜、清貧、堪忍の徳を教えるために、厩の中に生まれたもうたのである。人間の罪は、世間的の栄えと誉れとを望むことから来る。
イエズスは、ご自分の降誕を先ず、貧しきものに知らせたもうた。

「全人類の救いとなるべき天主の恩寵表れ、吾人に諭すに不敬虔と世俗の欲とをすて、謹慎、正義、敬虔の念を以てこの世に生活し、幸いなる希望即ち我らの救い主にておわす君、
イエズスの光栄あるご公現をを待つべきである。キリストが、我らのために己をわたしたまいしは、吾キリストが吾等を一切の不義より贖いて、善業に熱心なる固有の民を己がためにきよめたまはんとてなり(チト書 第二章 11~14)

イエズス・キリストさまの教えは、明らかであり日の如くであり。我らも羊飼いにならって厩に入り「イエズス・キリストは何の為に、厩の中に、生まれたもうたか、イエズス・キリストは何のため貧しき羊飼いをまぐさの近くに召したか、この幼児は、何であるか」
と黙想し、我らが、讃美と約束を聖母マリアのご伝達によりて差し上げよう。
 我らは、新たなる霊的誕生により今より信者の義務を一層よく果たそう。この誕生に
よりて、霊魂の回復、罪をくいあらため、無限の善にておわす天主のを万事に超えて愛しまた、天主のため、種々なる善業を以て、他人も自己の如く愛そう。この新たなる霊的誕生をもって、吾らもまた、救い主のご降誕の目的を考え、異教人の感化を求めるため、奮発と熱心とをもって努力しよう。
信者諸子よ!この立派な約束を固くしてください。

サレジオ会霊父一同は、美しきご降誕と来たるべき新年とを迎えるに際して諸子に心から、
「おめでとう」と申します。そして、諸子の物質的、精神的繁栄の上に、天主の祝福を深く希望いたして止まぬ次第である。

◆第9号 昭和4年(1929)1月24日

ドン・ボスコのサレジオ会員並びに、宮崎教区の信者一同は、カトリック界の歓喜中に司祭職の50年記念を行わせたまう。

教皇ピオ十一聖下の上に、カトリック宣伝および、信者一同のためなる善業に富む長き生命を
王たるイエズス・キリストにこいねがいて祈り奉る。

宮崎教区の信者一同は、本年中各自の毎日の祈りおよび、日曜日の集まりにおいて、
ピオ十一世 パパ様を銘記し、その尊き身の為異教人の感化のため、および我が聖会の栄進のために祈るべし。

よろこばしきこと

今月は種々なる意味において喜ばしきことがあります。ご承知のとおり、宮崎教区信者一同は、ローマにおける教皇さまのご希望に従い昨年、十月二十一日布教の記念日を行いました。この祝日にあたって、世界中の信者は、祈り、布教、施しなど種々なる方法を以て心を合せ、各自の信仰を顕す良き準備をいたしたのでした。この時、教皇様のために集まった献金は約五十円でありました。これを、ただちに、教皇ピオ11世さまに差し上げましたところ、ローマから返事として、立派な謝状がきました。その中には、次のように書いてあります。

布教の記念日にあたって、教皇は宮崎教区一同の大なる奮発と、深き信仰とをみて、大層うれしくおもいます。宮崎教区のいよいよさかんならんが為、その宣教師、伝道士、信者たちに天から特別のご聖寵をくださいますように真心からお祝いいたします。

皆さん!イエズス様の代理者の祝福は、我々にとって大切な褒美であります。
信者たるものは、教皇さまに向かって「この世に生きておられるイエズス様よ!下された祝福を深く感謝いたします。一層の発奮をもって信者の務めをつくして、カトリックの宣伝につとめます。願わくは、わが日本のため、出来るだけ早く天主の御国の来たらんことを!」と喜びの情を以て叫ばねばなりません。

喜ばしきことの第二は、本月、二十九日に、サレジオの司教博士聖フランシスコを祝うのであります。しかも、続く31日は、ドン・ボスコが逝った記念日でもあります。
サレジオの聖フランシスコとは、どんな御方であったろうか!
また、何故ドン・ボスコは、自分が創立した会を、サレジオと呼んだか?については皆さん既に、ご承知のはずであります。
サレジオの聖フランシスコは、奮発心もゆる伝道士にして、司教たる御方でありました。
そして、約七万二千に余る離教者をば、聖会に帰らしめたのであります。
聖公会では、公に新聞雑誌の守護者に任じ、ドン・ボスコはこれを己の会の保護者と頼みました。
いかにして聖人は斯くの如き、大事業を為し得たのでしょうか?
「弱き人々を儲けんには、弱き者にたいしては、弱きものとなりいかにしても衆人を救わんためには、衆人に対して、如何なる者にもなれり」とあります。
また、イエズス様のお言葉にも、「我は柔和にして心謙遜なるが故に、我にならえ」とあります。この言葉はサレジオの聖フランシスコに良く適応できるのであります。
ご承知のとおり、ドン・ボスコは、青少年を救うためにカトリック修道会を創りなさったのであります。教育家としてのドン・ボスコが用いなさる方法は、罪を罰するよりも先ずその罪に陥らざるように注意し、喜びと信頼心とを以て適当なる自発心をおこさしめ、心安い親の慈愛を以て彼ら青少年を監督するという方法です。
これよりして、サレジオ会なる意義が解ると思います。
即ちドン・ボスコは、霊魂の救いを得る為には、その方法としてサレジオ会なる意義が解ると思います。
即ち、ドン・ボスコは、霊魂の救いを得る為には、その方法としてサレジオの聖フランシスコを綿密に考えるのであります。

世の父母よ!あなた方も、サレジオの聖フランシスコのように、愛と柔和とをもって子供の身体と霊魂とのために力をお尽くしください!

美しき春は、将にめぐり来たらんとして、もはや所々に梅花の微笑も見えますが、もう
降霜の恐れなしと云い得るでしょうか?
美しき春にも比すべき子供に霜は禁物です。
悪友、悪書籍などは、子供にとって恐るべき霜です。サレジオの聖フランシスコとドン・ボスコとをあなた方の手本とし、道しるべとすることを切に希望いたします。

◆第9号 昭和4年(1929)2月24日

再び子供教育について  ―つまづきのこと―

子供教育に関するドン・ボスコ精神の講和を続け、今回はつまづきにつき申し上げて親たるものの注意を促すしだいであります。
およそ、子供は模倣性を多分に持つものであるから、彼らの目前にさらされる悪き手本については、特別厳重なる警戒を必要とするのであります。他人の仕業、行為が悪の傾向を
持つ時これがつまずきの原因をつくり得る・・・。即ち危険に臨んでるのであります。
釣り針に餌をつけるのは、魚をだます手段で、魚が餌に幻惑されるとき彼は漁師の手中に帰してしまうのであります。
子供にして、道徳堅固なるものは悪にたいして自然的に警戒はいたしますが、それでも一見、甘味らしき巧妙なる悪はこれを判別する確実性をその能力に欠いていますから、子供には不断の注言助力を、与えねばならぬのであります。
ドン・ボスコの言を借りて言えば、「つまづきは、救霊の妨げである。言葉、行為を以て罪の機会をば、他人の為に備える者は、つまづき人である罪としてのつまずきは、イエズス・キリストの御血で造られた霊魂を神から盗みこれを地獄におとし入れ悪魔の手中に帰せしめんとするのであるから、非常なる大罪である」と云い得るのである。
ゆえに他人をつまづかせる者は、悪魔の使者と言われるのである。
悪魔は、自分で子供を我が餌と為し得ぬ場合は、他人をつまずかせるものを使役して遂に
その目的を達してしまう。
聖堂においてまた、街路、学校 工場、店舗などで他人のつまづきとなるものは、わざわいなるかな!彼らの罪の重さは、それを目撃していた人々の数に正比例するのである。
彼らは、救い主のお言葉を聞くべし。イエズス・キリストはある日、子供を伴い来たって
群衆に向かい「されど、我を信ずるこの小さき者の一人をつまずかせる人は、ロバの挽き臼を首にかけられ、海の深みにしづめられるこそ、彼に益あるなれ。つまづきあるが為に
世は、わざわいなるかな。つまづきは来たらざるを得ざれども、つまづきを来す人はわざわいなるかな。(マテオ聖福音書 第18章6-7)と申されたのであります。
若し、この世からつまづきを除くことができたならば、つまづきの為、地獄に行くべき数多き霊魂も、皆天国の道をたどり得るのであります。皆さんはこれ等の憐れむべき人の類を警戒し、悪魔より以上に、一層これをさくべきである。
幼き時代における子供は、悪い話をする人に向かって「憐れなるサタンよ!ここより逃げ去れよ」と言いました。愛すべき子供よ!若し、あなた達が、イエズスさまとマリア様の真の友達になりたいのならば、他人をつまづかせる人を、避け遠ざけるのみならず。その
嫌うべき人が、霊魂達に及ぼす大悪をもまた、善良なる手本によりて、贖うよう努めねばなりません。
皆さんの話は、善良なそして慎みに満ちたものでなければなりませぬ。聖堂では、慎み、
目上には敬愛従順の徳を表さねばなりません
そうした時、皆さんの多くの友達は、皆さんをならって天国の歩まぬ訳には参りません。
そして、聖アウグスチノの言われることによって、みなさんは、天国にゆくことが確かとなるのであります。
斯くのごとくドン・ボスコは皆さんに教えるのであります。

四旬節について

四旬節が始まったのは、およそ千五百年前のことでした。
古は、洗礼を受けんとする救道者に最後の準備をさせるよう定まっていた日は、四旬節の最後の日である聖土曜日の、晩であった。
荒野に退き給いて祈りと苦悩とをもって公生活の準備をあそばした吾主イエズス・キリストに倣う昔のキリスト教求道者は、四旬節を過ごすにやはり祈りと苦業とを以てしたのでした。40年をへて、四旬節を行う求道者に公罪人をも加えるようになりました。
公罪人とは、公衆の前で大罪を犯したものの所以ですが、この罪の許しは、聖木曜日に与えられるのでした。
四世紀になってから、四旬節の断食が一般信者のために定められました。
古の四旬節の断食は、非常に厳格なものであったは、当時の信者は、言葉につくせぬほど、熱心なものでありましたからです。この断食には、一日たった一度の晩食だけが許されたのですが、多くの隠遁者または、平信者さえも四旬節が短く感じられて、幾度も幾度も延ばしたほどです。この、延ばした四旬節の前の断食を記念する日は、現今の四旬節の前の三つの日曜日であります。故に、その三日曜日は苦業に我らを導くものであります。
我らのカトリック信者ならびに求道者たるものは、我が聖公会の精神をわきまえ、平素より一層罪を悔やみなほ益々善徳を励むように努めねばならぬのである。

◆第11号 昭和4年(1929)3月24日

ご復活を迎う

親愛なる兄弟姉妹諸子よ!
本月末ご復活の大祝日を迎ふるにあたって、今しばらくの間共に聖会の教えについて、一考しましょう。ご承知のとおり、イエズス・キリストはご死去のあと、そのご肉体は、岩の墓に葬られ、そのご霊魂は古聖所に下り、三日目にご自分の力でご霊魂を再びご肉体に合わせ、入口の岩を取らずに墓よりお出になって預言どおり甦り給うたのでありました。
イエズス・キリストの甦り給うたのは、天主であらせられることをあきらかに証明し、罪の罰たる死をを滅ぼし、世の終わりに人々が甦るべきであることを確証し給う為でありました。このご復活の結果を、信者の霊魂に及ぼすために聖会は「わが兄弟よ、汝らが既に
既に種なしパンとなりし如く、古きたねをとりてあたらしきパンたるべし。そは、われらが過越の犠牲たるキリストはほうむられたまひたればなり。
故に我らは、古きパン種および悪事と不義とのパン種を用いず、純粋と真実との種なしパンを用いて祝はざるべからず」と教えるのであります。
聖会は、この言葉をもって良き信者たる者の勤めを明らかに定めたのであります。

春にさく美しい桜花や、その他の植物をご覧なさい。新たなる精力に満ち満ちて生き生きとしています。良い信者はイエズス・キリストの手本にならい、新たなる生命を以って、徳の花を咲かせてその実を結ばねばなりません。
古きタネとは自分の罪と情欲と、悪い傾きであります。
善良なる心掛けを以ってこの古きタネを除き、その代わりに信者たる徳を植え付けねばなりません。
ああ、愛する兄弟姉妹諸子よ!
人たるものは、罪を犯してはならぬばかりではなく、なお、その上、天主に対し他人に対し、愛の心をもち、自分自身の勤めをはたし、祈りによって神に近づかんと努めて天主の聖旨に叶うよう、励まねばなりません。ああ、諸子よ!諸子にして良き信者であるならば、
常に良き信仰にふさわしい行いをしてください。
特に、来たらんとするご復活頃には、立派な告解をしてご聖体を拝領し、以って聖会の第三と、第四との掟を守るようにつとめて下さい。
信徳に背くことは、教えを学ぶのを怠り、信ずべきことを疑ひ、公教に反する書籍を読み、信仰の滅亡を醸す如き危険を招き、異説を唱え、公教をすてるなどの破廉恥な行いをいうのであります。
信徳の火には、善業という油を注がぬと次第に消え失せてしまうのであります。
我らは努めてこの油を注がねばならぬのであります。

先ず、公共要理の勉強を以って、その信ずべき訳をしるの必要なることを自覚せねばならぬ。そのうえ、信ずることに則って行動せねばならぬ。
信仰に生きる人は、その行い、言葉、思い、感情の中に、イエズスのご精神が漲っていて、自己は全くそのご精神の支配をこうむって行動しているのであります。
昔或る青年が、その愛する母から白旗を一本もらひました。
母曰く、「日の出のおり、あちらの高い山の頂にこの白旗を立てよ」と。
青年は、喜々として母の言に従い、白旗を手にして山へ登りました。
深い森、険しい道、その上、暗夜であったので、困難と言い、危険といい到底筆紙に尽くされませんでした。青年は、少しも恐れることなく、一生懸命愛する母の命令どおり実行せんと努めるのでした。旗には、立派な金文字で「より高く」と書いてありました。
この言葉を時々思い出しては、何とも云われぬ良い心持ちに浸っていましたが、山路の危険、急坂、寒さ疲労などで弱り果て、やっと頂きに着いた時にはもう如何とも為しがたく、
仰向けに倒れてしまいました。その時に、もう一度、「より高く」とかすかながらも、思いだして旗の上に転がりました。時に静かにしずかに朝日は上って、その美しい光線を青年と旗とにあびせました。
愛する諸子よ!この母は、聖会を意味し、青年は我等信者を示すものであります。険しい山は人生生涯の艱難苦労、頂は天国を意味するのであります。
諸子よ!ご復活に際してイエズスさまは、我等に向かい自己の霊魂を「より高く」上げ、
特別の決心でこの祝日に御聖体を拝領すれば、イエズスさまにより近づき得て、より高き恵みをうけることができましょう。

◆第12号 昭和4年(1929)4月24日

教皇聖下のご金祝を祝う

本年は、我らの教皇ピオ十一聖下が司祭となられて五十年、まさにその金祝にあたっているのであって、信者は種々の方法を以って之を慶賀せねばならぬ。
我ら宮崎教区信者が、この場合の為すべきとは、まず教皇様の為に祈ることを務めとすれば良いのである。我が教区内の司祭一同はミサ聖祭中に教皇様の為に特別の祈りをする。
信者は、日曜日、守るべき祝日のミサ聖祭と聖体降福祭との時、各自自由に教皇様の為に、
祈ることをお勧めする次第である。
そして、本年は記念のため、6月29日の聖ペトロと聖ポーロの大祝日に、教皇様の祝日を致すことにしましょう。
今、尊敬すべき、現教皇様のみ教えの一つを述べるによりご勤続をねがいたい。

諸子がいのられる時、特に布教のため、未信者を聖教に導くよう祈るならば、余の希望に最も適うところである。余はこの事を特に子供および修道女に向かって切願する。
全ての育児院にある子供、全ての修道院にある女子が日々熱祈を天主にささげ、天主のご聖寵が未信者の上に豊かにあらんことを、懇願したてまつるならば、在天の聖父はその罪無き者、汚れなき生活を営む者の祈りをどうして聞き入れたまはぬ事があろうか!疑う余地はない。幼子の心の中に、天主に対する愛徳の花が咲き始める頃、これに未信者感化の為祈る習慣をつけるならば、彼らの中にも天主のお召しだしをこうむって聖職につき、布教事業を助けたいと希望するものが出るであろう。
これ、聖職者を増やさせる一方法である。見よ!哀れむべき謬説を広める為、あれまでに努力する異教者たちを!これに対し真の教会の子である我らカトリック信者がどうして労苦を惜しんでこれ等、異教の徒にさきんぜられようか!布教地において、その土地の者を聖職者とすることこそ肝心事であるを忘れることなかれ!
 布教地の住民の只一人にても、天主の御召しだしをこうむった時、必ず之に背いてはならぬことを、余は命ずる。之は、司祭志願者のみに限らない、修道士修道女をも、その国人にて、養成し、聖教を布教すべき全ての事業に力を致すことのできるように計らい、求道者あればそのものが正しく聖霊を受け得るよう、導き助力致すべきである。

金祝の記念に当たって教皇様は、今年中 全世界の信者の為に、ユビレオをくださった。
ユビレオとは、大赦という意味で信者にして定めた善業を為すならば、この全贖宥を、こうむり得るのである。
贖宥にも種々あるが、就中重大なものは、教皇様が何か特別の場合に施し給うユビレオの
贖宥である。ユビレウムの良き結果を獲るためには次の条件に従わねばならぬ。

一、宮崎・大分・中津の信者は、一日 或いは数日に各所属聖堂に六回参詣し、暫時の間、教皇陛下の聖旨のため、祈ること。
特に、罪人の改悛のため、異端異教絶滅の為、国家平安の為、公教会と教皇との隆盛と自由との為、主祷文、天使祝詞、各六編をとなえること。
二、聖書の制定に定められた期日以外に、二日の大斎を守ること。
三、ご復活の義務以外に告白し聖体を受けること。
四、慈善事業、布教事業の為、身分相応の喜捨をすること。
  祈りに臨んで、各自の信仰の益々堅固ならんことを、天主の聖寵と恩愛の一層豊かにならんことを祈る事。
五、宮崎、大分、中津以外の諸都市および、その郡部にあっては各々の所属司祭から特別
  の規定を受けるであろう。
六、本条件を幾回も繰り返す信者は、ユビレオの全贖宥をそのたびごとに、受けることができる。
七、煉獄の霊魂に、この全贖宥を譲ることができる。

要するに、信者たるものはこの有難い大赦の時期を利用して、ここに全く新たな人となり
いよいよ熱心に天主に仕え奉り、終に天国において極まりなき栄えをとられんことを願う
のである。

◆第13号 昭和4年(1929)5月24日

愛すべき信者皆さまよ!

我らが敬愛する父、ドン・ボスコの福者の位に上げられる日が近づいた。
この事実は、サレジオの世界を一層奮起せしめ至る所、荘厳な奉祝準備が始まっています。
我ら宮崎県教区信者も、心の底から準備せねば、なりません。
その大一番の用意は、ドン・ボスコの徳にならい彼の戒めにしたがうことです。
次の戒めは、まず、自ずからおこない、しかして己が子供に行わせねばならぬ ドン・ボスコの大切な勧めであります。
「怠惰を警戒せよ。怠惰は、哀れむべき悪者であり、成年、老年にも悪を勧める恐ろしい  
 者です。心暖かい子供に時間を空しくさせるのは、これを善の敵に任せるようなものである。」
ドン・ボスコはまたいわく、「悪魔が子供を捕える時、一番先に使う罠は、全ての悪癖の
因になる怠惰である。愛する皆さんよ、人は一方働くために生まれているから、働きおこたる人は自分の生存理由を忘れ、天主様に背く危険に臨んでいることを思い出しなさい。」
と申しておられます。
聖霊いわく、「怠惰は全ての悪癖の父である」と。働きは、悪癖と威勢よく戦いを交えて遂に勝利を占めます地獄に居る人々の一番苦しむところは、救霊のため、天主様から与えられている時間を空しく使ったことが、因となっています。
しかしながら、みなさんは全ての休みをすてて、朝から晩まで働きなさいと勧めるのではないのです。
子供をたのしませる無害な遊楽、精神と身体とを休養せしめる良い遊びは差し支えないのです。けれど、親や目上の許可なしで遊びに行ってはならぬ。遊びの時も、会話の時も、常に天主様を思い出し、その遊びを天主様に捧げ聖パウロの言うとおり、全てことを天主様の栄えのために行わねばなりません。
ある時、聖アロイジオが遊んでいると、或る人が寄ってきて、「アロイジオさん、若し天から天使が来て、もうじき死なねばならぬと仰せられたら貴君は何をしますか?」
と尋ねると聖アロイジオは「この遊びは、きっと天主様の聖旨に適いますから、私は相変わらず楽しく遊び続けます」と明白に答えました。

聖霊降臨

荘厳に祝われる聖霊降臨の大祝日は、カトリック教の誕生記念日である。
この聖会を創立したのはイエズス・キリストであり、御みずからの生命を以ってその生命となし、人間の体におけるが如く漸次に成長するものとなしたもうたのであった。
キリストは、最初から神の思想の発表機関を設けたもうた。それはキリストがペトロより
「汝は活ける神の子キリストなり」と断言されたもうた直後、教皇の位を定めたことによって知ることが出来る。実に教皇は現世における神の思想発表機関であり、之を以って全ての信者に真理を表すのである。
故に教皇の無謬(むびゅう)の特権は、当然の当然と言わねばならない。
最後の晩餐の時、キリストは聖会の心臓を作りたもうた。
これ聖体の秘蹟の制定であって、心臓が身体の生命の源である如く、イエズス・キリストの真の御体、御血なる聖体も聖会の生命をつかさどるのである。
キリストは言われた、「我は生命のパンなり、我が肉を食し、我が血を飲む人は永遠の命を有す」と。(ヨハネ6章 第35・36節)

聖霊降臨の日に於いて、キリストはご自分の建てたもうた聖会にご自分の愛を遣わした給うた。これ即ち120人の弟子らの頭上に火の舌の形にて降りたまうた聖霊がそれである。
聖霊降臨は、聖会の受けた洗礼ということもできる。
即ちキリストの約束は次の如くであった。
曰く、けだしヨハネは、水にて洗したけれども、汝らは久しからずして聖霊に洗せられるべきなり」と。
この愛の火による洗礼は聖会の智慧をひらき、心をやわらげ、また、聖会の智慧を開き、心を和らげまた、聖会をして完全な組織となし、自らを明らかに認めるに至らしめたのであった。また、この聖霊によって聖化せられその全ての子供たる信者をも等しく聖化されるのである。実に、貧乏にして、無学なしかも数十日前に御苦難の際にその師を打ち捨てた臆病者のペトロさえ、聖霊降臨後、直ちに数千人の前へたちあらわれてキリストを告げ教える有様は、熱烈の日そのものであった。
後日、ローマにおいて勇ましく殉教したのは、この日にこうむった力によるものであり聖会をさかんならしめ、霊魂をきよめた奮発心、万国よりあつまり来た人々に高尚な宗教を伝え、しかも異なれる国語にて各人に真理をを授けた能力も全てこの聖霊降臨によって得た賜物であったのである。この最初の聖会の頭の説教に改心したものは、三千人を数えたのであった。そして、彼らは洗礼によって真の神の子聖会の子供となったのである。

この時、パレスチナの一角エルザレムにおいて行われた事実は、今や全世界に行われその時のペトロは、今日の教皇ピオ十一世であり、聖霊を受けた120人は、全世界の三億万のカトリック教徒であり、かのエルザレムは、世界の六大州である。
原罪によってよごれた人類は、聖霊によって清く聖化し救霊を得る一つの機関をあたえられた。これ即ち、カトリック教におけるイエズス・キリストの生命にあづかり、これによって救われることであってこの聖会こそ、エバ すなわち生ける人の母である、ああ、幸いなるかなこの生ける母の子!
幸いなるかなカトリックの信者!彼らこそ、完全なる救霊が保証されたのである。

◆第14号 昭和4年(1929)6月24日

喜べ!!!
「ドン・ボスコ!ドン・ボスコ!地の果ても 世の末も歌はんかぐわしき名を!」
と昨日まで、昨日まで未来ある青年らは夢中になって歌っていた。
しかるに今日において、ローマの聖父 ピオ十一世聖下は、ドン・ボスコを祭壇上に掲げ
荘厳な式をもってその生前、死後の奇蹟を讃えられた。その上、現教皇聖下の声は、全世
界の青年の声を強め、祈りの声の如くにしたもうたのである。そして、ドン・ボスコを聖
人の位にあげ、全世界のカトリック信者をして尊敬せしむることを発表したまい、その
バチカンの丘より発せられた永遠の光の反射は、ドン・ボスコの天才的偉大な事業に益々
光輝を添えている。喜べ!!!世人はこれを目して精神的偉大なる征服者、霊的巨人とい
うのであろう。昨日まで、他人からその事業を認められず事ごとに反対されていたドン・
ボスコは、当世紀における最も優れた者と呼ばれ、「その布教の為に、神より遣わされて、
名をヨハネと言える人ありき」と聖書の言葉を引用されるであろう。
実にドン・ボスコの列福式は、世の大なる喜びと絶大なる希望のもとである。喜べ!!!

◆第15号 昭和4年(1929)7月24日

著作家としてのドン・ボスコ

福者ドン・ボスコは著名な、そして余裕酌々たる著作家であった。
世人は、活動的な福者が偉大な事業を創立し、且つ之を管理する傍ら、毎日数百の来客を迎え、毎月しばしば旅行し、修道会の困難な、また、多端な事務を処理し、教皇および各司教の依頼する問題、イタリア国諸大臣の託する諸問題を解決するなど、枚挙にいとまがない程の福者の事業を感嘆しつつあるのに、なお、福者の手になる数百程の著書を見てはただ驚異の眼を見はるほかはないであろう。
これらの著作は福者の活気の如何に敏速なるか、また、如何に不思議な腕をもっていたかを表すものである。
福者は、幼少の頃より歴史物を多く読破し、司祭となって後もその勉強を続け、忘備録を作り、その忘備録には主として、カトリック教会と教皇を守る材料を集めていた。
暇さへあれば、一分間でもこれを著述に利し、もし日中時間がなければ、夜中にこれを求めた。時には、印刷所より催促される月刊小冊子の原稿を一夜のうちにつくり、これがしばしば、普通の努力の所産よりも見栄えあることもあった。
旅行中は、革包みの中に、雑記帳や校正中の印刷物を入れていないことはなかった。
馬車に乗っても明るい間は、著作を専らにし暗くなって後始めて御者のそばに、腰をおろして色々興がり、しばしば話を霊魂上に及ぼし 往々にして正しからざる御者を改心させ、
その場に告白を聞くこともあった。
車を乗り換える時間があれば雑記帳をだして壁により又は安飯屋の机を利用して著作に余念がなかった。かくのごとく時間を失わざるようにした結果、多くの著書を残したのである。福者は智恵が敏速軽快で、思想豊富に記憶力強く且つ同時に多くのことを考えることができた。

福者の著作の価値

かかる多くの著作をみて、あるいは福者の作は軽率なものが多いだろうと考えられるやも、計られないが、それは妄断にすぎない。その著作は印刷される前、他の多くの有名な著作物と比較され、のみならず福者のイタリア語は最も流暢にまた、軽快にして当世紀における著作家の第一流者であった。福者は、読者の心を動かすためその作を単純にまた、理解しやすく書いた。その印刷前には必ず門番か母かに読んで聞かせもし不明の点があれば、これを訂正することを忘れなかった。

福者の著者

福者の著者は、四種類に区別することができる。第一種は、歴史および科学に関するもので例えば、青年向けイタリア史の如きは、大学者までも称賛し 当局より賞品を受けたほどで、三十六版を重ねた。また、聖会歴史は四十版を重ねた程である。
第一種は、人生問題と聖人伝を取り扱ったものである。
それは、短にして大なる刺激力を有していた。
例えば、ドメニコ・サヴィオ伝、ルイジ・コモルロ伝、ミカエル・マゴネ伝、フランチェスコ・ぺゾッコ伝、司祭ヨゼフ・カファッソ伝、教皇ピオ9世の逸話、聖ヨゼフ、洗礼者
ヨハネ、聖パウロの伝、第一代教皇聖ペトロより三十三代の各教皇の伝がある。
第三種は聖母マリアとその信心についての著作で、万人の知るごとく、福者ドン・ボスコと聖母に対する信心との間は、離すべからざる一種の密接な関係がある。
したがって福者は、聖マリアについて八冊の本を著した。
また、信心書中有名なものは青年用のもので、一千版を重ねている。
これ多くのロマンスが罪悪を流布しつつ、悪人の愛読者があるごとく、慎重な本もまた多くの愛読者を見いだす証拠である。
第四種とは、公共要理と護教書と、娯楽書である。
これ等の著作は、福者の光栄を益々 輝かすもので、彼のドン・ボスコ時代のウアルデジの如何に盛んにピエモント州によっていったかが知られる。
福者は、彼ら異端者の矢面にたってこれを防いだのであった。
彼らはしばしば福者を殺さんとはかったが、かえって人民は福者の著作により大いに信仰を養い熱心な信者となるのであった。

ピオ十一世聖下は、ドン・ボスコについて話されるおり、著作家としてのドン・ボスコを指して「この忠実な神の僕は、その著作の力を何所よりもとめ得たか?
これこの秘密は、我に霊魂をあたえ、他を取り去り給え」との福者の口よりほとばしった
ところの叫びの中に見出せる」とおおせられたのである。
実に福者の一生は他人の救霊すなわちその行と言葉を著作によって誤りなく天国に導くにあったのである。

◆第16号 昭和4年(1929)8月24日

子供の自然性を無理に押えるな

子供のあふるる元気に警戒せよ。この元気は或いは自然に従い、或いは自然に反して使われている。自然に反して用いられる時は、子供の本質は、損なわれてしまう。
ドン・ボスコは「阻害せずに子供を思う存分跳ねさせ、走らせ、騒がせよ。従順、徳、健康を得る為に最も適当な方法は運動、音楽、演劇、遠足これである。
ただ、注意すべきは、これらのものの種類、芸題、これに関係する人々らについてである。
しかしてまた、述べられる講和は、善良のものでなければならぬ。
青少年の大愛人であったネリの聖フィリップは子供に向かって、「何事をするもよろしい。
只 罪を犯さぬようにせよ、只これだけあれば足りるのである」と言った。
と教えたのである。
これによって見る時、不自然的に静かなおとなしい、しかして沈黙している子供を望むのが当を得たことであろうか?
かく考えて行う人があれば、それは子供を誤らせてしまうものである。これでは、その教育の結果は損害となり、得るところは利益に代わるわざわいとなり、与える愛は虐待、憎みに変じてしまう。
実に、自然に湧きおこる元気は絶対に子供にとって必要なものであるから、これを無理に押さえることは、誤謬、不正義、損害、虐待である。
祈りは良いことであり、秘蹟をさずかることは、最も良いことであり、悪友や悪所をさけることは最も褒めるべきことであるが、これらの事のみである足るであろうか?
否々、ドン・ボスコはこう言った。
「阻害せずに子供を思う存分跳ねらせ、走らせ、騒がせよ」と。
それは、あやまっているだろうか?否、右らのことと同時に行われる時、これが子供の教育に、最もふさわしい事となるのである。
若し人あって、子供の愉快な声、騒ぎ、賑やかな遊び事などに嫌悪を感じてこれを抑えるならばその人は数年前、自分がしてきた生活の姿を忘れてしまっている者であろう。
彼は、何人の名によって不自然な抑制を命ずるのであろうか、それは道理の名によってであろうか?ところが、道理は古いことわざに言っている。
「絶え間なく張られた弓は弱くなって終には切れる」と。
しからば、それは、宗教の名によってであろうか。
いやいや、天主は何人にも「喜びにおいて天主に仕えよ」とのたまい、親には、「自分の子供を怒らせるな」と言われた。

子供が、自然の活力元気の発動を妨げられたとき、彼らの心の内の愉快は失われ、次いで養われるものは憤怒である。
おとなしい良い子供を持っていると信ずる人々は、とくと右の事を考えてください!
他日、あなたが偽りの純白の姿の中に、淋しさと怒りの哀れな悲しむべき結果を見いださぬために!そしてまた、あまりにも遅い後悔をせねばならぬことのない為に!

ドン・ボスコの舌と肺

去る五月中旬に行われた福者ドン・ボスコの遺骨検査の結果によれば、御体の部分中完全であったものは、舌と一つの肺であった。
これを耳にしたドン・ボスコの信心深い多くの友は如何に喜んだことであろう。
ドン・ボスコの一生を通してみるとき先ず、新司祭になられた時代が目につく。
その当時について、福者が自ら著した次の記録がある。

新司祭は、自分が初ミサを立てる時、願う恵みは、天主が必ず与えて下さることを確信している。私は、霊魂のたすけを励ますために、熱心に言葉の賜物をねがった。
天主は、私の貧しい祈りをお聞きいれくださったことと思う、と。

実際そうであった。ドン・ボスコの談話は普通のそれではなかった。当時の演説法は論文を素読するような調子のものであった。
聴衆はこれが、理解に苦しむものであった。しかし、ドン・ボスコは、修辞法を変えて何人でもわかるようにはなした。のみならず、福者の話を聞く人は何びとも心をはなはだしく動かされ聖人の言葉を聞くと同様だと噂していた。また、福者は自分について話す人のためにも言葉の賜物を願ったそうである。

後日、ドン・ボスコが死の床についた時、多くの人々が間断なく熱心に福者に面会を求めたので、医者はこれを禁じようとした。ところが、福者は、「何人に対しても、善を行い、一人をも悲しませてはならぬ」と言った。
しかし、二、三人に対した時は、甚だ疲労したので、側らのドン・ルアに向かって「あの・・・
二つの肺を貸して下さいませんか。私のは、ずいぶん汚れたから」と言った。
実に、ドン・ボスコはその一生涯天主の光栄のために働き、その教えを述べるため自分の肺を使いつくしたのである。天主は、彼の名をいよいよあげんため、また人間のなかにも特別多くの報いを得させんため、ドン・ボスコの舌と肺を保存したもうたと言わねばならぬ。
福者のその舌と肺は遺物として、サレジオ会の宝物とするため会長ドン・リナルジにあずけられたのである。

◆第17号 昭和4年(1929)9月24日

まず子供に自覚をおこさせしめよ

霊魂の敵に対抗するに先だって、教育者は先ず子供に自覚を起こさせないといけない。
さて、これは如何なる自覚を言うのであろうか。ドン・ボスコは、次のように言っている。

悪魔が子供を徳より遠ざけるためにいる。

悪魔が子供を徳より遠ざけるために用いる悪手段は、主に次の二つである。
第一には、天主に仕えることが、あらゆる世俗の楽しみを避ける淋しき生活であるということを子供い思わせます。
愛すべき子供よ、事実はそれと全く違うのです。私は皆さんにキリスト教的な生活方法を教えてあげましょう。
これによれば、満足して愉快になり同時に、誠の遊びや楽しみとは、どんなものであるか
がわかるのです。それは、皆さんが、預言者ダビドと共に、「快く天主に仕え奉るべし」ということを唱えることにあるのです。
第二の悪手段は、長生きを期して老年になってからまた、臨終のとき改心させようといざなうことであります。
私の大好きな子供よ、注意しなさい。かような考えに騙された者が少なくありません。
私どもが老年まで生き得ることを誰が、確言しましたか。
死と話し合って臨終時を知り、これを持ってからにしたら良さそうですが、死も命も共に
天主様のお手にあって天主さまはおぼしめしによってこの生死を左右なされます。
天主様が、皆さんに長生きをお与え下さるならば、「人は少年時代より歩み出す道を老年になっても死ぬ時までもこれを続ける」という聖霊の戒めに注意してください。すなわち、言葉を変えて言えば、若い時から良い生活をはじめれば、歳をとったときも正しい人であって、永遠の幸福の始めなる死も誠に楽しきものである。反対に若い時から悪習の奴隷となってしまえば、哀れなる永遠の苦の始めとなる死の際まで、これに従わねばならぬのでありますまいか。皆さんは、こうした禍をまぬがれる為に、また、親のなぐさめ、国家の誇り、地における良き人、天における幸福なものにならんために私は簡単にして、容易なしかも十分な生活方法をしめすのであります、と。

二、我らは子供において誠の善を求めて、これを真実に可愛がることを被教育者に悟らさねばならない。ドン・ボスコはこういった。

私の大好きな子供よ、私は一心に皆さんを愛しています。私が、皆さんを大いに愛する訳は、皆さんが歳の若いものであるという一点の理由からであります。
それは、皆さんが、その心の中に、優れた徳の宝を保っているからであります。
実に、皆さんがこうした宝を持っている間は、他の全ての良いことをも同時に所有しているのですが、もしそれを失ったならば、皆さんは最も不幸な最も哀れな者となってしまうのであります。
天主様がいつも、皆さんと共に在らんことを!皆さんが天主様の栄えをさらに増し、自分の霊魂をすくわんことを!私どもが創られた目的は、実にここにあるのです。

◆第18号 昭和4年(1929)10月24日

我がサレジオ会に送られた使節閣下の書簡

最も尊敬すべき神父様

先日はお手紙誠にありがとうございました。
教皇様の金祝に当たる本年、全世界の信者と心を合せて我らに一つなる聖父に対し、宮崎教区の信者が表した熱い霊的の共同を何よりも喜ぶ次第でございます。
教区の信者が、己が敬虔を明らかに表すため、必ずしのばねばならぬ節制は大いに教皇様の聖心にかなうものであります。
そして、聖父は来たる12月21日付けの「ウルビ・エト・オルビ」(ローマと全世界へ)の出版の御祝いをもってあらゆる人間の業に、また、宮崎教区の上にも、無限にこゆる聖寵により百倍の報いをお与えなさるのでございます。

神父様、貴教区の信者各位に下したまうかくの如き、聖父の慈愛をお察しくださいませ。
尊敬すべき神父様!荘厳な貴会の精神を信者らに理解せしめた貴師および貴師とともにはたらきなさる宣教師らに、私がここになす賞賛をお伝え下さるようにお願いいたします。
東京 1929年 9月7日
ローマ教皇使節 エム・ジアルジェ

子供に対する虚偽の愛情

子供は、教育者(両親・先生等)にとって犠牲となるべきではなく、教育者が子供に対して、犠牲とならねばならない。
神が諸氏に、子供を与え預け給うたのは、子供の愛らしさ、肉身の美しさ、純な賢さ等を楽しむ為にではなかった。神がそれを諸氏に与え預け給うた理由は、救い主イエズス・キリストに逢う道に子供を歩ませるが為にであった。
キリスト様ののたまうには、「全ての権は、天にまします父よりいずるが、それは仕えられるためではなくて仕えるためである」と。
諸氏は、諸氏が子供に対して持つ愛を調べてご覧なさい。それは、快く呈した犠牲ではなくて並みの自己愛ではなかろうか。

ドン・ボスコはこういった。
「虚偽な、そして不完全な教育の原因はどこにあるか。それは、主に 自己愛と誤ったる
心情より来たる。ある人は、子供のために身を捨てるかわりに子供を楽しむ工夫をこらす。
自己愛に限られた盲目な情は、たとえそれが、真心より生まれたものであっても、盲目的に可愛いがられた当の子供に傲慢的勝利を得さしめ、感覚的快楽をおこさせる。
ある人は、珍貴の言葉を借りてどこでも年のゆかぬ子供の素質を実際以上に、上げようとする。自分の子供は、このように褒められることを欲し、また己は、他人の前でこれを誉めることさへあえてする。
しかるところ、こうした人は子供の虚栄心をずんずん延びさせて、やがてはこれがわがままになりまた、嫌うべき自己主義になることを悟り得ねばならぬのである。

かくの如き人は、一般に子供の先天的傾向である感覚的の愛情のみを楽しみとする。
子供の先天的傾向である感覚的の愛情のみを楽しみとする。子供の自然の優しさに憧れ、
子供よりなつかれ喜ばれることを求めている。誠にこれは、子犬にたいするのと同じことである。
よって、この種のひとは、怒りと悲痛を心に抱いているとき、子供がうるさくする時、不従順なる時、やかましくする時に、これを無法に罰するのである。
結局これらの人々は、子供の愛らしさ一点のみに遊ぶのである」と。
子供に対する右のような愛情は真実でないどころか、実に大いなる誤謬におちているものである。そして正しい子供の人格は作られないのみならず、ただこれが損なわれてゆくだけである。

◆第19号 昭和4年(1929)11月24日

子供の意志教育

もし吾人が、子供を喜ばせんとして、彼らの感覚と智恵とを無理に発達させるのみで、子供に対する義務教育をつくしたと思ったら、それは大なる誤りだ。
ドン・ボスコは言った。
「ある教育家は、人生とその才能の関係を知らずまたこれを認めずして、子供の智慧と感覚のみを開かんと励み、感覚の才と愛をこれに織り込む。このように人は、真実の無垢の愛の原因は意志であり、感覚はこれに対する虚偽の想像であることを忘れて、最上の才能なる意志を軽んずる。故に、彼らは精神才能の協同進歩を指導すべき調和を乱し、拙いものとして己に任せられたる子供の弱い性質を損なう」と。
諸氏が、子供を発達させるため善良な道を踏んでいるか否かを知りたくば、子供が意志によるか、或いは智恵と感覚によるか否かを調査すべきである。
ドン・ボスコは言った。「智恵と感覚は熱中しすぎる学問に励まされるとき、霊魂のあらゆる力を滅ぼし、その全生命を奪いやがては絶対的噴気質と、デリケートな性質のみを得るにいたる。
したがって、子供は、急激に思考し熱烈に構想する。
そして、変化しやすい者となり、その記憶は尽力せずして最も微細の状況を保ちその感覚は何人に対しても憧憬にとらわれる原因となる。
しかるに、このあっぱれな天才は実に恥ずかしき不足と、あはれむべき薄弱を内に蔵するゆえ、子供時代のみならず、青年に至るまで思想の早急にひっぱられ、考慮することと、
規範的に行うことができない。彼には、良い意向、賢明、限度等 一般に実行的な精神がなく、順序も方法もないのである。従って上下を取り違え彼の言行は、速やかな変な過激的なものとして人を驚かすに過ぎない。
なお、昨日は真として、主張したことを今日はその正反対を唱える。
かかる子供は、仲良くしやすけれど、不断の愛がないため情を忘れやすく、悪くはなくとも我がままのみを知り、その性質の特徴は早急と変化のみである。
こうした教育者は、子供に人格をあたえようと思ったが、実際は、知恵と欲望に満ちた意志の弱い者を得てしまう」と。
しからば、いかにしてその誤りをさけようか。
ドン・ボスコは言った。
「子供の意志を養育すべきであるが、繰り返し繰り返し子供の愛情と、誠心とに徳の行いをたのましむることによる」と。
之に反し、多くの教育家と親は子供の意志を育てないのみならず、これをころしてしまうのである。

◆第20号 昭和4年(1929)12月24日

タンギー霊父の銀祝を祝す
神秘の愛に心燃え、始めて祭壇に上られてより、今日まで25年、師の全生涯に一光輝を添えるこの祝典に我らは、心よりの歓喜を禁じ得ない。
25の星霜中には、如何に多くの艱難や悲苦があったことであろう!
天主の恩恵を頂いて、母国フランスを離れ、スペインに行ってそこに長くとどまり、重大なる事業を完成し、次いで起こった欧州大戦には、愛国の血潮を躍らせて従軍された。
平和がめぐった時、師の心の中には師の心の中にはイエズスの炎が一段と燃え盛り、万難必ず伴う外国宣教に志をたて、一日も早くその希望実現の許しを長上に願ったのであった。
こうして、わが日本が迎えたタンギー霊父は、年齢こそ50を数えるが、キリストの愛は常に師に与えるに若武者の元気を以ってしている。
諸兄姉は、我が日本の為に、尽力する霊父のため天主に祈らねばならない。
願わくは天主よ!師を金祝にまで、達せしめ、今後 益々我が日本のため、師にご保護を垂れたまわんことを!

子供の心を満たせ
子供の自然的な活動を無意義に妨げてはならないのは無論であるが、これをもってのみで万事足れりと言い得ないことは、明らかである。
遊戯と運動とは子供の全生活の半ばを満たすのみである。残る半ばに対する満足は、心が要求する飼料による。すなわち、心はその飼料として、愛すべき事物を要求している。
斯く考える時、親たるもの教育者たる者は、この点につき良き勧めをする必要が起きてくる。子供に、「悪いことをするな」とは言わないで、「良きことを好め」と言えば、一層結構なことである。
何故ならば、子供が良いことに心を奪われてしまうときは、悪に対して注意を促す必要がないのである。
事実、心の健全なる防備は、肉親の健全なる防備に似ている。
我らが、ガラスの器の中に閉じ込もっても肉親に対して病気になる全ての害毒を防ぎ得ぬ。
従って健康を保つには本能と経験が教えることによらねばならぬ。
すなわち病気にかかりやすい肉親の弱いところをなおざりにしないで、身体を養い強めねばならない。健やかな栄養豊かな強い人には怠り得ぬ厳重な防備があって、抵抗すればするほど益々危険に勝つことが出来るのである。
これと同様に、子供の心が天主を慈悲深き父とし、イエズスを優しき贖い主、友とし、聖体拝領を神秘なる食物とし、童貞マリアをいとなつかしき母とし、守護の天使を最も忠実な友とし父母を最上の恩人とし、家庭を自己の自然のとし教会をキリスト教生活の中心とし、君を天主の代理者とし、国家を天主の定め給う働きの場所として学問と仕事を義務とし必要とする時、子供は俗悪、無礼、悪思想、けがれの言葉、恥ずべき行いをなす余裕を持たなくなるのである。その小さき心は聖き清い愛と、好きな遊戯に満ち、香料の器のようになるのである。
子供の心の上に、「満員」と書くことの出来る者は、実に幸福、賢明な考え、真の教育者である。如何に堅固な防備を計っても、子供の心を空にして守ろうと思う者は誤りである。愚かであり、幻想に陥った者である。悪は、隙を狙って思いがけない道から心に侵入し之を飽きさせ、我がものとして遂に追い出して難きものとなってしまうのである。

◆第21号 昭和5年(1930)1月24日

児童が読むべき道は、平易なるべし

如何にしたならば、児童をして、凡ての真の美と善とを、好ましめることができるだろうか。
ドン・ボスコは、主イエズス・キリストの聖行を、繰り返して言っている。
「まず、実行すべし。しからば、教えられるべし」と。
この言葉を、説明すれば、即ち皆さんは、先ず子供に先だって天主、イエズス・キリスト、
童貞マリア、秘蹟、教会等を敬愛するか否かを調べて見よ。
これらに対する敬愛があるならば、皆さんは児童教育に当たって既に多くの言葉を要さないのである。児童は考える前に、見て倣い、ついにこれを愛するにいたるだろう。
今、論者は「おそれ」と言わずに「愛」といった。
もし、皆さんが、天主を懲罰者としてのみ、児童に思はしむるならば、これを天主に対しては侮辱であり、児童に対しては害毒を伝えるものである。
誠に悲しい事実であるが、多くの人々が、信心のあらゆる感覚を失った理由は、天主を只、いわゆる警察的のものとして認めるのみで、天主は、愛情の父、善良の父、慈悲の父であり給うと言う福者の根本的な真理を理解できなかったことにあった。

こうした習慣を与えられた児童は、年をふると共に、ともかく繋がっていた恐怖の感覚は消えてしまい、愛における自然の矯正の助力を、得ないのでその心は空となるのみならず、
宗教に反抗する精神さえ心中に目覚めさしてしまう。

ドン・ボスコは、児童に向かってこう言っている。
「我が子供よ、目を上げ、天と地とにある万物をごらんなさい。日、月、星、空気、水、
火等はその始め、存在しなかったものであり、また自らに存在しうる者とては一つもなかった。然るに天主様は、その全能により、これらすべてを無より造りいだされました。
それ故、我らは、天主を呼んで、造り主と言います。
始めもなく、終わりもなくして、自ら存在したまう天主様は、天と地とにある万象をつくりたもうた後、目にみえるものの中で最も優れた、最も完全なものなる人間を存在せしめたもうた。故に、私どもの目、足、口、舌、耳、手などは、皆天主様の賜物であります。

人間は、他の動物とは違います。人間は、外の動物とは違います。人間は、思い、考え、善、悪に対する良心、そしてこれらをわきまえうる霊魂を備えられているものです。
霊魂は、即ち霊ですから肉体は死んでも、これと一緒に死ぬ者ではありません。
肉体が墓穴に持ち運ばれる時、霊魂は既に、無くなることなき他の生活を始めています。

肉体に支配されていた時分、善い事を行った霊魂は、この時から、永遠の全ての楽しみを得て、いつまでも天主様と共に、幸福を受けるのでありますが、悪い事を行った霊魂は、火以上な、そしてまた、なお全ての苦痛を持っている地獄の中において、厳しく罰せられます。
さて、我が最愛の子供たちよ、ここに注意せねばならないことがあります。
皆さんは、皆々天国のために造られました。
ですから、もし、天主さまが地獄を以て或る人を罰し給わねばならぬ時は、非常な悲しみを味わいたまうのです。
ああ、我が愛する子供よ、ここに真に、天主様は皆さんを可愛がり、皆さんが良い事を行うのを望んでおられるのである。
そして、皆さんの為にも、天国に整えられている幸福の、配られんことを望んでおられるのです」と。

◆第22号 昭和5年(1930)2月24日

愛すべき 宮崎教区信者諸氏!

久しい間皆さんと離れていましたが、心と思いと祈りとをもって常に皆さんと一致し、皆さんを決して忘れたことはありませんでした。
只今、多くの、補助者を伴って、皆さんの霊魂のため、日本のため、再び宮崎へ帰りました。
このたび、宮崎に「ドン・ボスコ神学院」が創立され、十名の若い紳士達が、他日立派な宣教師にならんと、一生懸命勉強をはじめました。
また、修道女院も立ち、六名の童貞は、サレジオ会と力を合せて皆さんの子供教育のため、
また、霊魂の内に天主の御国を建てるため、全身をささげているのであります。
また、喜ぶべきことには、教皇ピオ11世聖下の祝福を皆さんに伝えることで、ございます。現教皇ピオ11世聖下の祝福を皆さんに伝えることでございます。
現教皇聖下が、如何にカトリック宣教をよみせられ、そのために御働きになり、そして、
皆さんの善を望みあそばすかは、既にご存じのところでありましょう。
諸氏がこの祝福を受けるにあたり、教皇様と聖界の繁栄のため、祈らねばなりません。
終わりに一言述べたいのは、私の不在中、日本にあった宣教師たちが、奮闘しつづけた職務を、再びここに託された記念として、私は、天主様の次の聖言をみなさんのために唱えましょう。曰く、「汝は義によって汝の霊魂の為に、煩悶せよ。しかして臨終の時まで義の為に、奮闘せよ。しからば、天主ば汝のために汝の仇敵を滅し給はん」と。(箴言 三の三四)
愛すべき諸子よ!皆さん、自身ならびに子供の救霊の問題を考慮すれば、何人も邪魔なる暗黒の言葉と無為などを捨てて、いかなる犠牲をもっても、これをしのいでいくでありましょう。
 願わくは、天主様が霊魂上にも、物質上にも、皆さんを祝し給ひ、その聖寵が私共と共に留まらんことを。 チマッティ教区長。

貴重なる時間

天主へ近づく為に、最も相応しい時期は、幼年期であることを、児童によくよく説くべきである。
ドン・ボスコは、子供らに向かって次のように言っていた。

皆さんが幼い自分から、善良な子供であるならば、一生涯の間も、またきっと良き人であって、遂には、栄えの幸福を報いられるでしょう、と天主様はお告げなさるのです。
これに反して、幼少時代から作り始められた悪い生活は、たいていの場合、生命の終わりまで続くのであって、こうした人達は、己を当然地獄へ導くのであります。
そこで、もし皆さんが、救い難い悪習慣に染まりきっている年寄を見る時、その悪習慣の始まりは、その人の幼年時にあったと言っても、ほとんど間違いではありません。
「人は年老いても、若い時分から守った道こそは、到底捨てがたい」と、聖書にあります。
そこで、天主さまは、子供に向かい「ああ、子よ、若き時より汝の創造主をを想えよ」と
言います。また、天主さまは聖書に、「若い時から、十戒を守った人は幸いである」と仰せられます。真に、聖人達には、このお言葉が良く了解されたのでした。
特に、リマの聖ローザと、ゴンザガの聖アロイジオは、幼年の時から熱心に天主様に仕えましたので、聖人後、天主様との関係を味わったのみで、名高い聖人となりました。
これと同様に、トビアの子供も、何時も何時も親に良く従いましたので、親が死んだ後も
そして、その晩年までも、純白の心に暮らすことができました。
所で、子供の中には、私どもが、今から天主様に仕えだすならば、早く淋しいものになってしまいましょう」と、言うものがあるかもしれません。
決して決してそうではありません。
悪魔に仕える人こそは、早く淋しいものとなる・・・。何故かと言えば、こうした人は、いかほど愉快な顔をしようと思っても、涙でいっぱいになっているその心が、「お前は、天主の敵だから不幸です」と内心から常に呼びかけられているからです。

真に、早くから天主様に仕えた聖アロイジオ以上に、穏やかなそして喜びに満ちたものがどこにあるでしょうか!
また、ネリの聖フェリッポや、パウルの聖ヴィンチエンシオより以上に、嬉しく愉快な者が他にあるだろうか!
この聖人の一生涯こそ、始終徳の実践強行でありました。
我が、最愛の子供達よ、いざ、早く全善の天主様の奉仕に身を捧げなさい。
さすれば、皆さんは、喜びと嬉しさを心の中に持ち、天主様に仕えることが、如何に優しく如何に懐かしき事であるかを、明らかに悟るに至りましょう。

◆第23号 昭和5年(1930)3月8日

愛する信者諸子に告ぐ

3月5日は、灰の水曜日である聖会は、この日を以って四旬節の始まりとなします。
四旬節が定められた理由は、私どもをして、主イエズス・キリストの40日間の断食
間の御断食に適わせ、主の御受難とご死去を私どもに尊ばせ、罪の償いをもって、私共に
ご復活の準備をさせるためであります。
従って、諸子が達すべきこのこの目的への道程を容易ならしめる為に、今、二 三の事柄を申し上げたいと思います。

大斎と小斎

私どもは、主のなしたもうたご断食を考え、肉体上の欲望を制し、殊に四旬節の間、聖会の第五と第六の掟を謹んで厳守せねばなりません。すなわち、妨げなき限り、大斎と小斎とを守るべきであります。また、病人、産前産後の婦人、激しい労働をする人など、たとえ相当の妨げあるとしても、司祭より正しい許可をうける必要があります。
大斎あるいは小斎を許されたものは、その代わり祈り、善業などをもって罪を償うように
心がけなければなりません。
次に、ご復活の準備が立派に出来るためには、聖会の御旨に従って、我が主のご受難とご死去とを黙想するのが、最も適当な方法であります。
特に、四旬節の毎 金曜日は十字架の道行きをよくせねばなりません。
実に、私どもは、私どもに対する愛により、十字架の上で、犠牲となられたイエズス様を考える時、如何なる熱心をも起こし得るでありましょう。

公共要理を学ぶべきこと

なお、四旬節の間、怠ってならぬことは天主様のみ教えを学ぶこと、ならびに我が子に学ばせることであります。
それで、親たる者、主人たる者は、子供、召使いなど、公教要理を稽古させる大きな義務があります。羽持たぬ鳥が飛び得ぬと同様、宗教によらねば到底、救霊の目的を達しえぬのであります。故に、宗教をしることは必要ですから、公共要理を勉強せねばなりません。
天主様はのたまいました。「我が汝に命ずるこれらの言葉は、汝、これを己が心にあらしめ、
務めて汝の子供に教えよ。家に座する時も、道を歩く時も、寝る時も、起きるときも、之を語るべし」と。

また、救い主は「永遠の生命は、父なる天主を知り、また、そのつかわし給いしもの(イエズス・キリスト)をしることにある」とのたまいました。

吾人が、最も望むものは平和と幸福ですが、これは罪をさけることによって、現れるものであるから、もし、私どもが我が主イエズス・キリストをよくよく知って、そのみ教えを守るならば、信仰は益々強くなり、罪を恐れてこれをさけることも、また、容易くなるので、ますます天主様を愛して、これに仕えもうすようになります。かくなる時、親には孝、君には忠、国には奉仕、人には親切をつくし得るようになるのであって人格は立派になり
真の平和と幸福とを楽しむにいたるのであります。

教皇聖下の御声

数日前、現教皇ピオ11世聖下は、全ての信者に、カトリック的教育関する立派な廻状を下しあそばしました。これによりますと真実な教育の土台は、天主様のみ教えであるゆえに、教会と家庭は、心を合せて、その教育を子供に施すべきあるということが明らかにされております。この廻状の大意は、次のとおりであります。
すなわち、カトリック教会の教育使命は、万国に及ぶべきものであって、己が子のためになるのみならず、また、未信者のためにも有益なものであります。
児童にたいする教育権は、家庭にあるものであり、この権は設立的精神を尊ぶ国では、認められています。聖会の教育権は家庭のこの権に決して矛盾しません。
何ゆえなれば、聖会は、超自然界に於いて、直接に天主より霊感を与えられ導かれているからであります。
政府は、一般物質上の善を励ます使命があり、家庭が安全にその権を行使し得るよう、之に要する平和を保育させるため存在するのであります。

よみがえれよ

諸氏よ!
ご復活とは、よみがえりの意味がありまして、私どもも亦、よみがえらねばなりません。
これは、これは、霊的のものであり、かつ、秘蹟を受けることをもってせられるのであります。そこで、諸子は、ご復活の務めを、よく果たすよう、立派に悔悛と聖体の両秘蹟を熱心に授かることを心得ねばなりません。
春は、再び廻りきたって、花がさきだします。
大和魂は、ここにその養分を得ます。願わくは、私どもも、また天主様にまでも匂う花とならんことを。

◆第24号 昭和5年(1930)3月24日

いかにして児童に従順を教えるべきか

神に身を捧げるとは、神の定め給うた指導者にしたがうことである。
ドン・ボスコは、次の如く言った。

好意のある子供達よ、発芽した苗は、園の良き地に植えられても、もし、植木屋により、
育てられ、高くなるまで世話せられなければ、真っ直ぐにならず、ついにわるくなってしまうとおり、皆さんももし、皆さんの教育を励み、皆さんの霊魂の事を計る方々に導かれることを厭うならば、必ず悪い道に迷うてしまうであろう。

指導者とは、即ち親であり、親の代理者なる長上であるが、皆さんは、これら指導者に立派に従わなければなりません。
「汝、父母を敬え、しからば 汝はは長生きするであろう」と、天主様はのたまうた。

しかし、この敬虔は、一体 何であるか、と言うにそれは教育者に従順であり、尊敬を払い、守護を頼むことである。
なかんづく、従順であることは大切なことである。そこで、皆さんは、命ぜられることを素直に行って、けっして好かぬ等とつぶやき、口答え等をしてはならない。
親に対して、無礼を働くものは、親を代理者として命じたまう天主様を侮辱するものである。我が救い主イエズス・キリストは、全能にましましても聖マリアと聖ヨゼフとに従って、私どもに従順の範を垂れたもうた。
そして、天父に従うよう、十字架上で、私どものために献身したのである。
次に、父母に対して、大いなる尊敬を払わねばならない。
親の許しなしに、何事もしてならず、親の前で、あせり、短気をだして、親の欠点を疑ってはならない。
聖アロイジオは、親の許しなくして何もしなかった。また、少年コモロは、或る時 やむを得ず、親の許しを得て、長時間外出したが、家に帰るや、涙ながらに両親に詫びたという。なお、また、親を守護しなければいけない。
すなわち、親を助け、手伝い、特に金銭や貰う土産物等、これを親に渡し、彼らの勧めに従ってこれを用いなければならない。
なお、天主様が物質上と、霊魂上とに要する全てのものは、親のため与えたまうように、
朝夕いのるのもやはり子供としての務めである。
そして、皆さんは、親に向かって表す従順と尊敬とを、教会と政府の全ての長上、および各々の先生等に対しても表し、彼らの教訓、勧告などを、謙遜を以て受けねばならない。
いかんとなれば、彼らは、皆さんの善を望み、そして皆さんが、彼らに従うことは、イエズス・キリストと聖マリアに従うことになるからである。

なお、まだ、ここに二つの勧めが残っている。まず、みなさんは、長上に全てを打ち明けよ。決してうわべを飾ってあやまちを隠したり、または、嫌がるようなことがあってはならない。偽りは、人を悪魔の子とさせるおみならず、ついには、本当のことも、あやまられて偽善と思はれ、長上と友達の前で不名誉をこうむるにいたる。
次に、長上の教訓と勧告とが皆さんの皆さんの日々の行いの上に指針とならねばならぬ。
もし、皆さんがかように行うのならば、幸いなるものとなり、皆さんの全ての行いは順序正しく、人にとっては手本となるであろう。
そこで、私は言おう。「従順な子供は、聖人になる。これに反して、不従順な子供は、滅びを導く道を歩む」と。

天国の為に 宝を積めよ

四旬節は、過ぎて行く。この、四旬節の間、我等はつねより以上に善業を行い、己が罪を償うように心がけねばならぬのである。
かくして、ご復活の準備をよりよくせねばならぬのであるが、善行の内にもすぐれたるものは教会を援けることであろう。教会に寄付することは信者たるものの一つの義務であるが、如何なる心をもってこれをすべきか。この義務は人々から認められるためにすべきものではない。
主イエズス・キリストは、人々から認められることなく僅少な金を神殿に寄付した老女を
誉め、大金をささげた傲慢なるファリザイ人を咎めたもうた。
寛大な心をもって寄付すべし「汝の右手のなすところを、汝の左手はしるべからず」と主はのたもうた。
寄付は初代教会信者よりの習わしであるのみならず、また天主様の命令でもある。
特にわが教区には、月々の印刷・刊行物がなかなか多い。
これも諸氏のご援助にあずかってしかるべきものであるから、願わくは適当の寄付をせられんことを!
これぞ、天国のため宝を積む最もふさわしい方法の一つである。

◆第25号 昭和5年(1930)4月8日

福者ドン・ボスコの祝日を迎えるに先立ち、教会聖下が下し給える二つの金言を思う

本紙が、その名を頂く父なる福者 ドン・ボスコを祝う荘厳なる日は近づいて来た。
福者には、栄光を、教皇聖下には、感謝を表すため、聖下が福者 ドン・ボスコに就いて、
最近下したまうた二つの詔書を、今 ここに拝察してみようと思う。
これによってみると、父なる福者ドン・ボスコの、使徒的生活の如何に優秀なりしかを明瞭に知り得、我らは福者の手本にならい、その取次を願わなければならないことを、わきまええるであろう。

1. 心霊修業の奨励という題下に、教皇聖下は、ドン・ボスコの名を讃え遊ばし、「彼の名に足りる賛辞なし」とまで、言われている。
幸いなるかな。福者の実行ならびに、聖下のお指図に従って、我が教区内にも黙想会はいよいよひろまっていく。しかしながら、聖下の右の賛辞中において、次の如きみむねをくまねばならない。
すなわち、「福者は霊感を受け、そして研究、実験し しかして得た教育法をその子弟らに伝え持って若人達の、精神を益々改革せしめ、彼らをして生涯の間、真のキリスト信者たらしめんと、努力した。この域に到達せしむべき最優の一方は、心霊の修業であると」。
諸氏よ!
諸氏は、度々度々、黙想会に参加する機会をもつが故に、ますます勇を鼓し、犠牲の精神をふるって、立派にこの機会をそのたびごとに捕え、しかして、その効果を収めるように
心掛けねばならぬ。

2. 教皇聖下は、また、その詔書において、ドン・ボスコの至福式を懐古したまうには、「余が、ドンボスコを福者の位にあげ、聖ペトロ大聖堂に行って彼を公に敬せし時、余が感ぜし慰安の感情は、到底 言葉をもって表さんとしてあたわざるところである。
すなわち、余は受品のおり、この偉人の賢明なる会話を受けしことを思いて懐かしさに絶えなかった。しかして当時、カトリック教会の滅亡を期し、ローマ教皇に対してあらゆる虚偽と誹謗とを喧伝せし痴漢に、鉄鎚をくだすドン・ボスコを、この世に与えたもうた天主の摂理を仰ぎ奉るのであった」と。

次いで、ドン・ボスコの事業を略述したまいて「ドン・ボスコにより、聖会の為、キリストの将卒中に編入される新たなる霊の大軍団が設けられた」と結びたもうた。

キリストの代理者なる教皇を敬愛する霊的軍隊が、我が教区内にも、いや栄えんことを!
諸氏よ来たる六月、教皇聖下の金祝年の終わりを告げることと、近づきつつある、ご復活とを思い、諸氏はますます教会の聖教にしたがって、キリスト教的生活の実行を強固にすべく奮励努力を勤むべきである。

まず、子供に宗教を愛せしむべし

宗教を恐ろしきものとせず、愛すべきものとして子供に子供によく説くべきである。
ドン・ボスコいわく
「キリスト教的教育が、時にその目的を達しえぬ理由は、天主の御前あるというおそれを、過度に児童にふきこむからである。
慈悲深い天主も、圧迫的な化け物の如くはなされている。しかるに、子供の心は、このまぬことに容易く疲れるので、天主に対してもその愛情がへり湧きたつ信用と、温かな、信頼の代わりに、恐怖と不信用が、その心に浸みいるのである」と。
ドン・ボスコはまた、いわく「天主は、ただ一つのことを嫌い給う。すなわち、それはその掟に逆らうことである。何となれば、それは、天主が我等を愛することを妨げ、私どもの上に、天主の罰を強いるからである。真に、わたしたちの行いのただ一つも、天主の眼より逃れ得ぬ。天主はいたるところにいたまいて、何事をも、私どもの思いさえも見たまう。天主は、常にその御眼を我らの上に注ぎたまうが、それは我らの過ちを見て、それを罰するためにではない。

天主は、我等を罰することは、決して喜び給わぬ。我等を愛し、励まし、扶助したまう御者である。また、内的にも我等を助けたまい、ことの立派なる成就をおぼし召されて指導したまう。実に、天主は、我らの霊魂を喜ばせ、なぐさめ、強め、照らすため、また、愛すべきものを、愛せしむるため、霊魂に熱心を与えるため、我らの霊魂の内に住み給うのである。

◆第26号 昭和5年(1930)4月24日

アレルヤ!

「汝は、種なしパンであるから、古い種をのぞいて新しいパンとなれ。何故ならば、我らの過越しの子羊なるキリストは、生贄となり給うた。そこで、我らは、古いパンだねと悪事と不義とのパンだねを用いないで、純粋と真実との種なしパンを用いて祝わねばならぬ。
(コリント前書五ノ七―八)と。

聖パウロは、大祝日にあたって諸々の信者達に、述べている。種なしパンの如きものである。従って、種に例えられている罪と、罪へ導く一切の事とを避けて、新しい心を持つようにせねばならぬのである。

主 キリストが、世の贖いを行いたもうたから、我らは熱心に燃え、み教えに反対する全てのことを捨て、益々立派なキリスト教徒とならなければいけない。
ご復活に際してのみならず、常に全ての信者がとなえねばならぬ二つの言葉がある。
それは、アーメン・アレルヤである。
アーメンとは、「そうであってほしい」、アレルヤとは、「感謝いたします」という意味である。よって、アーメンは、「天主の聖旨が行われんことを」となり、アレルヤとは「御国がきたらんことを喜びたてまつる」となる。
アーメンは霊魂の望みを表し、アレルヤは、霊魂の喜びを表す。
アーメンは、殊に地における聖者の声であって、アレルヤは、天国における聖人の声である。
母より放れ、遠方に在って悩めるある病人が、次の通り祈っていた。
「今日はご復活の大祝日である。アレルヤ!遠方に居る慈悲深き母が、病気であるのに私もまた、病を得ているので、不幸なことには、私は少しの助けもできない。
けれども、天主様の聖旨において、あきらめましょう。アレルヤ。
私は今日、昨日より病が重かったが、苦しみの中にても、天主様の聖旨においてあきらめましょう。アレルヤ。
私の病気がどうなるか、私はしらぬけれども、天主様は知り給うのである。アレルヤ」と。
或る、青年は言った。
「わが救い主イエズス様よ、私が自分の務めを良く果たすには、どんな艱難をもしのばねばならぬ。それは、おぼしめしでありますから。アーメン・アレルヤ」と。
愛すべき弟子よ、我等もまた、このようにアーメン・アレルヤと唱えねばならぬ。
悲苦の時、艱難の時、病気の時、己の義務を果たす時、己がのぞみに反するものがある時、
我らは十字架にかかりいたまうイエズス様に向かって、アーメン・アレルヤととなうべきである。
我らは、将来の為を思うて悩む時がある。また、親たるものは、子供の教育の為に、心配することもある。
その時こそ、十字架を仰いで、アーメン・アレルヤと言わねばならぬ。
主は真によみがえりたもうた。
光栄の中に、歓喜の中に、よみがえり給うたのである。
ご苦難の後、光栄と歓喜と福楽とがあった。悲苦艱難、侮辱の中にても、アーメン・アレルヤと歌う我らは、他日主とともに、光栄、歓喜、福楽をこうむるであろう。
アーメン・アレルヤ!

死を黙想せよ

死について、子供たちに語ることを恐れてはならぬ。死を思いださせても、決して子供を淋しきものとならしめぬばかりか、その心は強められ、考慮と思索は与えられ、地上の生命は、やがて、天国の生命に対する準備なることを承知せしむるのである。
良き死の練習を教えたドン・ボスコいわく「我が愛する子供らよ。我らの一生は、善き死を為すための準備であらねばならぬ。
この大切な目的に達するための、有益な方法の一つとして、善き死の練習と言う信心修業がある。これは、毎月或る一日を定め、その日 自分自身が死すのであると仮に定めて、霊魂上と肉親上の全ての事をかたずけることである。この、練習の為に、先ず毎月一日(もしくは、毎月第一の日曜)をこれにあて、その前日、死について黙想する。
(死は、おそらく近くにあるかもしれない。実際、死は思はざる時にくるから)。
前月の行いは、いかであったか、と詳しく調べ、特にもし、只今天主の審判に出ねばならない、と思う時、不安心の原因となるものがあるかどうか、と糺さねばならぬ。
そして、その日を生涯の最後として、立派な告解と聖体と拝領とをせねばならない。

私どもは、いつ死すか分からないし、その時、我らが告解するために、神父に逢いえるや否やも分かりかねるから、皆さんは、今、若い時分より、度々、完全な痛悔と天主に対する完全な愛の心とを、起こす習わしを作らねばならない。こうした心によってこそ、如何なる時も、特に、最後の時に当たっても、罪の許しを得、天国に入ることができるのである。

◆第27号 昭和5年(1930)5月26日

秘蹟につき、児童に如何に話すべきか

児童に悔悛の秘蹟について語る時、諸氏は、ドン・ボスコに倣って話すがよい。ドン・ボスコは次のように言っている。

善意ある子供達よ、人が、大罪を犯しているままで、死ぬ前にもし、天主様から許しをえなければ、たとえ、一つの大罪であっても、報いられるものは地獄である。
そこで、もし、我らに大罪の禍があったなら、最も心配せねばならぬことは、その赦しを、
一刻も早く受けることである。
この赦しが、人にとって必要欠くべからざるものであるゆえ、主イエズス・キリストは、悔悛の秘蹟を定めたまうたのである。
実に我らは、この秘蹟によって、洗礼以来、犯した全ての罪についての許しを受けることができるのである。

主は、使徒達と、その相続者である教皇、司教、司祭に向かって「我が父が、我を遣わした如く、我もまた、汝等を遣わすのである」とのたもうた。

この言葉の意味は、御父が我に与えたもうたと同じ権利を、我は汝らに託する、ということである。
これによって、罪を赦し得ることは明らかであるが、御主は、特に悔悛について述べんと思し召されたので、使徒達に向かい、「汝らが、人に罪を赦すとき、その罪は赦されるが、
汝等が人の罪を許さないならば、「其の罪は赦されぬ」とのたもうた。
この、言葉を以て、主イエズス・キリストは、その代理者に、罪を赦すことも赦さぬこともできる権を与えたもうたので、聴罪霊父が、赦しを与えうるやいなやを、確かめるために、信者は告白する要がある。
ところが、残念なことには、多くの信者は 尊き悔悛の秘蹟を正しく用いない。
のみならず、悔悛の秘蹟を正しく用いぬ為、救霊の方法となるべきものを滅びの原因としてしまう多くの人がある。
即ち、こうした人々は、告解にいる正しい心掛けを持っているのである。
そこで、善意のある子供なる皆さんは、このようなわざわいを逃れるため、公教要理又は、
祈祷文に書いてある通り、誤りなく正しい告白をするようにこころがけなければならない。

二、また、聖体拝領について、子供に語る時、諸氏はドン・ボスコに倣って話すが良い。
ドン・ボスコは、次のごとく言っている。

御ミサの間、司祭が、パンと葡萄酒の上に、いと尊き言葉を唱えるその時、パンと葡萄酒は変じて主イエズス・キリストの御体と御血になる。
そこに残るものは、只パンと葡萄酒の色、形のみ。神なる救い主が、聖体をお定めの際、用いたまうた言葉は「之我が身体なり、之我が血なり」である。
主は、司祭に、御ミサの際にこの言葉をいうように命じた。

それで、聖体が、祭壇上に安置せられている時、或いは、聖室中に置かれている時、そこには、イエズス・キリストの御体、御血、ご霊魂、ご神聖が真に在りたもうから、我らは当然これを拝霊せねばならぬ。そして、聖体を拝領をする時、我らは、我らの霊魂の食物として、主 イエズス・キリストを受けるのである。
けれども、聖体は、十字架上に死せるイエズスの御形だけではない。それは、天主の御一人子であり、汚れなき聖マリアより生まれ、我らのために十字架の上に死してよみがえり天に昇りたもうたイエズス・キリストその者であられる。
即ち、聖体は、今なお天国で生き、栄えます御者そのままである。
よき、聖体拝領をするには、霊魂を大罪より清めねばならない。
たった一つの大罪を持っいても、そのままで聖体を拝領すれば、瀆聖となる。そして、聖パウロの言う如く、それは、己が審判と永遠の罰を飲食することになる。
即ち、主の御体と、物質なるパンとを区別せぬからである。
その他 また 前夜の十二時から何も飲食してはならぬ。ただし、病気の場合は別である。
イエズス様は、次のお言葉を以って、聖体拝領に我らを招き給う。
「あなた方は、人の子(イエズス様のこと)の肉をたべ、その血を飲まねば、あなた方の内に生命はない。我が肉を我が血を飲む人は、我の内に留まり 我もまた彼の内に留まる」
(ヨハネ6・54-57)

◆第28号 昭和5年(1930)5月24日

聖心の月(みこころのつき)

天主様のお恵みにより、イエズスの聖心に捧げられた6月も近づきました。
慈悲深い御母の月は、近く終わりになりますが きっと皆さんは、五月の始めから毎日、
御堂へ参り、或いは、自宅で聖母に花などを飾り、讃美歌を歌い、祈りなどして立派に聖母月を務めたでございましょう。
そして、孝子として最も愛すべき天主の御母に、己が身と家族とを捧げて精神的と物質的の利益をこうむったことでありましょう。
さて、今、一層熱心に、イエズス様に近づき、己が熱烈な愛情を表さねばなりません。
霊魂を、キリスト教的完全に達せしむるために最も効き目のあるものは、イエズスの聖心に対する真の信心であります。
聖女マルガリタ・マリアは、日々「聖主は、人々に知られ、愛せられ、また拝まれることを望み給い、人々がその御心を深く愛し、これに対する信心を表せば多くのお恵みをあたうべしと私にお知らせになった。
また、聖心の誉れ 愛、栄えを及ぶ限り自ら求めもって他人にも求めさせるならば、我らがたまわる聖寵と愛は、実に寛大なるものであると私に示したもうた。ところが、その賜物があまりにも広大なるゆえ、私は、これを完全に表すことができない程である。聖心に身を捧げる人に限って、罪をおかし、悪魔の奴隷となり、永遠の亡びを報いられることはないと確信するのみならず、救霊を確実にし速やかに全徳に達する近道はこのほかはない」と申しました。
皆さん、聖心に対する信心は無量無限の聖寵を含んでおりますから、我らは自らこれをもち、また、他人に広く持たせるようにせねばなりません。

ある日のこと、聖女 マルガリタ・マリアが聖体の御前にひざまずいて熱心に祈りをしている時、聖主は御胸を開いたままで現れたまいました。見れば、ご心臓は炎々たる炎の上に据えられ、周りには、茨をかむせられ、上には十字架を立てられ、槍の跡さえ歴々と見えています。かくて、聖主は、その御心臓を指さしつつ、マルガリタに向かって「これを
みよ人々を愛して、彼らにその愛の程をあかさんとして我が心はあらん限りの力をつくしたのに、多くの人々は、愛の秘蹟にこもる我に対して、只々無礼を働き、讀聖に讀聖を加へ、冷淡にして恩を忘れる・・・・。汝は、及ぶ力をつくし、聖体の祝日の八日目を、
「我心の祝日」と定め、熱心に聖体拝領をして、罪人が我に加えるあなどり、辱めを償うように務めよ。これにより、我は聖寵の露をもってその人々をうるおすであろう。」とのたもうたのです。
私共は、イエズスの御心の望みにしたがって、今月中、みこころの愛を憶い、これを感謝し、讃美せねばなりません。殊に、次の約束を黙想して、これに適うようにせねばなりません。

我が主、イエス・キリストのその聖心を敬礼する者のため、福女マルガリタ、マリアに約束せられたる十二の恩言

1. その地位に応じて一切必要の恵みを与えむ
2. その家庭に平和ももたしめむ
3. 全てのなやみにおいてなぐさめを得る
4. 命の間 ことに臨終の時、安全なる避難所たらむ
5. 全ての企てに十分なる祝恩を下さる
6. 罪人のあわれみの源と尽きざる海洋とを我が心のうちに得る
7. ぬるやかなる霊魂が熱信と成る
8. 熱心なる霊魂は迅速に完全の地位に進む
9. 神聖なる我が心の姿を備え、かつ敬うの家を祝す
10.救霊の事業に従事するものは、その酷薄の心を融和するの感応を与える
11.この敬虔なる務めを広めるものの名は、我が心に刻されて永くきえざるなし
12.全て月の始めの金曜日に続いて九回、聖体を拝領するものには、臨終の痛悔の恵み 
   を我が心より与える

◆第29号 昭和5年(1930)6月8日

聖体拝霊について

愛する諸子よ 
去る五月二十二日木曜日、聖体拝礼会 設立百年記念にあたって、全世界の人々は盛大な聖体拝礼を行いました。
申すまでもなく、本月は、イエズス聖心にささげられた月であります。
で、既にわが日本にも広まり、そして我が教区内でも

実行している

この信心業に対し、我らの心を燃やしめ、また、教皇ピウス11世聖下の聖旨に従うため、聖体拝礼に就いて一言申し上げたいのであります。

聖体拝礼は、我が主イエス・キリストの、カンラン山のお苦しみに対して行う黙想であって、注意深く熱愛に燃えて行うべきものであります。黙想と祈りとによって、我らの霊魂が苦しみの玄義に生き、天主をなぐさめ、その御怒りを和らげて、罪人達に対するお慈悲を乞うのであります。
よって、聖体拝礼は、本来憐れみと愛の修業であり、罪の償いと謝罪との業であります。
これらはまた、天主が我等に、我らは、いかにして愛すべきか、苦しむべきか、天主に身をまかすべきか、罪をつぐなって永遠の義に満足すべきか、と教え給う学園であります。
イエズスは、この痛ましき御苦しみの記念として、弟子たちが御苦しみの聖杯をわかち、主の御側で、憐れみ、なぐさめ、感謝の祭りを行うよう望みたもうたのであります。

しかし、聖体拝礼をはじめたもうて、1637年と、1674年の間に、主の雄々しき使いに、その実行方法を教えたもうたのは、主イエズスであります。
この使いは、自身でこの荘厳な教訓を我等に物語ます。しかも、その話は、到底想像し得ぬ深さと美とを持っているのであります。我らは、これを傾聴して心に刻み込まねばなりません。
『我が優しき主は、五つの太陽のように輝く五つの御傷をもって、光栄に光りかがやきつつ、私に現れたまいました。この聖き御人性からは、四方に向かって炎が発せられていました。大釜にも似たその拝礼すべき御胸からは、特に発せられるのでした。
そして、御胸を開かせられ、実に愛すべき慈愛に充ち満ちたその御心これらの炎の真の源である聖心を、私に現したまい、不義と忘恩をのみ主に行う人類を愛する為、いかに過分にその愛をもたらしたかを示したもうたのでありました。

主は言いました。
「このことは、我が受難において苦しんだすべてのもの以上に、我を悲しませるものである。もし、彼らが、我が愛に対し、我に何かの返礼をなすならば、彼らのためになした、我が総てのことを、我は重く見ないであろう。しかも、出来ることならば彼らが、なお一層礼をつくすことを欲するのである。
しかし、我が彼らになす善のあらゆる熱心に対して、彼らは、冷淡と拒絶のみしか持たない。少なくとも、汝は、及ぶちからもて彼らの不義忘恩を補って我をなぐさめよ」と。
そこで、私には、到底その力の無い事を申し上げたところ、「汝に欠けるところを、補うものそこにあり」と答えいいました。

同時に聖心は開き熱烈な炎が出たので、私は焼かれてしまうのだと思いました。けだし、我が主に、我が弱きことを憐れみたまうようにねがった時、私はその炎で全く貫かれ、これを防ぐことが、できなかったからです。

主は、私にのたまいました。「我は、汝の力となるであろう。恐れることはない。が
我声と、我 計書の成就に汝を覚悟させる為、われが汝に求めることに注意せよ。第一、従順の精神が汝を許すだけ、汝は聖体において我を受けなさい。また、汝は毎月の第一の金曜日に、聖体を拝領しなさい。そして、いつも、木曜日より金曜日に至る晩、我らがカンラン山において舐めようと思った人間の悲しみを、汝にわけるであろう。
この悲しみは、汝は、それを了解し得ないが汝にとつて、死より以上 忍び難い苦痛となるであろう。あらゆる苦痛の中に在って、我らが聖父にささげた貧しい祈りに従うため、汝は、夜11時より、12時の間に起き、顔を地につけ、我とともに一時間平伏して祈りなさい。それは、罪人に対する慈悲を願って義怒を和らげれば和らげるほど、使徒―我と共に一時間眠らずにいることが出来なかった故、余儀なく咎めた使徒等が、我を放棄したことよりの苦痛を和らげるのである。この時間、汝は、我が教えることを為しなさい」と。』
聖体拝礼は、聖子なる天主のお苦しみの玄義に起こり、御聖子と共に、聖父の聖意を拝礼することであり、己が罪に泣きこれ等を償うことであります。特に、これはイエズスを愛し、主に、愛熱、情愛、献心に燃える心を捧げることであります。主は、その熱情、寛大、報恩、犠牲によって、全人類の不熱心、冷淡、罪悪、犯罪を贖われたまうでありましょう。
 こうして、この信心に導かれた聖女は、主が、彼女に期待したもうた全てを、即ち、厚き拝礼、燃えるような同情、感ずべきなぐさめ、その苦痛に対する完全な合致、深く、落とされぬ、そしてあくなき愛等を、聖なる救世主にたゆまず倦まず一致せしめたのです。
『我が娘よ、万人がさげすむ我が苦しむ愛を、憩はせる為、汝の心を我に与えよ』。
彼女は、答えました。『主よ、私が総て主の聖意においてあることを知り給います。お望み通り為し給いませ』と。
そして、彼女が、傷痕に蓋われた主をながめた時、主は苦しくも悲しげな声でいいました。

『我を憐れみ、我をいたはしく思い、我が苦しみを配りけんとするものは無いか』と。
彼女は直ぐ、主の尊前に出て、記していわく「涙と嘆息とを以て、聖足の下に我 ひざまずく。私は、自ら進んで罪を犯すより、地獄に急ぐ方が、どれほど良いであろう。と思うほど、強く忌み嫌う罪は、如何に重きものか、また、如何に邪悪なるものかを、今までになくよく分かった』と。

信仰を以って、現今、この信心業を我等に促す特別な理由は何であろうか?
教皇ピウス十一世聖下は、その廻状ミゼレンチシスムスに於いて、罪の償いの共同義務に就き語り給い、無数の現代罪過にかんがみて、我等に一層活気ある熱心を以って、これを果たすよう求めたまうものであります。
救世主と、その聖会に反抗する公の権力団があると思えば、一方では、聖堂は閉じられ、司祭、修士、修道女は追放され、他方では 少年、青年、少女の心を以って天主より引き離さんと力をつくすものがあります。また、他所では、強迫を以って信仰を捨てさせられ
滅びに導かれんとするので、恐怖狂乱する信者たる全国民がある状態です。
また、洗礼を忘れ果て、悪徳の中に自己を引き入れていく無数の人々があります。かれらは信仰につまづきキリストを棄てているのです。なお、かえりみるに、信者たちも聖教家庭と婚姻とに対する規則、子女教育に対する義務、キリスト信者たる貞操の礼節等に対して非常に冷淡を装っているではありませんか!
故に、教皇聖下は次の如く言葉を結び給うのであります。

『総ての国、総ての民族人種の仲介者にして首長なるイエズスと一致し、天主が人類に許したまう短い嘆願と有効な罪の償いをささげることは、緊急を要することである』と。

我らは、一層の熱心を以ってこの御希望に添わなければならないのであります。

◆第30号 昭和5年(1930)6月24日

教皇聖下について

今月終わりごろに、聖ペトロおよび、聖パウロの祝日があります。カトリック信者は、その日を以って我が敬愛する教皇聖下を祝う定日としたのです。

およそ4億人(人類の五分の一)を算する、我等カトリック信者は如何なる人種であっても、皆等しく 同じ天主を礼拝しこれに仕え奉り、同じ教えを信じかつ守り同じ聖祭にあずかり、同じ秘蹟をうけ、同じ祈りをとなえ、信者の唯一の頭なる教皇陛下を仰ぎ、喜び謹んでこれに従うのです。教皇聖下を仰ぎ、喜びつつ謹んでこれに従うのです。
教皇聖下は、聖ペトロの相続者、主イエズス・キリストの真の代理者ですから、吾がカトリックの中心です。

教皇聖下は、聖教会の勢力であり、また、教会の聖き創立者 主キリストのおぼしめしにより、教会の組織上、その根本性を有し給う御者です。
従って、カトリック教会は、完全な団体であって、教皇の御指導の下に、キリストがそれに与えたもうた目的へ絶えず進み行くのです。

ああ、主イエズスの唯一の大家族、大きな霊国である聖公教会は、真の神の御定めにより永久に、また、万国万代に聖と真であり、常に人間を救霊の道に歩ませるのです。
芥子の種に、たとえられた吾が教会は、十二人のいやしき者より始まって、今日は大木となり、世の極までその枝を延ばすのです。
さて、カトリック教会史は、ローマ教皇史と同じになるのです。
教皇と教会とを分けようと思うことは、身体から頭を離そうとすることと同じです。
それ故、昔から「教会は、ペトロの所にあり」と言われているいるので、教皇を賞賛する事は、教会を賞賛する事であり、教皇を軽んずる事は、教会を軽んずることです。
また、教皇と一致すれば即ち教会と一致するのですが、教皇をはなれれば、教会を放れたことになるのです。彼のプロテスタントの誤りの原因は、教皇を放れた事にあるのです。
(注1) 主 キリストは、ペトロに向かって言った。「汝 岩なり。我は、この岩の上に我が教会を立てん」と。また、「我は汝のために祈った・・・。汝は汝 兄弟を信仰に固めよ」と。しかして、使徒たちに向かって「汝らに聴く人は我に聴き、汝等を軽んずる人は、我を軽んずるなり」と言った。

福者 ドン・ボスコが最も尊重した事は、教皇聖下に対する絶対的な服従そのものでした。
始終、周囲の人たちに勧められた事は、教皇に対しての敬愛でした。
ドン・ボスコは次の通りに言います。
「全ての信者達は、教皇聖下を慈悲深き父と認め、キリスト様の代理者として、彼に敬愛を払わねばなりません。

『全ての信者達は、教皇聖下を慈悲深き父と認め、キリスト様の代理者として、彼に敬愛を払わねばなりません。しかも、教皇は、智恵と賢明と徳とに優れた人の間に選ばれた御方であるのみならず。彼は、聖霊に指導されているので、最も尊ぶべき御方です』と。
故に、名高いカルジナル・アリモンダは、ドン・ボスコに就いて申します。
「彼は、カトリック教会で最も愛される人であり、聖座の謙遜なる僕、熱心な防備でした。
彼の思考の最上位には、教皇があり、教皇をおのが眼のように大切にしたのです。
ドン・ボスコは、行った全ての事業と書いた全ての本において、主イエズス・キリストの代理者に対する愛に従って、忠実にこれをつくしたのです。」と。我等は、ドン・ボスコの善き子として、福者のお手本に倣い他の信者より以上、教皇聖下に対して絶対的の敬愛、尊敬、服従をもたねばなりません。即ち、善き子として、慈悲深き父たる教皇様に対して
孝行をしなければなりませんが、それを実際上に表すには、益々完全な信者となって教皇様のために祈らねばならないのです。
近年、欧米において聖ペトロの祝日にあたり、教皇聖下の祝日を行うことになりました。
また、イギリスでは、教皇聖下を愛させ尊ばせるために、特別な会も創られた程です。
ああ、皆さん!我らもまた、彼らに遅れをとってはなりません。我らは、先頭に立って、教皇様の旗印をかざし、どこにおいても教皇の立派な子たる手本を示さねばなりません。
そして、聖ペトロが主キリスト様に述べた如く、我等もまた教皇に向かい声を上げ、「我等誰にか往かん、汝こそ永遠の命の言葉を有し給うなればなり」と言わねばなりません。

◆第31号 昭和5年(1930)7月8日

如何にして誘惑を防ぐべきか

児童の本性は、変わりやすいものである。よって、児童には、善行に要する辛抱を守らせる方法を工夫しなければいけない。これは、児童の意志教育によって、獲られるものである。そこで、先ずいかにしていざないに対抗すべきかを、児童に明瞭に説かねばならない。

いざないに勝つために、最も有益な方法は、誘いを避けることにある。
ドン・ボスコ曰く『皆さんは誘いを避けるには、罪のたより、不潔な話し、よろしからざることを教えて霊魂に損害を与える一切の演劇等を遠ざけねばならない。そして、余裕を生じて余った時間は、これを文芸、勉強、音楽等に用いる方がよろしい。例えば、為すべき仕事は時、家で小さな祭壇を創り飾ってみたり、また、手帳等をつくる子供もありますが、これは本当に良い事です。また、こうした場合には、親の許可を受けて正しい遊びにでてもよろしい。つまり、怠けていたづらに時間をつぶす貴君を悪魔が見つけ得ないように用心せねばなりませんと、聖エロニモが言いました』と。

しかし、誘いを避けられない場合がある。その時は、どうしなければならないか。ドン・ボスコ曰く「皆さんが、誘われる時 その誘いが己が心の所有者になるまでまたないようにせねばなりません。その時は、直ちに仕事と祈りをもってこれを追い散らすように努め励み、もし誘いが続くならば、十字架の印をなし、祝福された聖物に接吻して、「キリストの信者のたすけなる聖マリア 我らのために祈りたまえ。聖アロイジオ、天主に背かざるよう我を救い給え」とお祈りなさい。
実に、聖アロイジオは、聖公教会より、若者の手本となる青年と決められました。この聖人は、罪の便りを避け祈りと苦行とによって、誘いに対して完全な勝利を得ました。
みなさんも務めて欲をおさえ、五官を謹んでこの聖人を祈るならば、きっと聖アロイジオに倣うことができます』と。

少年達に贈る

愛すべき少年達よ。次に書いてあることは、サレジオ会宣教師等が、只皆さん子供にのみ向かって贈るものであります。
前号に報知しておいたとおり、去る一日、ローマで皆さんの友、ドメニコ・サヴィオの徳について、大切な会議がありました。
皆さんは、きっと熱心にお祈りなさったことでしょう。
会議の全ては成功だったろうと思います。
ドメニコ・サヴィオとは、何人であられますか。ドメニコ・サヴィオは皆さんと同じような少年であり、生活の種々方面を通じて皆さんと同じような、艱難をしのばれて聖人となられた少年です。即ち、彼は、徳を完全に立てたのであります。
例えば、皆さんは、きっと親に従うでしょう。
ドメニコ・サヴィオは、父母の一切の言いつけを立派に守ったばかりではなく、自分から進んで親の喜びそうな事を考えて行いました。そしてまた、ドメニコが、どんな少年であったか皆さんはよく御存じです。ドメニコ・サヴィオ伝をお読みになったでしょう。
彼は、初聖体を受けた時、次の決心を起こしました。
「私の友達は、イエズスとマリアであります」と。そして、一日ドン・ボスコに向かい
私は、神父様を満足させようと思いますので、神父様が一度も私を叱ることの出来ないような善良な子供になろうと思っています。と言ったのでした。

皆さんも、日々の勤めについてこれと同じ決心をしたことがありますか?
ドメニコは、また、友達に対して非常に親切であり、同時に勇敢なる少年でした。度々良くない遊びに誘われる時、次の通り答えるのでした。
「僕の一番好きな遊びは、自分の務めを果たすことであります。そして、君らが僕の真の友達なら、僕の務めを怠るような事は務めないどころか、之を、ちゃんというように務めるべきではありませんか」と

さて、ドメニコ・サヴィオの生涯が、どうして感ずべきかと言うと、それは「罪を犯すよりも寧ろ死ぬ」と言う有名な彼の決心からでありました。
また、聖人になる彼の熱望な望みからでした。『私は、自分を全部 天主様にささげます。そして、永久にささげます。私にとって、聖人になることは、必要な事です。もし、私が聖人にならなければ、私の生涯は無益になります。
私が、聖人になることは、天主様の思し召しだから、私は聖人にならねばなりません』と云いました。
 皆さん、これこそ、皆さんが倣うべき模範聖人であります。サヴィオは、日々の務めを立派に果たすことによって終に聖人となったのです。
もし、皆さんの中で、未だドメニコ・サヴィオの伝をお読みにならぬ者がありましたなら、一日も早くこれを読んでいただきたいのです。

◆第32号 昭和5年(1930)7月24日

失望は危険である

失望は危険であるということについて、子供の意識を強めるべきである。
ドン・ボスコは子供に向かって次のように言った。

悪魔が皆さんの霊魂を滅ぼそうと思って先ず一番先に用いる罠は「君は、どうして、50年、60年の長い生涯を、絶えず享楽を棄てたままでいられようか?」
という誘惑であります。
皆さんが、こういうふうに誘われる時は、次のとおり答えるがよい。
「私のこの世の生活が、50年続くか、60年続くかを確実に約束してくれるものは何人ですか。私の命は、天主様の御手に任せてあるから、あるいは今日が私の最後の日であるかもしれません。昨日、愉快と歓喜に浸って暮らしていたのに、今日はもう墓に運ばれて行かれる同年輩の人が幾人あることでしょう。
この人達も、やはり私同様人生の春を楽しんでいたけれども、もう立ち去って帰りません。
私は、そうはならないとどうして言えましょうか。
しかし、もし数年間、地上で天主様のために労苦を忍ばねばならぬとしても、天国で頂く永遠の栄えと楽しみとは、その報酬としては誠に十分なものではありませんか。
その上、聖寵をもって生活する人達は、何時でも愉快です。何故ならば、艱難の時でも、
その人達の心のうちには、いつも真の喜びがあるからです。
これに反して、快楽を求める人たちは始終侮りを受け自分は不安心であって、得た快楽のうちに平和をえようとするのに、かえって何時も不幸のみを得ております。
即ち「罪悪の人に平和はなし」と言ったらよろしいのです。

ところがある人は、いうでしょう「私どもは未だ若いから、永遠のこと、地獄のことなどを考えれば、憂鬱に陥って気がおかしくなりましょう」と。
まったく、永遠の罰を考え、また、一度、その罰に陥ったなら、いつまでもそこを出られない事を考えるとき、それは恐ろしいことです。
これは、ただそんなに考えるだけで、恐怖に堪えぬものですからもし、実際にその中におちいったらどんな苦しみだろう。そこで、死ぬ時、永遠の罰の中に捨ていれられぬように、今のうちに考える必要があるのです。私どもが、地獄の事をよく考えれば、きっとそこをまぬがれることができます。
このように、地獄を考えれば恐怖に堪えぬことですけれども、私どもが天国の希望に翼を延ばすとき、それは亦、何というなぐさめと喜びとを与えるでしょうか!
天国は一切の善を楽しむ所です。
聖人達は、永遠の罰をまじめに深く考え、一方 天主様が良い人々のために備えたまう無限の福楽を得ようとする堅い堅い希望の中に、言うにいわれぬ喜悦に浸ってくらしました。

◆第33号 昭和5年(1930)8月8日

子供に潔白の徳を保たせよ

不潔は、悪火のごときものであって、これに対するとき、子供の意志は蝋の如くとけて往くのである。
情欲に対して防備を施させるには、子供をして、善良なる道に不断に歩ませねばならぬ子供に潔白を保たせることにより、一生の方針を確立させえるのである。

徳は児童にとって、一つの宝である。なぜかといえば、それがあるために彼らは天主からも人間からも愛されるからである。しかし、王であり、天使である尊き潔白は、価値のある賜物であるから、之をもつ者を神の天使の如きにする。潔白を持つ者は、天使における神の天使のごとくと救い主は言われた。

この徳は、全てのものの中心であって、あらゆる善は、これから出てくる。もし、不幸にして、この徳を失うなら、同時に他の全ての徳をも失ってしまうのである。
子供らよ、この徳は、皆さんを天使の如き者にするためであって、イエス様とマリア様は、一番にこれをお好きになるのである。

しかるに、霊魂に仇する悪魔は、それを非常にねたみ、皆さんの潔白の徳を失わせ、或いはこれをけがさせようと、暴力的にせめよせて来る。そこで、私は皆さんに、これに対する武器ともなる勧めを申し上げたい。
皆さんが、之に従うときは誘惑者である敵を退かせて、この徳を保つことが出来るのである。

先ず、一番大切な武器は、謹慎である。潔白は、高価なるダイヤモンドの様なものであるから、盗人ある時、人はその持つ宝を警戒しなければならないと同様、潔白の宝も、悪魔によって盗み取られる危険がある。
大聖 グレゴリオは「注意せずに、宝を携えて道を行く人は、盗まれることを望む人である」と言った。

それで、潔白の宝を守るためには、まず謹慎しなければならない。謹慎に次いで、なさなければならないことは、真実の告解としばしば、熱心に聖体を拝領すること、また、言葉と行為などによって、この徳を大切にしない全ての人を避けること等である。
そして、悪魔の攻撃を防ぐために、救い主の次の言葉を考えねばならない。

この種の悪魔、(潔白に対する誘い)は、断食と祈りによらねば防ぐことができない」と。
断食とは、特に、五官を慎み押さえることで、例えば、目口などをつつしみ、飲食の度を過ごさず、必要以上の休息を肉体に与えないことである。
また、イエズスキリストは、祈りを勧めたまうが、この祈りは、熱心と信用に燃えるものでなければならない。そして、誘いを追い散らした得た時まで、続けて祈らねばならないものである。
短い祈りもまた、非常に強い武器である。ことに、イエズス・マリア・ヨゼフの御名を唱えることである。即ち「我がイエズスよ、我を憐れみたまえ。イエズスよ、我を救い給え。
原罪なくして宿りし聖マリアよ、汝によりすがる我のために祈りたまえ。キリスト信者のたすけなる聖マリア、我の為に祈りたまえ。マリアのいさぎよき御心、我は汝に背く事あるまじと決心して奉る」等、唱えたらよろしいのである。また、十字架 あるいはメダイ等に接吻する事も、非常に有益である。
ところが、これらの武器も彼の憎むべき誘いを追い出すに充分でないときは、誘惑に対する勝利の武器なる天主の御前にあることを考えて、之によりすがれ。即ち、我は天主の御手にあって、天主は我の生命の所有者であり、いかなる時でも、我らを死せしめうる果たして、我らは天主の御前に在って、背くことができようか。

旧約時代の彼のヨゼフは、罪に誘われた時、「我が主の御前でそのような罪悪を犯すことができるものか」と言って、誘い人に断然と答えたのである。諸子は、このヨゼフの言葉に
二、三を加えて「どうして、我は誘惑に負けて神の御前で、そのような罪を犯しえようか。
天主は、すなわち我の救い主であるが、天主は一瞬にして我が生命を取り去る。罪を犯している内に、天主は、我を地獄の永遠の罰に投げ込み得る御方ではないか」と言ったなら、
大変よいと思います。誘惑が続く間、天主の御前にあることをよく考え得る人は、誘いに
決してまける者ではない、と断言し得ると思う」と。

◆第34号 昭和5年(1930)8月24日

トルキスト霊父を歓迎する

既報 トルキスト霊父は、天主の御恵みによって健康を回復されて近々にご来日遊ばされることになった。我ら信者は、充分な歓喜を以って師を歓迎する。

聖母に助けを願うべし

キリスト教精神中にある家庭的、慈母的の特徴を益々、光彩あらしめるべきである。

真の宗教におて、慈母の感情を神的程度にまで、揚げんとして、天主はイエズスの至聖なる御母に対する信心を、福音および教会に持たせたもうたのである。

ローマ教皇を離れた異端の教会(全てのプロテスタント教会)は、この優雅なる信心を捨てたが、その教会等は、結果なさけなきものとなってしまい、慰安と生命の浄化に対して
無為となった多くの理由中、これは最も重大なものであった。
我らは、如何に年をとっても、母の前にある時は、常に子供である。母が与える感情は、魂をいつまでも、児童のそれの如くさせておく程、自然の情け深きものである。
イエズスはのたもうた「子供の如き者とならぬ人は、天国に入るにあたわず」と。

これぞ、聖母に対する信心が、必然的にカトリックのものたる根本的、一理由である。
ドン・ボスコは、子供に向かって次の通りに言っていた。

皆さんが、聖母マリアに対する、信心を持てば、悪魔の罠に陥らぬよう、大なる援助と強き武器とをこうむりましょう。
聖母は、皆さんに向かって「子供である者は皆、私のところに来なさい。捨てられた者があれば、私によりすがりなさい。さすれば、私は彼らを守る母となりましょう」と仰せられます。即ち私共が、聖マリア様に対して深い信心を持つものであれば、マリア様は、私共をその子供と、お認め下さい御心を以って私共を覆い、御恵みを得させてくださいましょう。そして、遂に私共を天国に入れて下さるのです。
皆さんよ!
皆さんは、天にある皆さんの母を愛しなさい。頼もしい心をもってこれに祈りなさい。
そして、もし、皆さんが自分に害にならぬことであったらどんな恵みを祈り願っても、聖母は必ずそれを叶えて下さることを、堅く信じなさい。
さて、一番熱心に祈らねばならない事は、何人にとっても、そして特に青少年にとって、必要である次の三つのことであります。
第一、 生涯の間 一度も大罪を犯さぬように熱心に祈らねばなりません。皆さんは、どうしても聖母 マリアのお取次によってこの恵みを得ねばなりません。この恵みがなければ他の恵みは当然あり得る理由がありません。
大罪を犯すとの意味は、皆さんにおわかりのことでしょう。それは、天主様の子供であることを断わりサタンの奴隷になるとの意味です。また、天主様の御前で、私共が天使のような美しさを失い、悪魔の如き奇形児となり、永遠のために得た全ての功徳を失い、無限の善をけがして無限の悪を為すとの意味であります。
ああ、実に、聖母マリアが皆さんに、罪を犯し得ない恵みを下さらないならば、たとえ、他にどんな恵みをくださったとしても、それは、ほおんとうに小さなものでありましょう!
それで、皆さんは、朝と晩、全ての信心の業の時、この恵みを願わねばなりません、と。
聖母に祈るべき他の二つの事についてのドン・ボスコの勧めは、既にこれを載せた。
即ち、潔白と悪友をさける事に関するものである。

◆第36号 昭和5年(1930)9月8日

我ら信者が歓迎すべき
イエズス・キリストの合併福音 遂に出版される

愛すべき信者諸兄姉! 吾人は、大なる喜びを互いに分たねばならぬ。それは、吾が日本カトリック界に、今回合併福音書が出版されたことである。日本において、これは最初の試みである。合併福音書はとは、四福音中の句をそれぞれ用い、これを大衆的の一物語りとして編んだものである。

この日本語福音合併書には、多くの歴史的および経典的注釈が添えられている。編者マルジャリア霊父(日本サレジオ会員)、援助者 戸塚文卿霊父両氏の努力によって、ついに宝玉にも勝る該書が世に提供されたのである。
書中、多くの芸術味豊かな挿絵があるが、その多くは同じく日本サレジオ会員なるマレガ霊父の筆であり、印刷は、東京 武宮出版部である。

この合併福音書を読み、しかして黙想すれば、信心は養われ、信仰は強められて公教家庭がうける利益は大なるものであろう。
一般人もまた、福音の一つにして簡単、しかも壮大なることを了解し、遂に我が主を認めこれを愛する事は、易しいことになるであろう。該書出版の目的も、実にここにあるのである。神の福音が、難解なるものとしてのみ伝わって行くものならば、遂には、神は人間より知らざる者となるであろう。聖福音書は、諸々の霊魂の利益になる天主の本である。

天主はそこにおいて人となり給うた

天主の御一人子 イエズス・キリスト、その御徳、その教え、その奇蹟、その御受難、
十字架上のそのご死去、その教会の設立、そのご復活の凱旋等を、我らに明示され、特にその御愛を私共に語り給うのである。なぜなら、聖福音は、天主御父のみこころの出現であるからである。

ああ、愛する兄弟姉妹諸氏よ!

せめて、一日に福音の一ページは読むべきである。しかも、熱心なる信仰、正しき心、大なる志、熱愛、感謝と謙遜などをもって、我らのカトリック教会指導のもとに、それを読むべきである。こうするとき、我らは教皇聖下の御旨にしたがって、そのご希望を実現すべく努力することになるのである。

このように、観じくるとき 福音はわれらにとって、誠に命のパンとなり、天主的の生命は我らのうちに、自然的に侵入して、只 主イエズス キリストの感覚と希望とのみを有することになる。
即ち、他のキリストになるのである。
真のキリスト教徒 即ち 他のキリストである、から。

◆第37号 昭和5年(1930)10月8日

子供の心を獲得すべし

子供の快活にして重大なるものを矯正しようとするならば、「子供の心を獲得すべし」という教訓によってなすところがあらねばならぬ。もし、子供の心を所有する権をもたないならば、如何なる諭しも無効なるものとなるであろう。

諸氏にして、この権を得るならば、教育事業に力を致す諸氏は、子供にとって全く恩人なることを了解させ得るのである。
勿論、これは、急がず長時間を要し、しかも至難の技には違いないが、これに、祈祷と、
天主に対する信頼とを加えるならば
実に的確の効果を上げえる働きとなるのである。ドン・ボスコは言った。「種々なる教育上の規則い加えるに、忍耐、精勤、祈祷をもってすることを必要とする。
これ無きときは、如何なる規則も無効となるものなり。」と。

懲罰について
懲罰を必要とせぬ児童は多数あるが、次の聖霊の言葉に従わねばならない児童もまたずいぶん多いのである。

曰く「鞭を用いずして、人は己が子を憎むなり」と。かくのごとき場合、懲罰は苦くとも
必要な薬である。
憤怒が、諸氏あるいは子供を襲うとき、その故を以って子供に不当なる懲罰を与えないように最も注意すべきである。
もし、これを誤つとき、諸氏は、ほとんど全ての場合後悔すべく、或いは利益以上に損害を子供に与えてしまうであろう。
かくの如き場合、諸氏は、気の鎮まるのをまち、子供が考慮する様に、仕向けなければならない。しかし、正直に、賢明に徹底的に定められた懲罰を与えるべきであって、決してこれを増減せずに実行すべきである。ドン・ボスコは言った。「児童にとって罰となるものは、罰として用いる方法そのものである。
実際において、ある子供にとって、優しくない目つきは、平手打ちより効果があるものであることは、明らかな事実である。立派に出来あがった事に対して賞賛、粗末に出来あがった事に対しての非難は、これ既に十分なる褒賞、懲罰である。
止むを得ざる僅少の場合を除くほか、懲戒と懲罰は、これを公に与えてはならない。
密かに、友をはなれた場所でこれはなすべきである。
しかして、理性と宗教とを以って、賢明に、忍耐して、生徒にその非行を認めさせるよう骨を折らねばならない。
打つこと、苦痛をともなう姿勢を取らせること、耳たぶを引っ張ることなどの体刑は、一切これを用いてはいけないのである。
このような懲罰方法は、法の禁ずるところのみならず、みだりに子供をいからせ、教育者の権威を汚すものであるから」と。
怒りを、催させるような過失を犯した子供に対座するときは、次のとおりに言うべきである。「如何なる罰を与えねばならぬかを、しばらく考えてみましょう」。いうだけでも、強き罰であり、同時に教育者の権威を守り得るのである」と。

如何なる心得を以って聖福音を読むべきか

イエズス・キリストの福音書は、書籍中の最も優れた書籍であることを忘れてはならない。
「この書を見ることのみによっても、我らの意志は強くなり、福音に触れることのみによっても、我らの思想は、善良になり、世俗のことを忘れるに至る」と。

また、聖ヨハネは言った。「悪魔のわなに対して、我らを強め、勇気づける力が福音書の各ページよりでる」と。
これらがために、公共会初代の信者らは、しばしば福音書を胸に抱いて死に、死後なお死体の上にこれを置くように遺言した。
聖アンブロジオは「福音書となったみ言葉は、肉親となったみ言葉が聖体の中における如く拝むべきものだ」といった。
故に、我らは福音書を尊敬せねばならない。そして、この本を、全ての本の主席に置かなければならない。
そして、この本を全ての本の主席に置かなければならない。
福音書の中には、聖体の中におけるように、我らの為に来たり給いし神、我らと共にまします神、我らの中にまします神のみ言葉が存在する。そうすれば、福音の研究が大なる効果を生じ、霊的に多大の利益を増すように、研究前には聖体拝領前におけるようによく準備しなければならない。即ち、活ける深い信仰、良き志望、熱烈な愛、深い感謝、強い忍耐が必要である。

あなたは、聖福音を持っていますか。お持ちでないならば、早くそれを求めなければなりません。

◆第38号 昭和5年(1930)10月8日

王たるキリストの祝日

王たるキリスト勝利したまう
王たるキリスト統治したまう
王たるキリスト命令したまう

来たる26日にあたる王たるキリストの祝日に就き、わずかでも考えてみれば、神は絶対に賢明、全人類の主にして王であることが承知できるのである。
即ち、我が主イエズス・キリストの家系を調べると、キリストはダビデ王の子孫にあたっている。救い主がよに生まれたもうたとき東方の国より三人の博士らが参って、黄金を献
げて、キリストを王と認めたのである。そして、御苦難の前日、主がロバにのり、エルサレムにお入りになったとき、ユダヤ民衆より王として歓迎されたのであった。我が主は、
また、全ての苦を受けたまうたから、苦の君とも称されるのである。
そして、主イエズス・キリストは、聖ペトロをその教会の頭と定め給うて後、天に昇って御父の右に座し、御父と共に勢いと栄えとをもって万物をつかさどり給い、聖霊によって
世の終わりまで公教会を導きたまうのである。
ダビデ王は、勝利の王たる主について、預言した。
『門よ、汝等のこうべをあげよ、永遠の戸よ、あがれ、栄光の王 いたり給わん。栄光の王は誰なるか、力を持ちたまう猛き主なり、戦いに猛き主なり。門よ、汝等の頭をあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王至り給わん。この栄光の王は誰なるか、万軍の主 これぞ栄光の王なる』と。
この栄光の王、万軍の王とは、我が主イエズス・キリストのことである。
ああ!王たるキリストが、我らの心中に、永遠に至りたまわんことを!
主 イエズス来たりたまへ。(黙示録 22の20)

児童教育上 肝要なる 理性と宗教

理性と宗教およそ、教育に関係あるあらゆる規則規律の土台となるものである。
ドン・ボスコは言った。

『我が教育法の出発点は、これを二つに要約することができる。およそ、児童の全ては、
自ら行うべき善をしろうとする理知を、自然的に備えていると同時に、また容易に感謝しうる傾向にある者であることを忘れてはならない。』

人間に対する天主の無限の愛を想起させる、我が尊き宗教の主なる神秘を、天主のお助けによって児童の魂の中に得さしめ、豊かなる利益を我ら人間に蒙らせた宗教に対して、感謝の念をおこさせ、その理性の発動を求め、感謝を表すために天主の聖旨を果たし、その御掟を守らしめ、特に、我ら人間の、相互的義務に関する御戒を、実行せしめることを、児童に納得させるならば、その時こそ、教育の使命の大部分は、ここにおいて尽きたのである。この、教育法において、宗教は、悍馬の口における衝、理性は、くつわの如きものである。

若者の行為、行動を統率する 真の宗教と、その聖き戒律を、柔和をもって全行為の上に、適応させる理性とは、我が児童教育に運用する二つの要綱である。

我が、教育法には、脅かすというものが無いでは無い。天主の御命令をないがしろにする人が、脅かされる罰の如何に大にして恐るべきかを考えさせなければならない。
しかも、厳にして恐怖すべきこの罰は、ただ、外的行為のみならず、極秘の内的施行にまでもおよぶことを考えさせる時、そこにその効果は必ずもたらされるであろう。しかして、
この真理を、益々強く児童の心に刻ませるためには、信心業の真面目な実行、秘蹟を授かること、およびこれに対する教育者の強き勧めである。

天主のご扶助により、この方法にしたがって行うとき、大抵の場合は不良なる者も、立派な人に感化させうるのである。
要するに、「師は、我らの善を求める」と云う観念を、児童によくよく了解させれば、よし児童が反抗したとしても、教育者側においては、只、親しみを表さぬ態度を示すだけでも、
充分な結果を表す罰となるのである。

本教育法は、最も容易にして効果のあるものである。何故なれば、宗教を実践するので、天主より最も祝せられるからである』と。

◆第40号 昭和5年(1930)11月24日

聖フランシスコ・ザビエル

人、もし全世界を得るとも、その霊魂を失うならば何の利益があろうか?

聖フランシスコ・ザビエルは、親友 聖イグニアシヨが唱えた聖福音のこのことばを聴いた時、深く感激して『なるほどそれに違いない。いかほど偉くなっても、いかほど富を得ても、それは、決して真の幸福にもならなく、真の目的に達したとも言えない』と悟りました。
フランシスコ・ザビエルは、平民ではなかった。彼は高貴の子息であった。しかも、その智恵優れ、パリ大学を優等で卒業した新進の学徒の彼が、家名を一層あげるべく、大いに出世し努力を払うべきは、一般として誠にもっともなことではありませんか。
しかし、フランシスコ・ザビエルは、潔白を全うする青年紳士でありました。
『心の清き者は幸いである。彼らは、神を見たてまつるであろうから』との聖福音の御言葉は、彼において成就されたのであります。
フランシスコ・ザビエルは、俗世に仕えるより、天主に仕えたてまつる方を選ぶべきと悟りました。
また、かれは、日本の使徒と言われています。天主のみ栄のため、持っていた全ての財産を人に譲り、求めて貧者となり、万苦万難をしのび、当時最も不便であった航路を通って
我が日本を目指してこられました。

彼の労苦のおかげで、キリスト教が初めて我が日本に移されました。それは、唯一の真のキリスト教カトリックであります。彼、ザビエルは、実に、教皇様から日本に遣わされたのでした。あたかも、イエズス・キリストが、その使徒らを遣わした如くに・・・・。
世界感化のために働く人を遣わす権利を持つ者は、キリストの唯一にして真の代理者ローマ教皇のみであります。
フランシスコ・ザビエルがもたらした真のキリスト教と共に、真の文明も来朝しました。
真のキリスト教が伝える文明は、我が大和魂を滅ぼすどころか、益々その根底をかたくして行くのであります。
唯物の波がごうごうとして、押し寄せる現代をみて、この観を一層深くするのであります。

来たる、12月3日、この日こそ聖人の祝日であります。
我らは、聖人に向かい、熱心に日本におけるカトリックの勝利を祈らねばなりません。

『ああ!我が魂の楽しみなる日本よ!』と聖フランシスコ・ザビエルは叫ばれた程ですから、聖人は、きっと天国から我ら日本人を愛し守られるでありましょう。

子弟に対する教育者の責任

諸氏の児童に対する義務は、その純潔を護り、保ち、しかしてこれを修めて欠点を直すことばかりには限らない。児童の生活中に、これを取り入れしめることもまた、重大事であって、これこそ教育事業中 最も大切な部分である。

諸氏が微風に面をなでられるとき、この風は一体どの方面から吹くのかを的確に知りがたいけれども、もし、頭をさげて地上を見る時、散っている粟粒などに気をつければ、吹く風の方向はすぐわかる。粟粒は小さいが、この場合、役に立つものである。

児童の傾向と才能とに対しては、右のように行わなければならない。
好き嫌いなどの気質、傾向は、児童においてはごくわずかに見出し得るものであるけれども、愛深き教育者は、これを見て、その子供についての天主の思し召しをはかるのに充分である。
児童は、一人では、乙の道より、甲の道へ移れよと招く自然の神秘的感動および、天主の御摂理の御声をわきまえることができない。
よって、彼らには、自己をさとり、天主の召しだしへ向かう為に、友の声を必要とする。

召し出し、いわゆる天主のお招きは、ただし、司祭生活および修道生活にのみ限られるものではなく、あらゆる生活方法に及ぶものである。しかし、この種々の生活方法は、善いカトリック信者にとっては、唯一の国である天国に出会う多種多様の道に他ならないのである。子弟をもつ諸氏よ、諸氏は己が子弟の歩むべき道を、選択するにあたって、ただ物質的利益のみを眼目としないように、注意しなければならない。

もし、諸氏が『はやく大きく儲ける所はどこだ?-かしこだ』と自問自答した結果のみによって、己が子弟の歩むべき道を決定するならば、諸氏はその子弟の真の親ではない。
諸氏は、子供を誤らせてしまうのである。
そして、「共敵はその親族である」との、イエズスのお言葉を実現させてしまうのである。
諸氏にして、右のような問答をしなければならない場合があるとすれば、次のように考え決めた後にするのがよい。すなわち、『よく考えて見る時、私の子供は如何なる道を歩んで、
その霊魂を救うだろうか』と。
そして、これに対する答えを決定するには、賢明なる人、真の信者、諸氏の霊的利益をはかる司祭にまかせるのが良い。

◆第41号 昭和5年(1930)12月8日

無原罪の聖母

原罪なくしてやどりし元后 我らのために祈りたまえ

私ともは歓喜をもって、聖母マリア様を誉めたたえねばなりません。
聖母マリアは、主イエズス・キリストの母となり給い、そのために全ての人は、救霊を得ることができました。

私どもが、人類の罪を思うとき、私共の心は、悲しみのため暗くならざるをえません。

聖寵と一切の恩恵とをこうむった人類は、天主に対する人租の反逆によって全てを失い、被造物中、最もあわれなるものとなっておりました。すなわち、精神上、肉体上の一切の悲苦を招く上に、己が犯した罪をあがないえず、絶体に、永遠の幸福に達しえない筈でありました。然るに天主様は、人を捨てたまわず、人類に救い主をお約束し給い『いずれ後日、一人の女が現れて、蛇の頭を踏み砕く日が来るだろう』と言いました。

人類に約束されたこの罪無き女、主の御母ととなえられる女、蛇(悪魔)の頭を踏み砕く女とは、聖母マリアであり給うのみ。
『ああ、マリアよ 汝は汚れなき御者なれば、最も清き御者にてましますなり』と歌はなばなりません。

けれど、祈りをし、讃美するばかりでは足りません。私共は、聖母マリアの御徳に倣うようにしなければなりません。
即ち、徳の中にても、最も尊重される潔白の徳に倣うべきであります。
私共は、五官をつつしみ、罪のたよりを避け、秘蹟を授かり聖母マリアに祈って、この徳を守るように、決心いたしましょう。

児童の召出についての親の心得

諸氏がもし、聖堂の事に対する児童の好意およびその他のしるしによって、その子供が司祭または、修道者の召しだしを蒙っていると信じるならば、次のことを考えなくてはならない。

一、 諸氏は、その子供の自然的傾向を妨げず、他人にも妨げさせぬように注意しなければならない。
二、 諸氏は、子供に慰安の言葉は言ってもよいが、司祭、修道生活は犠牲および布教の生活であり、司祭、修道者になった人は、自分にも他人にも現世的財宝娯楽を与えるための好意を有せず、ただ、天の善を選ぶのみであることを、よくよく了解させなければいけない。
三、 次に、何よりもまず、諸氏は祈り、子供にも祈らせ、彼に指導霊父を選ばせて、なるべくこれを変えないことである。そして、児童は、指導霊父を真実な友と認め、彼に全て打ち明けるようにすすめねばならない。また、子供の教師の品行をよく調べなければならない。教師が悪ければ、子供の召しだしは危険になる。なるだけ、カトリック学校に子供を任せる方が良いのである。

諸子は物質的利得の見地のみからして子供を聖役務にむかわせることを断じて避けねばならない。それは、子供、聖公教会および自己を裏切るのである。

ドン・ボスコ曰く、『自分の生活状態を、定めることは、生涯の方針を決定することに他ならない。これを間違えるならば、一生涯を間違えることになるのである』

私が品級の秘蹟を授かる前日、母は言った。『我が子よ、よく聴け、私は、今後お前より何者も貰いたくはない。私は、天主様に頼ります。私は、貧乏に生まれ、貧乏に生き、貧乏に死ぬのを欲します。我が子よ、よく聴け、お前がもし金持ちになるならばお母さんはお前に会いもせず、お前の家にも断じて問わぬ決心ですよ』と。

◆第43号 昭和6年(1931)1月8日

恐れるな! 平安!平安!!

新約になって、天主が降したもうた福音の始めの御言葉は『恐れるな!』であった。
洗礼者 聖ヨハネの誕生が預言されたとき驚嘆しているザカリアに、『ザカリアよ、恐れてはならぬ』と主の使いは言った。

大天使ガブリエルが、御託身の玄義を告げた時、『マリアよ恐れ給うな』と申した。
イエス様のご誕生を告げるとき、天使は、夜中から起きていた羊飼い達に、「恐れるな!
我は人民一般にとっての大なる喜びの福音を汝等に告げる」と平和な言葉をもって、恐れた心に力を添えた。
聖ペトロは、イエズス様の御命令に従ってある時、網を降ろしたところ、沢山の魚がとれたので、『主よ、私は罪人です。どうぞ私から遠ざかってください』と叫んだ。すると、イエズス様は『恐れてはならない、今後お前をして人を漁るものにしよう』とのたもうた。

イエズス様ご復活のとき、信心深き婦人達は御墓に入ったが、主 イエズスの亡骸は見えなかった。その時、輝いた衣をまとった二人の人が『汝等恐れるな 主は自らのたまうた如く復活したもうたのである』
イエズスは、また、使徒達に現れたまうたときに『汝等安かれ』とのたまうた。イエズス様の御教えは、いつも恐れのない教え、いえ、愛の教えである。
イエズス様は、祈りと秘蹟とを以って、私達人間との直接の和合を望んでいらっしゃるのである。
澄み切った晴れやかな空は、『恐れるな!安らかれ!喜べよ!』と私達にさけびかける。
よって、ずっと昔の信者の各々の挨拶は、「安かれ」と言ったのであった。

ローマのカタコンプには、『安かれ』と刻まれてある。亡くなった信者の上に、我が聖公会は、「彼ら 安らかにやすまん」と祈るが、この聖い平安をうるためには、天主の御掟を守り、己が心と天主の心とを一致させねばならない。我ら神父は、諸氏のために、「願わくは、我が主イエズスの平安の全て汝と共にあらんことを」と祈る。

福者 ドン・ボスコの意による

日曜学校(オラトリオ)
現代に適応する日曜学校は、福者ドン・ボスコによって希望されたものである。
八才の時、夢ながらに、罪に悪化された少年の群れを、優しき子羊に変える大責任を、救い主と天主の御母により受けた、福者 ドン・ボスコは、特別な規則を作らないで、独特の境地に新しいオラトリオを始めた。

その主な特徴は、次の通りである。
1、まず、児童を善良ならしめ、彼らをして、その善良性を保存させることである。
それで、彼の日曜学校は、入学に関する難しい関をもうけず、願書も何も、不必要として、一般の子供に開放したのである。オラトリオ入校の唯一の要件としては、只それにあずかることと、永続のための良い意志があれば充分である。

2、実行可能のあらゆる方法は、これを工夫し児童を喜ばせ、興味を持たせることである。

◆第45号 昭和6年(1931)2月8日

万民の父

2月12日は、我らが敬愛する教皇ピオ11世聖下の御即位記念日である。
我ら4億のカトリック信者は、こぞってこの日を、祝わねばなならない。
そして、そして、聖下に対し、一層忠実なる敬愛心養うため、教皇に関する事柄を
しばしば、深く考える必要がある。

教皇は、先ず、地における天主の代理者である。そこで、教皇を敬うか、或いは敬わぬかは、ただちに天主様に対するその人の態度となるのである。すなわち、教皇のお言葉を大切にする者であり、それを大切にもせず、守りもしない者は、天主のお言葉をないがしろにする人達である。従って、教皇に対する義務を果たす者は、天主の御恵みを蒙るが、それを軽んじるものは、天主の厳しい罰を招くものである。

教皇聖下は、主 イエズス・キリストの代理者であります。
即ちイエズス・キリストは、その建てたもうた教会の見えない頭であって、教皇はその見える頭でおられます。
よって、教皇は「地における甘味なるキリスト」と呼ばれるのである。
故に、教皇は教皇とある者は、イエズス・キリストと共にあるものです。
そして、教皇から離れてあるものは、イエズス・キリストから離れてあるものである。
たとえば、一切の新教諸派は、みな教皇に服従しないので、従ってイエズス・キリストから離れてあるものです。

教皇は、聖ペトロの相続者である。ペトロは、ローマの司教でもあったから、歴代のローマ司教は、聖ペトロの後継者です。しかも、聖ペトロは、キリストが立てたもうた、カトリック教会の初代の頭として、主 キリストから、選ばれたのである。
また、天主のみむねに従い、ローマをカトリック教会の都と定めた。かつてあった大迫害に際し、当時の信者らの懇望を入れて、聖ペトロがローマを退こうとした時、この永遠の都を棄ててはいけないととどめたまうたのは、主 イエズス・キリストおんみずからであった。よって、聖ペトロは、最後までローマに留まって、ここで殉教されたのである。
そこで、イエズス・キリストより拝受した教会の統治権は、次のローマ司教に譲られたのである。そして、その時より今日まで、また世の終わりまで、この権利は次々と世に存在してゆくのである。

教皇聖下は、万民の精神的統治者にてまします。教皇の御前では、貴賎貧富の差別はない。
そして、何人も、救霊をえるためには、教皇に対し、絶対的な服従を必要とするのである。
歴史をひも解いてみれば、教皇に反抗した全ての者は、皆あわれにも滅んでしまったのが明らかである。

教皇は、我らの慈悲深い御父である。遠いローマに在られても、常に全世界の事をはかりたまうのである。しかも、最も厚く思い給うものは、最も遠くに住む我ら日本信者のことである。
教皇聖下のみこころは、イエズスのみこころである。教皇がクリスマスに際して言われたお言葉の中に、次のものがる。
これをみても、教皇が如何に信者を愛しているかが、よくわかるのである。

「天主より、その教会の長に定められた余は、教会、信者が苦しみ、戦い、祈るにいたるところに余の心、心配、祈祷をささげるのである。
それは、余がかれらと共に苦しみ、闘い祈るためである。」と

ドン・ボスコと共に働け

カトリック信者は、全て、天主の協力者であらねばならない。
何となれば、天主は全ての人に向かって、『汝の近き者を世話し、己の如くそのものを愛せよ』とのたもうたからである。
諸氏にして、ドン・ボスコの言行を信じ、その精神にのっとって働こうとするならば、諸氏は、ドン・ボスコの為に、協力するのではないが、ドン・ボスコと共に働く天主の協力者となるのである。
サレジオ事業は、慈善において存在するゆえ、彼は、ドン・ボスコにとって、協力する人士を必要とする。これ等の人士を呼んで、サレジオ協力者と言うのであるが、彼ら協力者は、『御国がきたらんことを』との主祷文の言葉を、実際に実現させようとして、働くべき団体でなければならない。

ドン・ボスコは言った。『サレジオ協力者、即ち善きキリスト信者と言われる日が、やがてくるだろう』と。
諸氏が、サレジオ事業に協力する日は、いつ?それは、諸氏が神よりドン・ボスコに託せられた神の聖き働きを、よくわきまえられた時であろう。

ドン・ボスコに託せられた神の聖き働きとは何であるか?
真の幸福に仇なす敵より、青少年を守り救うことである。
共にする協力を、ドン・ボスコに致そうとする人士は、よろしく青少年を救うべし。
できれば、青少年を救済に力をつくす人士を援助すべきである。

◆第46号 昭和6年(1931)2月24日

カトリック運動とサレジオ協力者

我が「ドン・ボスコ」愛読者諸氏は、福者ドン・ボスコが立てたサレジオ協力者組合に加盟するように最近勧められるところがあった。
この組合は、『聖役者階級への平信者の参出」という教皇聖下のお考えを、立派に実現するものであって、諸氏は、皆サレジオ協力者たれと再び声を大にして勧める次第である。
東京大司教シャンボン閣下は、東京大教区内における、種々なるカトリックの会に、カトリック運動の方針を示され、教皇聖下の御希望実現に努力せられている。
我らもまた、東京大司教閣下の方針に組みすると同時に、我らの教区においても、この運動の実行を期さなければならない。
教皇聖下はのたまう「カトリック運動は、近世に起こった事柄に思っている人があるだろうが、それは、全く違う」。
これは実に、古い昔からの事である。使徒たちさえもカトリックを広めるために平信者を使った。聖パウロも、布教事業におけるその同伴者と、援助者について語っている。
さて、それは、布教への平信者の進出であるから進出すべき人達は、まず良き信者でなくてはならない。さもなくば、布教することはできない」と。
サレジオ協力者がなす運動の目的は、自分自ら立派なキリスト信者となり、家庭と社会とをカトリック化すべく尽力することにあるのである。

それで、諸氏は皆、この組合の霊的利益を知って、これを獲得し、福者ドン・ボスコの事業を通じて聖公教会の希望を実現するために、一刻も早く自分の姓名を、サレジオ協力者組合員中に出現させてもらいたいのである。

カスチ・コンヌビィ

教皇聖下は、全人類に、カスチ・コンヌビィ(貞潔なる婚姻)、と題する回勅をたまわった。
この回勅は、現代の家庭および社会が堕している。諸々の忌むべき状態よりして、真のキリスト教的結婚を論じたものである。
これは、人類に対する教皇聖下の大なる恵みである。
社会は、これによって真にして深厚、確実にして永久なる平和を得られるのである。
故に、この回勅は家庭、国家、全人類と重大な関係をもつものである。本紙は、後日、回勅 カスチ・コンヌビィについてのべるつもりであるが、概略を示せば次の通りである。

第4世紀において、聖アウグスチノが確立したキリスト教的婚姻の不変の理想を高々と掲げ、ほとんど「無政府的」な現代の性生活に対し、さとりの警鐘を打ち鳴らしたものである。
この回勅により、いわゆる、現代的性生活の種々相に対する天主公教会の立場は、ここにいかんなく表明された。例えば、教皇は離婚、産児制限―英国聖公会の監督が昨夏、ラムベス会議において、一定の事情のもとで、産児の制限も認めた事実を想起しなさい。
臨時結婚、試験結婚、友愛結婚、避妊、人口流産、優生学、特に劣等者を妊娠不能に陥れること、女性の解放、妻の夫に対する服従、母の務め等々、婚姻生活の全般にわたって詳論し、貧困と社会的不安との相関関係に言及し、最後に道徳律を擁護する為に、教会と国家とが、互いに協力すべきことを力説されているのです。

公教会についての福者 ドン・ボスコの言葉

実に、カトリック教こそ、聖人達や、徳に優れた人々を持つ唯一の宗教であります。人の生涯の全ての必要時に当たって、人を強め得る力をもつものは、ただ聖会のみであります。
聖会は、我らを修養させ、真理の道に我らを汚れなき若々しさをもって常に導き、秘蹟と、立派な生涯の為なる言葉をもって我らを強めるのであります。
現実に際しても、聖会はその人の永遠の為なる精神的善や、また物質的善を与えるに出来るだけの援助は決して惜しむものではありません。この時、聖会はむしろ二倍も強き力を与えるのであります。聖会のみ、人の臨終時に、また死と死後においてのなぐさめを与え得るのであります。
おお、カトリック宗教よ!聖き宗教よ!天主的荘厳なる宗教よ!いかほど、汝は、汝に対して理解のあるものを持て成して信頼させることであろう!汝に希望をかける者に与える善の如何に偉大なことよ!聖会の戒めを理解し、その懐に自己を見いだす者はどれほど幸福であろうか!

聖なるカトリック教会の中において、聖会の意志によって我らは想像され保護されることを、天主さまに真心から感謝するとともに、そのありがたさを肝に銘じ、われらが神秘的宗教の戒めの主旨を努力をもってますます発揚しなければなりません。

◆第47号 昭和6年(1931)3月8日

天主の下僕 ドメニコ・サヴィオ

きたる三月九日は、ドメニコ・サヴィオの帰天日である。青少年の模範であるドメニコ・サヴィオは、やがて福者の位に上げられるであろうが、われらもその為に、熱心に祈らねばならない。
諸氏は、ドメニコ・サヴィオに就いて、既に詳細なる話しを聞いたであろうが、今、ここにその伝の概略を述べて見たいと思う。

ドメニコ・サヴィオは、1842年 イタリアのトリノ市より、少し離れたキエリのリパ村に生まれた。7才の時、天使的熱心を持って初聖体を受けた。
その際、彼は次のことを決心したのである。
―私の友達はイエズス様と聖母マリア様です。罪を犯すよりも、死ぬ事を望みます-と。
小学校を卒業してからは、日増しに徳の鑑となり、他人の喜びとなった。
彼が親の家を離れて出る時は、天主の声を感じたと言う。
彼が初めて福者 ドン・ボスコに会ったときの感激は如何に深いものであったか。これは、福者ドン・ボスコに会った時の感激は如何に深きものであったか、これは福者ドン・ボスコ自ら物語っているところである。
福者は彼を目して、「完全に天主の聖旨に適う魂である。彼なら聖人になり得る」と言った。

ドメニコ・サヴィオは、福者ドン・ボスコに会ってより、絶対的に福者にその心と魂とを任せた。彼の唯一にして不断の希望は、聖人になることであったので、福者ドン・ボスコに向かい「私が聖人になれるようおたすけ下さい」と常に願っていた。
他人に対する彼の愛は、真に深きものであった。「もし、私が全ての友達を天主様のために得ることができたら、どんなに幸いでありましょう。」と、言っていた。
そこで、その祈り、話し、勉強、遊び等、全ての行いは皆のために手本、説教、教えとなり、天使的布教となったのである。
即ち勧め、忠告、祈り、犠牲などをもって、友達を悪より救い、彼らをして善にむかわせようと励んだのである。

彼は、聖体に対して深い信心を持っていたので、聖体拝領を自分の最上の楽しみとしていた。そして、その心を無原罪の聖母マリアに全くささげていた。

ドメニコ・サヴィオの全生涯は、天主の聖寵の働きであって、既にその実果を結びきったので、もはや天国に移らねばならなかった。よって、万人の彼に対する現世的な嘱望にも関わらず、彼は永遠の生命の曙に近づくのであった。1857年3月9日、彼は息絶えつつ「おお、何と美しいものを私は見ているのだろう」と言いながら、この世を去った。
時に15の青年であった。

ヨゼフに頼め

聖会は、聖ヨゼフを祝って、二日をこれにささげている。一つは、3月19日、一つは、ご復活後の第三水曜日である。
また、毎週の水曜日も、同聖人にささげられた日である。
聖書は、聖ヨゼフを指して単に、義人と言うが、この義人なる一語の中に、聖ヨゼフが完全につくした一切の徳が含まれているのである。聖ヨゼフは、天主より、多くの恩恵にあずかったが、彼は、これに対して立派に答えたてまつったのであった。故に、聖ヨゼフは、救い主の養父、童貞マリアの義父と選ばれ、天国における非常なる権勢を授けられた聖人である。
昔、エジプトに七年間続いた大飢饉があった。人民は、王のところへ言って食物を乞うた。
王は、以前から、ヤコブの子なるヨゼフを国の総督と定めてあり、ヨゼフが豊年の間、天主の示しに依って、多くの麦を倉にいれておいたので、王は人民に向かい、ヨゼフに頼めと言って彼らを総督の所へ送ったのである。
聖会も同じ言葉を聖ヨゼフにあてるのである。
そして、恵みを望む信者に向かって「ヨゼフに頼め」と繰り返し勧めるのである。
我らは、この偉大なる聖人に対して、深い信心を持たねばならない。しからば、いかなる恩恵でも、きっとこの聖人の取り次ぎによって得られるのである。

◆第48号 昭和6年(1931)3月24日

ヴァチカンのラジオ落成式に際し
教皇聖下が放送された御言葉

最近、ヴァチカン市国で、新式のラジオ放送設備が、落成した際、教皇聖下には、全世界に向かって親しく御言葉を放送遊ばされた。本紙は、ここのその際の御言葉の一部をしるすことことにする。

万物に向かって

我らは(教皇は常に、御自分をさして我らといいたまう)天主の深きご計画に従って、使徒らの頭のその後継者であり、万民および、万物に向かってそのとく教義や説教は、これ、神の御命令によってなすところのものであり。
ここ、ヴァチカンより、感嘆すべきマルコニの発明を利用するのは、今回を持って最初とするので、まず万物万人に向かって、聖書の次の言葉を申すのである。
「天よ、我が申さんとするところを聞け。地は、我が口より発する言葉を聞くべし。万民よ聞け、地球を満たす者どもよ、富者も貧者も、一つになって耳を傾けよ。遠ざかった民らよ、耳を傾けよ」と。

天主に向かって

我らの最初の言葉は「いと高き所には、天主の栄光あれ、地においては善意の人に平安あれ」である。今日、声を地の端まで及ぼし得る力を、人間に与えたもうた天主に栄光あれ。
我らは神なる救い主イエズスの代表する地には平安あれ。イエズスは世に来て、遠ざかった人に、隣人に平安を告げその十字架の御血をもって、血にある者と、天にあるものとを平安ならしめ給うた。

カトリック信者に向かって

全ての人間に向かって話し、慈悲をつくせ、と使徒パウロは命ずるが、我らは特別に、信仰上の仲間に対して慈悲をつくすべし、と命じる。
我らは、まずもって、天主の家族と群れとであるカトリック教会に向かって話さねばならない。彼らは、我らを甘味なる父とよぶ。我らは、即ちその最上の牧者たり、最上の王たるイエズス・キリストが、我らに任せたもうた全ての人に向かって挨拶するのである。

富者に向かって

我らは富者および貧者に向かっていう。富者は、自己が天主の摂理に従う富の保管分配者であることを自覚しなければならない。
イエズスは、貧者を富者の手に頼みたもうた。
富者は、多く物を受けた故、神的審判者より、貧者に比して一層厳しく授かれるであろう。
富者は、イエズスの言葉を思わなければならない。
すなわち、「不幸なるかな、富者よ」なるみ言葉である。

貧者に向かって

我らは、貧者をはげます。しかして、彼らが我が救い主、イエズス・キリストの貧賤をよく観察するよう勧める。
また、彼らは、主のしめしたもうた手本および約束を思い出し、霊魂上の宝を得ることを怠ってはならない。霊魂の宝を獲得することは貧者にとっては易いことである。
彼らは、益々自己の状態を改善すべく励み、良き心と正しい心とをもって天主よりのご恩恵を蒙るべきである。

悩む人、迫害される人に向かって

病気に、苦難に、困難に悩む人よ、天主と社会との敵より迫害される人よ。我らの言葉は、汝等に向かって心よりのものである。
我らは、汝の為に祈り、出来得る限りの救助を汝等にもたらしたい。
しかして、汝等を、全ての人の慈愛にまかせつつ、イエズスの代理者としての言葉を申し上げる。すなわち「疲れた人。悩む人は我らへ来たれ。しからば、我らは汝等をなぐさめよう」と。

アレルヤ!

兄弟達よ、古き種を除いて、新しいパンたるべし。それは、我らが過越しのいけにえたるキリストは屠られたもうたからである。
故に、我らは古きパンだね、および悪事と不義とのパンだねを用いずして、純粋と真実との種なしパンを用い祝わいましょう。

イエズス・キリストの御復活は、我らの霊魂にとって復活の模範でなければならない。
カトリックにおけるこの祝日の意義は、すなわち此処にあるのである。
良き志を強めて、これを善へ立ち帰らし我らの人生につけられてある欠点を務めて除き、しかしてイエズス・キリストを我らの中に生かすことである。
よって、兄弟諸氏よ、我らも教会と共に喜び、「これは天主の創りたもうた日であれば、我らは、この日歓喜に酔うべきである。我らが頼みたてまつる天主は、全て善であります故、その御憐れみは永遠のものである。アレルヤ!」と歌おう。
ご復活を迎えるにあたり、宮崎教区の宣教師一同は、兄弟諸氏にこの祝詞を贈って、熱心に祈りかつ勧める次第である。

◆第49号 昭和6年(1931)4月8日

善良印刷刊行物の使徒
福者 ドン・ボスコ

悪徳刊行物に対してのみならず、また、ローマの使徒 伝来のカトリック教会が遵奉する、最も純粋なその教義を、汚し、偽造しようとした一切の印刷物に対し、福者 ドン・ボスコは正義の旗を立てて敢然これらとたたかった。防備にも攻撃にも同時に有効である善良印刷刊行物をもって、福者は勇敢にこれらと戦った。
カトリック教会に、反抗するバルド派が、ピエモンテおよび、トリノにおいて、異端の印刷物を広く配布して霊魂的悪徳をほしいままにするとき、福者 ドン・ボスコは、大衆向きに編纂した「カトリック講和集」を発行して、悪徳輩の撲滅のために闘うことになった。福者は、熱心と感激との火を心に燃やして「私は、カトリック反抗者を決して恐れない。むしろ、信仰の為に我が命を犠牲にすることが出来たら、本当に幸いなことである」と叫んだ。
福者は、この仕事のため、先ず天主に深き祈りをささげた。そして、賢明に計画を立てた後、謙遜の心をもって、これを敬愛する司教 フランソニ霊父に提出した。司教はこれに対する許可を与えたのみならず、熱心に激励した。
よって、福者は、これを聖母マリアのご保護の下において、新事業を開始し、援助者を求めて一心に働いたのである。事業の成功を疑う人、恐れる人達は、これを止めようとしたが、福者ドン・ボスコは、見上げた武士にも比すべきであった。

彼は、正義の為には死に直面するも、一歩も引くことはなかった。
福者が、その時負った責任は、誠に多種多様なものであったで、この新事業は、彼の負担を一層重くした。しかし、彼は迷わなかった。福者は信仰人であり、五人分は仕事をやってのける不思議な人物であった。彼は、一般には不可能と目される事業をも、立派に成功させうる秘訣をその心に秘めていた。その、秘訣は、不断の安心、種々雑多な事業に対する実行能力、不断の完全なる時間利用。模範的な節制、厳格な苦行などであった。
故にかれは、質素なその食事後、直ちに机に向かって勉強ができるのであった。
しかも、天主に仕える人々にとっては、時間は無限に増大するものである。
福者 ドン・ボスコは、夜、就寝を欲しない程であった。ゆえに、彼が夜中、机に向かって仕事に励むことは、しばしばであった。

開戦の狼煙は上がった。福者 ドン・ボスコ著の小冊子は刊行され、カトリック信者への勧告と題して次のことが発表された。

1、 不道徳な話しをする人や、我らの聖なる宗教を軽んずる人を避けなければならない。
2、 勉学、職業、親戚等の関わりで、以上の人と交わらなければならない時は、彼らと宗教的議論をしない方が良い。彼らが、もし質問や反対等をするならば諸氏は答えて、
「病気の時は、医者を訪れ、裁判事件があるときは弁護士にたのみ、薬がいる時は薬
 屋に行く。同様に、宗教問題がある時は、神学を深くきわめた司祭を訪ねるのである」と言うだけである。

3、 悪い書籍、新聞、雑誌等を、決して読まないようにせねばならない。
こうした読み物は、器にいれた毒物のようなものであるから、もし、これ等を手にしたら、一切を直ちに捨てねばならない。

カトリック講和集は、善き人々から、たちまち白熱的歓迎を受けた。ドン・ボスコは、最初の12冊を製本して、教皇ピオ9世聖下に奉呈した。教皇はこれを喜びなされて、この新事業を祝福されたのである。

購読者は、年ごとに増大し、1853年から1860年までの間に、その数は万に達した。
しかして、1870年には、14000に及んだ。
この講和集の発行部数は、創刊50年後には、920万部に上ったのである。

ドン・ボスコの格言

悪しき書物をペストの如く恐れよ。

我らの霊魂の糧は、神の御言葉なり。

◆第51号 昭和6年(1931)5月8日

キリスト信者の扶助なる 聖マリアの信心

キリスト信者の助けなる聖マリアに対する信心の起源と伝播とを知るには、次の話しを読めば分かります。

1571年、トルコ人が、全ヨーロッパを侵した時、教皇ピオ五世聖下は、彼ら無謀なるトルコ人の暴力をくじき、その野蛮的な略奪を防ぐため、勇敢なカトリックの軍隊を組織してトルコ人にあたらせたのでした。
この時、オーストリアのドン・ヨハネはスペインの軍隊にイタリアの勇敢な兵を連合させました。これについて教皇ピオ五世は、この聖い同盟軍に軍旗を送りましたので、カトリック連合軍は、その軍旗の下に、勇ましく進軍したのでした。
その輝く軍旗には、黄金で縫った十字架の絵が表されていました。
それでみれば、この連合軍は、市民のためにも聖会のためにも、防御することが明らかに示されていました。
三日間 大斎し、公式にいのり行列をした後で、このキリスト信者の軍隊は、皆 熱心に聖体を拝領し「キリスト信者の助けなる聖マリア」の御名によってその保護を求め、十月七日、レパントの海上へ向かい、トルコ人と戦端を開くことになりました。
三時間にわたって大激戦がありましたが、間もなく天主と聖母のお示しによってカトリックの軍隊は、皆、敵の大将が戦死したことを知ることができました。
大将の戦死のため、マホメット軍は見る間に恐怖と無秩序を来し、大混乱となり、ついに大敗北してしまいました。それで、キリスト信者の軍隊は、敵の軍艦にいずれもイエズス・キリストの旗じるしを掲げて「マリア万歳」を絶叫するのでした。

丁度、この勝利のあった時、教皇は、ローマにおいてご自分の部屋の中で、静かに祈っておられましたが、この大勝利のお知らせを超自然の示しによって、奇蹟的に受けたのでした。

そして、この勝利の記念を永久におぼえるよう、聖マリアの連祷中に「キリスト信者」の助けなる聖マリア 吾等の為に祈りたまえ」の一句を付け加えようと、望ませられたので、
信者は、十月七日、勝利の記念として聖マリアの光栄を祝うようになったのでした。

その後、1683年、ウィーン市がまた、トルコ人の包囲攻撃を受けて苦しみましたが、聖母に祈って救われたので、この幸いな出来事を記念し、感謝するため、バヴィエルに「
キリスト信者の援けなる聖マリアの信心会」が創立されました。然るに、この信心会は、
間もなくイタリアをはじめ各国に広がって行きました。
教皇ピオ七世が、フランスの不正な制限よりも自由の身となった時、キリスト信者の助けなる聖マリアの聖日を設け、その日5月24日と定めました。そのため、マリアに対する信心はこの名目の下に益々発達していったのでした。
そして、この信心会は、1865年、スポレットとトリノの町に聖堂を建設しましたが、
この聖堂建設は、会員が各々超自然的指導によって光を受けてそれを思い立ったのでした。
このような有様で、会員は遠近より馳せ集まる盛況を見る事になったのでした。
これすなわち、キリスト信者の助けなる聖マリアの名のもとに祈るとき、その取次によって、聖マリアの著しい助けが神秘的に現れることをだれでもさとる事ができたからであります。
1870年、四月五日付けの親書によって懐かしい思い出を残した教皇ピオ9世はトリノにあるキリスト信者の助けなる聖マリアの聖堂の内に、最初の信心会を創立しました。
この会は、たくさんの贖宥をうける特権を持っております。
(詳細は、ドン・ボスコ社 発行の「キリスト信者の援けなる聖マリアの信心会」なる小冊子参照のこと)

◆第52号 昭和6年(1931)5月24日

ドン・ボスコの生涯とその事業の扶助者
聖マリア

洋の東西を問わず、あらゆる時代の歴史をひもといてみるとそこに出現した偉人の背後には、必ず扶助者なる婦人の姿が認められる。

福者 ドン・ボスコにあっても、また、然りであった。しかし、それは、人間的な一般婦人ではなくて、神的な一貴婦人であった。即ち、彼のマドンナ、聖母マリアであった。
福者が、この貴婦人を、最初に見たのは、彼が9歳のおりの夢においてであった。
福者は、喜びかつ驚いた。
どこから見ても光彩陸理たる姿のこの貴婦人は、命によってそのそばに近づく福者の手にとって、あそこを見よ、というのであった。見ると、小山羊、犬、猫、熊などの群れがあった。貴婦人は、福者に言った「見よ、これを。貴方が働かねばならない天地が働かねばならない天地は、ここにある。謙遜である。強くあれ。健やかなれ。世の子供達こそ、貴方にとって、これらの動物の如きものである」と。

福者は、見回していた。すると、荒々しい獣に代わって多くの優しい子羊が現れた。
そして、子羊は喜々として、彼のそばに群れ集まってきた。
夢ながら福者は涙を流し、貴婦人に向かって言うには、「これに一体どうしたことですか。
どうぞ、その理由をを聞かせてください。」と願うのであった。
貴婦人は、福者の頭に手を乗せて「時がくれば、やがて全ては解りますよ」と言うのであった。
後日になっても、福者が去就に迷うときは、この夢の貴婦人が、必ず現れてくるのであった。そして、常に慈母のごとく「恐れるな。我は汝を守っている」と語るのであった。
即ち、イエズスが、使徒たちにのたもうたお言葉を、聖マリアは、青少年の為なる新使徒
福者ドン・ボスコに聞かせたまうのであった。

ドン・ボスコは、扶助なる聖マリアに対する信心を、熱心につくした。
そして、この信心を、その事業の根本の土台として、これを子供達の心にしみこませた。
サレジオ会員に対しても、この信心をその一特徴とし、奇蹟を通じてこれを尊ばせた。

ドン・ボスコの行った奇蹟は実にその数が多い。
ドン・ボスコ伝の各ページにわたってこれが記されている。これをもってしても、心あるものは、何人でも、聖母マリアの権勢を知り得るのである。
彼を訪れた病者が、健康を祈るとき、彼を訪れた病者が、健康をいのるとき、彼は目を天に上げ、手を按じて、キリスト信者のたすけなる聖マリアの祝日が、五月二十四日に定められたのは、ドン・ボスコが誕生した年にピオ七世教皇が発したもうた勅令によるのである。現在、この信心の中心はイタリアのトリノ市にあるのであって、年ごと、そこに巡礼する大群衆を見るのである。
また、諸国から、宣教者が出発して地の果てまでに広がり、キリスト信者のたすけなる聖マリアの信心を人々へ伝えているのである。そして、同時に福者ドン・ボスコの名も、崇敬の的となってゆく。この二つの名は、人々の心に深い印象を与えて、喜びと恵みとになって行くのである。

◆第54号 昭和6年(1931)6月24日

聖カリストのカタコンブについて

既に、ご承知のごとく、教皇聖下には有名な聖カリストのカタコンブをサレジオ会に任せたもうたのである。カタコンブとは、迫害の最中に初代教会信者達が、信仰的集合をなした所の地下室である。今、この聖カリストのカタコンブについて、いささか述べよう。

教皇墓地

カタコンブは、信者が集まるところであると同時に、彼らの死骸をもここに収める所であった。故に、それは、信者の墓地とも言われるのである。
この古代信者墓地の中で、最も有名なものは、聖カリストのカタコンプである。
何故ならば、そこには、教皇墓地があるからである。

昔、ローマの有名な通り ビア・アッビアの端に、多くの壮麗な霊廟が建てられてあった。
その地下に、小さな墓地が掘られ、それからして段々にトンネルに似た地下道がつくられて行った。ときにビア・アッビアに広大な土地を所有していたローマの高名な貴族 チセチリ家の有力者が信者となったので、同家では、他の地下墓地をそこに作らせたのであった。それは、二世紀の初めころである。
しかるに、これが次第に発展して、二世紀中に教会に提供されたので、教会はそこに教皇の墓地を定め、カリストとよばれる人にこれを一人した。
このカリストは、聖役に自らをささげ、ゼエフエリノ教皇よりジャコンヌス(助祭)に式別されたのである。

助祭カリストは、司祭となり、教皇となった。彼の努力のおかげで、カタコンブは立派に組織立つことが出来たのであった。教皇カリストは殉教し、そのカタコンブは、聖カリストカタコンブと呼ばれるに至ったのである。

聖カリスト カタコンブは昔から信者の崇敬の的であって、多くの信者の崇敬の的であって、多くの信者がここに巡礼する習わしがあった。
その有名なる理由は、何であるか、と言うのにそれは次の通りである。

教皇聖堂

地下墓地の中で、最も重大なるのは、教皇の聖堂である。
そこには、十一名の教皇が埋められていて、これらはほとんど皆、殉教者であった。
聖堂の壁石には、マルチル(殉教者)なる文字が彫ってある。
祭壇の上には、教皇 聖ダマゾの深い謙遜を表している。
意味は、「我もここに、我が死骸をうめたい。しかし、先人なる諸聖人の遺骨を汚すことを
恐れて、それを断ったのである。」と。

聖チエチリア墓地

教皇聖堂の左方に聖チエチリア墓地がある。聖チエチリアの御遺骸は殉教後、ここにもたらされ、そこの洞中におかれたままであった。9世紀に至って、御遺骸はその大聖堂内に運ばれた。西暦1595年、御遺骸の検査が行われ、彫刻家はマデルノは、大理石をもって立派なご像を作り上げたのである。
昔から尊敬の的であったこの墓には、多数の信者が、そこにいのりくる習慣をもっていた。

秘蹟の室

一地下道の両端に、秘蹟の室と呼ばれるところが、2、3ある。
それは、洗礼、聖体、悔悛の秘蹟の室と呼ばれるのである。
カタコンブは、聖人と殉教者との墓所である。そして、彼らについての思い出は、信仰に対して証明したところを、世の終わりまで表しているのである。

聖タルジオ墓地

カトリック信者の英雄的血潮に祝せられたここには、また、他の小聖堂が建っている。
そして、そのうちに、有名なデロッシの像がある。前世紀の中ごろ、デロッシの努力の結果として、初代教会の信者生活の信者生活の証拠となるここが公に建てられたのであった。
中央祭壇前に、昔、信者の崇敬を集めた一場所の残骸がある。それは、教皇ゼフェリノの墓である。今日 聖カリスト カタコンブのあるところを、チセチリ家より継承したのは聖ゼフェリノであった。
この聖人と共に、他の有名な殉教者の御遺骨をもおさめてある。即ち、信者は感激の中に、聖タルチジオの殉教を思う事が出来る。聖タルチジオの殉教者の御遺骨を収めてある。即ち、信者は、感激の中に聖タルチジオの殉教を思うことができる。
聖タルチジオは、司祭たるべく歩み出した最初に、聖体の為に、殉教の栄冠を思うことができる。聖タルチジオの殉教を思うことができる。
聖タルチジオは、司祭たるべく歩みだした当初に、聖体の為に殉教の栄冠を頂いたのであった。

現今人々は、力を得る為に、ここを訪れ聖人達の霊的偉大さ、イエスの為に充ち溢れた成聖と潔白とを黙想して、そこに保安させられた宝に、恭しき尊敬の念を払うのである。

◆第55号 昭和6年(1931)7月8日

 尊きシンドネに写された イエズスの御顔
―無限の憧れを感ずるその御姿―

シンドネに現れている種々な痕跡について

尊きシンドネ -それはイエズス・キリストの御体を包んだ布である。
そして、昔から、イタリア皇室の所有するところのものである。
イタリア皇室の祖先が、サボヤ国にあった頃、シンドネは長い間シャンベリ市に保存されてあったが、後、トリノ市に移管されたのであった。
シンドネは、亜麻布である。長さ4m36cm、幅1m10cm。ところどころに種々な
意味の痕跡が表れている。痕跡の一部のものは、シャンベリ市に保管されてあった当時起こった火災による。火災は1532年12月4日の夜の出来事であった。
聖堂は焼けたが、シンドネは幸いにも難をまぬがれたのであった。
その他の痕跡は、イエズス・キリストの葬式の際、注がれた香油、特に、アロエによるものであって、主の御体の写しである。

御体の写しが語るところ

この写しよりしてイエズスの葬式の模様を考えることができる。すなわち、床に広げられたこの布の一方の上に、御足を端にして御体が置かれ、他の一方が、御体の上に曲げ覆われたのである。よって左側が、御体の右側をあらわす。黒ずんだ紅色の丸い小斑が、集まって御体の形をつくっている。黒ずんだ紅色の小斑―それは凝血である。

それは、あたかも人体の解剖図である。
布上の左右 ニ個の人体の写しは、両方のつり合い全く自然である。
これによって見ると、主の御苦難と御死去が明瞭に解ってくる。
即ち、主が受けたもうた侮辱、殴打(鼻部の腫れ、右頬の腫れ、左頬骨の打撲傷)、
茨の冠によってできた頭の傷、左手の傷、足の傷、十字架の重量による左肩の腫れ、
その他の鞭打ちの跡など、歴然と表れている。傷跡は、体中に散在しているが、特に、背中のものが明瞭に現れている。ローマ人は、木片の先に、木または金属の小玉を多くつけた紐を結び付け、鞭打ちにこれを使用したのであった。十字架につけるとき、手の平に釘が打たれると、考えるのが一般であるがシンドネにおける左手の御傷をみると、釘打たれたのは、手首であることが明瞭である。ローマ人は、多くの人々を十字架につけた経験上、それが最も良い方法であることを知っていたのである。
シンドネにおける写しは、陰画である。しかも、しかも、その御顔はきちんとはかかれていない。端にいくほど、かすかになっている。もっともよく描かれているのは、脇腹、左手、足の傷および御血の全ての痕跡である。
そして鞭打ちの後も、立派に見えていて、実に感激の極みである。
これを見る、我らの目は、直ぐイエズスのお顔を求めるのであるが、汗のかたまり、両肩の上に落ちる長い髪、顎鬚、鼻髭、鼻、血まみれの顔等をみても、形は一見、変わっていて、真実のものとも思はれない。
ところが、1898年、シンドネが公い拝観を許された時、これを写真にとってみたら、種板には、立派な主の真の御姿が見られたのであった。

イエズスの御顔
現像された写真原版には、均衡のとれた明るい美しい、しかも強い人間の姿があらわれた。
はっきりした境界こそみえないが、もし、目を細めて精神を集中し、主の御事のみを考え、落ち着いて、あまり明るくないところでこれを眺めれば、深き考えに浸らざるをえない。
即ち、これこそ、主の御顔の真の写真であるからである。
御顔の上の血の白斑は、茨を思い起こさしめる。セム族型の鼻は、強くうたれて腫れ、御顔左右の打撲傷、血と汗とで固まった髪等が見える。
我らの感激に堪えないことは、聖父の聖旨にあきらめて、静かい苦しみ給うこと、柔和なる悲しさ、温和の中にも表れている権威などである。御目はつぶられていいるが死の感じを与えてはいない。今より目覚めんとする者である。
世に無数の画家ありとしても、その筆を到底これに真似すべくもない。
荘厳な御顔よりは、神聖の光がはなたれている。これは実に、死したまうたイエズス・キリストの真姿である。

◆第56号 昭和6年(1931)7月24日

 アクシオ カトリカとキリスト信者の扶助なる聖マリア

我が日本においても、東京大司教閣下の掲げられた旗じるしの下に、公教運動を目下組織中であるが、イタリアにおける該運動の某機関雑誌上に、霊父メザ師は左の如く述べている。

「キリスト信者の扶助」という聖マリアに対する美しい称号の勝利ある歴史について、私は考える。

すなわち、17・19の両世紀におけるトルコ人の反逆に際し、聖マリアは、キリスト信者に、勝利を得さしめたまうた。
また、彼のナポレオンの瀆聖的行為に対して、教皇および全教会を立派に守りたもうたのであった。故に、「キリスト信者の扶助」なる尊称の下に、尊敬されるのは当然のことであると思う。

フランスにおける永い蟄居から救われたピオ7世が、後、キリスト信者の扶助なる聖マリアの祝日を定めたのである。

また、福者ドン・ボスコが、サレジオ会本部の大聖堂に付するこの名称をもってしたのも、偶然のことではない。

ドン・ボスコは、何事を為すにも思慮深き人であった。ことマリアに関するとき、彼は充分の考慮を為したことは、言を要さざるところである。福者が、この名称に大聖堂をささげたとき、彼は多くの反対を受けねばならなかった。彼の保護者および、援助者のあるもの達は、その名称があまりにも信心深きものだと言って反対した。
しかし、ドン・ボスコは、自分の行為に対して責任を持ち、けっして屈することがなかった。サレジオ会が生まれた当時は、非難の時代でもあり、また、教会に敵対する者の勢いが盛んな時代でもあった。こうした関係からして自然その困難な場合を切り抜けて、勝利を期すると言う意味から、自分の事業と子等との母とも頼む聖母にすがろうと望み「キリスト信者の扶助」という尊称を選んだのであった。
この名称は、サレジオ会事業の発展と共に、全世界に知られるようになった。よつて、この「キリスト信者の扶助」なる名称を、アクシオ カトリカに冠するのは、聖マリアに特別の信心を表す意味からして、最も相応しいことであると思う。
聖マリアに特別の信心を表す意味からして、最も相応しいことであると思う。
これ、久しき以前から、我が心に秘めていた一つの望みであった。
そして、今ここに、聖母とアクシオ カトリカとの関係について語る好機に、我が希望をも発表したいと思うのである。

今日は、昔のような十字軍の時代、またはトルコ人と野蛮的な戦争を交えた時代ではない。
サラセン族や、アラビア人の暴虐時代ではない。今日の敵は、巧妙なる手段によって人心を惑わし我らの信仰をかく乱しようとする社会的魔の手である。今や、世の思想は、かつてなかった程、人間的な罪悪の一切に満たされている。
各国の為政者を悩ましているものは、実にこの良風美俗を破壊する恐ろしい悪魔の手である。
これ、キリスト教主義に反する文化であって、この毒素的思想は、新聞、雑誌、書籍、芝居、活動写真、その他あらゆる方法を通じて、至るところに侵入している。

我らは、この恐るべき敵に対して、不断の闘いを宣言しなければならない。
我らのアクシオ・カトリカこそは、地上における最上主権者の意図によってなり、
その指導をうけて、組織されたものであって、いかに困難と目せられる戦闘に対しても、
既に、準備なれりと言ってよろしい。
即ち、天主の軍隊の王たるキリストの大軍がなす、行動は、世と人とに対する闘いをするのみならず、悪魔に対するそれでもある。
よって、昔からキリスト信者の持っている保護者を我らのこの運動の保護者となすのは、相応しいことではないでしょうか?
ここに、我らは叫ぶ「キリスト信者の扶助なる聖マリアよ、アクシオ カトリカを守り給え。」と。

ある日の問答

甲「今度、カトリックの大変良い読み物ができたそうだが何という本かね?」
乙「ああ、それはね、東京の日本カトリック新聞と、大分のドン・ボスコ社から出るカトリック講和集だろう。大変 評判は良いよ。」
甲「値段が高いだろう?」
乙「値段がまた、非常に安いのだ。カトリック新聞は、一年分 一円十銭でカトリック講和集は、一部たったの十銭、一年で、一円だ。
それに送料のも発行所持ちだ。
乙「そのカトリック講和集かね、これはカトリックのことを誰にでも、解りやすく書いてあるのだ」
甲「そうかい、それは良い本だ。僕も早速注文しよう。」
乙「そうしたまえ。実に、良い本だ。それに講和集の購読者には、ドン・ボスコ新聞を無償でもらえるのだよ。」
甲「発行所を教えてくれ」
乙「発行所は、大分市上紺屋町カトリック教会内 ドン・ボスコ社」

◆第57号 昭和6年(1931)8月24日

何をもって奉仕すべきか?

福者 ドン・ボスコの欲望の一つは印刷事業に対するものであった。
司祭になるや、直ちに彼はこの印刷事業を熱愛した。
福者のこの熱愛―。それは、悪の手に入ったなら恐ろしい武器となるこの事業を、善のものとしたいからであった。
そしてまた、善き印刷は、布教場を実質的に数千倍に拡大し、幾多の霊魂の救いに効果があるからであった。
印刷物は一団の思想を統一しうる故、これを信仰上に利することは最も必要であると福者は考えた。

福者はこの熱愛を実行された。彼いわく、「私は一つの印刷所―大きな印刷所を欲する。
そして、できれば、多数の印刷所をも希望する」と。

果たしてその生前、トリノ市、マルセイユ市、バルセロナ市、ブエノスアイレス市、パリ市、リエージュ市、リスボン市、ムニチ市等の幾多の都市に実現されたのであった。
これ等、印刷所は、どんな仕事をしたのか。
即ち、パンフレット、雑誌、書籍等々を世に送った。そして、その仕事の内容も多方面に渡っていた。
即ち、学問的のもの、興味中心本位のもの等などであった。
彼は、学校生徒が使用する教科書のカトリック化を必要として、大いにこの為に力をつくした。そして一般大衆にむかってはカトリックの講和集を与えた。この講和集の或るものは、現今でもなお、盛んに続刊されている。
印刷は実に、非常なる重大使命を帯びているものなる故、福者はこれに対して渾身の努力を払っても、飽きることを知らなかった。
夜もその時間の大部分は、机に向かって仕事に励んだ。
そして、翌朝直ちにその原稿を印刷所に回すほどであった。

強き武器である印刷に対するこの熱愛を、福者 ドン・ボスコは同志、後輩に継承した。
サレジオ協力者たる者は、必ずこの意に処さねばならない。
サレジオ協力者組合規則に「無宗教的印刷物に対抗するため、善良印刷物 即ち宗教に立脚したビラや善き書籍を、一般に配布し、特に良いと認める場合は、かくの如くして目指す家庭に喜びを与えるように努力せよ」とある。

ドン・ボスコの時代に、その頭をもたげ始めた悪徳印刷物は、現代に至って単に、無宗教的なるのみならず不道徳、反カトリック的の傾向を帯びてきた。

これ等に対抗して立つことはドン・ボスコの精神に組して働こうとするものの義務でなければならない。
諸君!我らは福者の名においてこの義務に対する諸君の尽力を乞うものである。

全て、現代人は読む。そして、何でも読む。読む人は、著者を信じる。
少なくとも読む人の八割は、盲目的にその書を信じる。即ち、世評を顧みず、批評もせず、
ただ活字に組まれてあることのみを持って信用してしまう。
諸君!考えよ!悪徳印刷刊行物が、予備知識なき人々の精神に如何に大なる惨害を与えるかを!
こうして悪徳印刷物は、青少年をして、邪道に目覚めしめるのである。

フランス文豪 アルフレッド・ミュッセは叫んだ。「童貞者の心は、深き深き器の如きものである。その中に、最初に汚水を投じて水を張るならば、たとえ、海の如く潮が流れるにしても、先の汚物は到底 取り去り得ない。
なぜならば、汚物は常に深き所のどん底にあるから」と。

こうした場合の唯一の医薬は、善良印刷物を以ってすることに在る。
幸いにも、善良印刷物は、今日、盛んに刊行されている。諸君!諸君は、あらゆる方法にて、善良印刷物を後援せよ!これ、布教上の一大方策である。
我が国において、未信者の印刷所よりカトリック書籍が、刊行されているのをみても、大いに意を強うするに足る。

また、諸君が既に承知の如く、去る七月一日から、日本カトリック新聞が、新陣容をしいて表れた。全日本信者は、大いにこれを喜ぶべきである。

また、ドン・ボスコ社においても、7月1日よりカトリック講和集の発行を開始した。
これ等を一般に広めれば広めるほど、多くの人々い救霊の道を教える機会をつくることになる。
諸君!今日の重大問題は、善良印刷物のそれである。
諸君がこぞって後援しなければならない理由もここにあるのである。

◆第58号 昭和6年(1931)9月24日

エフェゾ公会議 1500年記念

本年行われた種々の記念祭中、最も評判の高いのはエフェゾ公教会議1500年記念のそれである。
教皇ピオ11世 聖下の御思召しに従い、記念祭はローマで盛大に行われた。
今、その模様についてわがサレジオ協力者諸氏に、二、三述べたいと思う。

福者 ドン・ボスコは、エフェゾ公会議について記していわく、「公教会第三の公会議は、エフェゾの町で行われたものである。これは、聖マリアの公会議とも呼ばれている。
なぜなら、それは、聖マリアに捧げられた聖堂中にて開かれ、聖マリアが天主の本当の御母であることを信仰箇条と定められたからである。

この会議は、もともと、コンスタンチノープルの司教ネストリオの異端と冒瀆とを否定する為のものであった。善き牧者とならなかったネストリオ司教は、イエズス・キリストの中に二つのペルソナ 即ち天主の子たるみ言葉と人の子たるキリストなる二つのペルソナを考え、この異端を広めたのである。そして、聖マリアを天主の御母と言ってはならない、単にキリストの母と言わねばならないと、主張した。信者達は、この冒瀆をこの冒瀆をコンスタンティノ―プル大聖堂で、初めて耳にしたとき大いにこれを嫌って聖堂から逃げ出す程であった。
アレキサンドリアの大司教チリロは、これを聞いて大いに悲しみ、慈愛こもる書簡をネストリオに送ってその非をあらためさせようとこころみたが、既に驕慢のネストリアは、これを馬耳東風と受け流してしまったのである。
そこで、聖チリロは、教会の昔の習慣に従って、事柄の全てを教皇に訴え、教皇の権において、罪悪の広まらざるようひたすら願ったのであった。教皇は、事件を調査してネストリオの教えの誤りを知り、かつそれが、教会の教えに反するものであることを見いだしたので、先ず、ネストリオを諭した。そして、改めざれば破門しなければならないことまでも宣告した。しかし、全ては無駄に終わった。柔和なる教皇は、ネストリオに対して最後の戒めを与えた。即ち、これエフェゾ公会議である。

西暦431年6月22日、エフェゾ公会議は開催され、およそ200名の司教の出席のうちに、ネストリオの異端は否定され、イエズス・キリストのペルソナ天主の第二位であることを信仰箇条に挙げ、そして、童貞聖マリアが実際、天主の御母であることをも、信仰箇条とした。
右の事実は、信者全てに、非常な喜びを与えた。公会議に出席した者達は、この記念としてめでたし・・・の第二の分の文章をつくり、聖母マリアを天主の御母として誉めまつるべき心優しい方法を、信者達に持たせたのである」と。

この1500年記念を去る五月、ローマにて盛大に行ったのである。
種々なる催し中、屈指のものは12使徒の大聖堂で開かれたマリアの大会であった。
会は、教皇ピオ11世の書簡と枢機官チセリッテルの講演を以って開かれた。
この大会の問題は左の三つであった。

1、 カトリック教義における天主の母たる聖マリア
2、 カトリック儀式における聖マリア
3、 カトリック布教における聖マリア

大会の終わりに、盛大な行列があって、聖マリアの古い御絵は、ローマの都を通った。
ローマの市民達は、感激の涙を持って天主の御母にして我らの母である聖マリアに感謝を表した。

―金祝の喜びを迎える―

サレジオ会 会長 
ドン・リナルディ霊父

全世界のサレジオ会 会員ならびにその協力者が、歓喜を迎える祝典―それは、来たる10月に行われる本会 会長ドン・リナルディ霊父の司祭 金祝である。

既に、祝辞も続々と集まりつつある。そして、多くの協力者は、ドン・ボスコの事業の為に寄付をも捧げてきている。我らは一致協力の中に、祈りをもってこの金祝が立派に行われるように心がけよう。
ドン・リナルディ霊父は、あらゆる場合より観察してみてもその努力を以ってサレジオ会を一層隆盛させたことは、事実である。そして、その、種々なる仕事は、天主の恵みとサレジオ会協力者の援助によってできたのである。

◆第59号 昭和6年(1931)10月24日

性教育について 聖座より発せられた

指令の価値

近年、教育界に於いて、盛んに論争される性教育の問題について、聖座裁判は、1931年3月21日、荘厳なる指令を以って、それに対する聖会の態度を示した。
即ち、公然にして直接的な性教育法は、許されるべきものではなく、これによって実行する人は、とがめられるべきであることを表示している。

今、ここに、この指令について、2、3述べてみたいと思う。
さて、指令には次の如くである。

青少年教育において、採るべき方法は、今日まで公教会とその聖者とが採ってきたところのものに、絶対的にしたがわなければならない。
少年少女には、何よりもまず、円満にして堅固たる不断の宗教(カトリック)的教育を施さなければならない。
殊に、彼らをして、天使的な徳(潔白)を、尊ぶようにして、愛するように、間断なく次の如く進めなければならない。即ち 辛抱して祈りを続けること。しばしば悔悛と聖体との両秘蹟を受けること。潔白の母なる童貞マリアに対し、心からなる信心を起こし、これ
に絶対に頼ること。危険な読み物、見せ物、悪徳の人と交える会話、罪のあらゆる便り等を注意して避けること、等である。よって、性教育につき、公然にして直接的な方法を広めるべく、最近種々のことが書かれているが、それは決して許されるべきものではない。

右に依ってみるとき、公然にして直接的なる性教育に対する聖座の否定は、明らかに妥当である。
攻めるべき敵陣が、堅固なら攻略の成功の唯一の方法は、間接的にその敵陣を攻囲するにあると同様、感覚に対する戦いにおいても、直接法は用いられるべきではない。そしてまた、それは恐ろしき絶壁にも譬えられるものであるから、その深さを計ろうとして、淵からうかがうのみにてしても、確実に墜落の危険に近寄ることである。
熱烈にして堅固なる不断の宗教的教要を与えるべく、罪悪の危険なる便りを速やかに完全にさけるべく教育の全力がつくされなければならない。

感覚と、交える戦いには、逃亡者すなわち勝者なりと言う、昔の格言は、今日もなおその絶対価値をそのままに存している。しかも、之に関するカトリック的警戒は、最も完全にして安全なる防備である。

たとえ、受難の時代を迎えても、聖会が厳として抱く真のキリスト教的の教育精神は、その必要とする予防的にして賢明なる勧告を、決して廃棄するものではない。
母たるものは、用心をもって教育者たるものは賢明なる注意をもって、良き方法と良き場合とを考え、その勧告を施すがよい。

特に、司祭が悔悛の秘蹟を授ける際に関して、これをなすのが良い。
青少年教育に関する回勅によると、右の勧告は、教育を施す責任あるものによってなされ、しかも、公教会が採った昔ながらの方法に従って為すべきであることがわかる。
高名な某教育家が、貞節について講演した際に、もちうるべき用心と題して、左の通り述べた。

罪を避けさせる為に、度々のべなければならないことは、貞節に関する罪悪の誘いになびけばなびくほど、我々人は、我々人のいやしさを増大させ罪の大きさを増していく、と云うことである。そこで、善き父たるものは、この不潔なる問題について、子供に話さなければならない時でも、充分なる警戒をもって、些小のものであっても世に多くの堕落を一つ一つ積み重ねていく、このおそろしい罪悪を、子供に悟らせないよう完全なる努力を払うべき重大な責任がある。
それは、燃えあがって後、愚かにも火を消さんと試みるより、心にこの火を起こさせない為にするのである。心に、この火をおこさせないようにするのである。また、この問題
について、子供と長い話しをしてはならない。
貞節を尊重し、悪習慣を真に嫌う程に、厳重な予備教育を施された子供が、やがて成長し、物事をよくわきまえるに至った時、善き父たる者は、子供に貞節を益々尊重せしめるために、青年の大敵である不潔の問題についてその幾分かを話し解き明かしえるようになるのである。

カトリック信者たる父母および教育者諸氏よ、右のことをよく考え、天主よりその教育を任せられた己が子女の教育を為すに当たっては、右に従って遺漏なきようにするのは、その重大なる責任であることを自覚されたいのである。

◆第60号 昭和6年(1931)11月24日

サレジオ会 宣教師の

外国人宣教出発式

サレジオ会の本部、イタリア トリノ市におけるキリスト信者のたすけなる聖マリア大聖堂に於いて、毎年、11月の頃、外国宣教に向かう会員達の為に、感激に充ち満つ出発式が行われる。
今より、56年前、すなわち1875年、福者ドン・ボスコの司会によって、初めてこの聖式が行われたのである。その時、出発する宣教師は、わずかに十名を数えたのみであったが、それから年々に増加してきて、本年 すなわち1931年には、130余名の会員が、この聖式に祝福されたのである。(キリスト信者の扶助なる聖マリアの童貞会会員は加算せず)

しかして、本年は130余名が、アジア、アフリカ、アメリカへと渡って行くのであるが、
我が日本へは、神父二名、神学生五名、修道士1名に、童貞三名が加わってくるのである。

現在、イタリア、イギリス、スペインに宣教師養成の学校が、計八つ存在するから、宣教師数は、必然的に年々増えてくるのである。

吾がサレジオ会の男女協力者諸氏は、右の事実を心から喜び、天主に感謝を捧げなければならない。
宣教師達の為に、また、彼らが既設のあるいは、計画中の諸事業の為に、必要な費用を計算するとき、その膨大な金額に驚かない者はいないであろう。
福者ドン・ボスコは死に先だって言った。「サレジオ会の事業は、常に協力者の援助を必要
としている」と。
また、ドン・ボスコの後継者 ドン・ルアはサレジオ会協力者に書を寄せていわく「私はまず第一に天主と聖母マリアとにたのみ、次いで、慈善を施そうとする人々の寛大と慈悲との心に頼みよっている。
しかし、どうして我らが必要とする膨大な金員を集めえるのであろうか。
即ち協力―これこそ一つの大きな力ある。
貧しき人々よ。諸君も適当な寄付をしてください。富豪の資本家よ!諸君も今までに勝る一層の寄付を献げてください。こうして、集まった滴が川となり、海となる如く、諸君より集まり来る大量の寄付は、やがて、諸々の事業の為に必要なる資金となるのである」と言っている。

サレジオ会協力者諸氏よ!諸氏がすべて、右のことを好意をもって了解あらんことを!
しかしてその志の幾分かを天主の事業の為にささげられんことを!
現在、サレジオ会は、日本においても、種々の事業を行い、また、計画中であるが、諸氏の協力は、天主の聖寵についで、重大な役割を演じている。
再びドン・ルアの言を借りると「天主は、何事をも見たまう。愛をもって捧げるならば、よしそれが一杯の水であろうとも、立派に報い給うのである。かくて、諸氏がなす、慈悲と寛大とも、しかるべく報いられてゆくのである。即ち、現世に於いては、聖寵、家庭平和、事業の成功、健康等により、又、来世においては、永遠の褒賞により、諸氏は報いられているのである。
「与えよ、さらば与えられん。しかして押入れ押入れ溢れるまでに、汝らの懐に入れられん」(ルカ・6・37)
これは、天主自らのお約束である故、天主は必ず、その言を守り給うのである。
全能なる天主は、我らの報い給うべき方法をば、無限に蔵し給うのである。

我ら信者も、布教を援ける 義務と責任がある

主は、使徒達に向かってのたもうた。
「汝等、全世界に往きて、全ての被造物に福音をのべよ」と。

諸君、諸君は、真のキリスト信者である。「往きて、福音を述べよ」というキリストの命令は、当然諸君の上にも及んでいくものである。

諸君が、肉親を捧げて宣教師に従って行くことが出来ないならば、祈りと物質的の援助とをもって、宣教師に付き従うべきである。物質的援助は、小なる者であってもかまはない。
ただ、心よりこれをすることである。
主は、使徒達に向かって言った。
「汝等、全世界に往きて、全ての被造物に福音を述べよ」と。

諸君、諸君は、真のキリスト信者である。「往きて、福音を述べよ」。
というキリストの命令は、当然、諸君の上にも及んで行く者である。

諸君が、肉親を捧げて宣教師につきしたがうべきである。
物質的援助は、小なる者ものであってもかまわない。ただ、心よりこれをすることである。
主は、また、のたもうた。
「使徒において援ける人は、使徒における報いを受ける」と。
諸君、布教事業の後援、援助はいかに大きな恵みを得ることが出来るであろうか。
それは、到底人間の言葉で表されない。
諸君の霊魂、肉体、家族の為に!また、現在、将来の為にも!

病人に施される十字架の道行きの免償

十字架の道行をする人は、実に、多くの免償を得ることができるが、病気の為に、それが出来ない人は
教皇クレメンス14世紀の定めたもうた条件に従い、主祷分、天使祝詞、栄唱を各、20度唱えれば良い。この条件にも従いかねる病人は、現教皇ピオ11世の旨に従い、免償を得させようとする司祭、或いは一般人が、祝福された十字架を本人に見せ、本人がただ、愛と痛恨とをもって、その十字架に接吻するか、或いは見るだけで十字架に接吻するかは
見るだけで、十字架の道行きに相当する全ての免償を、病人は得ることができる。

病人を看護する人々は、その病人の右の免償を幾度も幾度も得させるように、務めなければならない。

◆第61号 昭和6年(1931)12月24日

サレジオ会総長

ドン・リナルディ逝く

我らサレジオ協力者の父、サレジオ会総長 ドン・リナルディは、去る12月5日、76年の尊い努力の生涯を終って、帰天した。

近く彼の聖職の金祝典を行わんがために、喜び勇んで準備をなしつつその日を待っていたことは、本紙の報道によって皆さんの既にご承知の通りであった。
ドン・リナルディは1856年、イタリア ピエモント州のル村に生まれた。
ル村は古くから、数多の聖職者を生んだことことによって、幸福な村であるが、彼の両親もまた、熱心な信者であった。
そして、幼きドン・リナルディに立派なカトリック教育を与えた。

ドン・リナルディが、福者ドン・ボスコの知遇を得て、サレジオ会に入会したのは彼が20才の時であったが、その時より、彼の賢明、信心、その徳は殊に優れていた。

25才にして彼は司祭の位についた。
その日の、ドン・リナルディの喜びと希望のいかばかり大きかったことよ!

ちょうど、その当時、福者 ドン・ボスコは自分の創意になる各種の事業の組織中であったが、その一つに青年達を司祭に養成する事業を始めた。
そして、特にドン・リナルディを起用してその経営をあたらしめた。

ドン・リナルディを起用して、その時より既に、彼の天才を表した。
当時、トリノにおいてサレジオ会の総会が行われドン・リナルディは、ドン・ボスコの望みに従ってそれに参加した。彼は、この会議においてもその優秀な才能を認められた。
後年に至り彼はスペインおよびポルトガルにおける最初のサレジオ会区長として赴任した。
彼がこの両国のサレジオ会を発展させたことは、勿論であった。

遂に選ばれて、トリノに迎えられ、ドン・ボスコの後を継いでサレジオ会の総長に就任し、会の発展の為に専心努力した。
彼の最も力を尽くした事は、福者ドン・ボスコの父的精神を生かして行くことで、子女の教育における福者の理想―予防教育を尊重し、これが普及に力を尽くすことであった。

ドン・リナルディは、組織的才能に豊かに恵まれていた。会長としての彼の下に、会員の数はますます増加し、キリスト信者の扶助なる聖マリア童貞会もまた、大いに発展した。

彼は、なお進んでサレジオ会協力者および、サレジオ学校卒業者を統一し、組織化し、持って国際的団体としてつくりあげた。

なお、彼の彼の功績として特記すべきことは、宣教師ら聖職者の養成機関として八個の神学校を新たに開設し、多数の聖職者を世に送りだしたことがそれである。
申し遅れたが、トリノに立っている福者ドン・ボスコの銅像は、実に彼 ドン・リナルディの努力の結果である。
ドン・リナルディは、この永き努力の生涯を終って帰天した。我らサレジオ協力者は彼のために祈らなければならない。
と、同時に、彼の善き指導によって益々発展したサレジオ会の事業が、今後我らの一致協力によっていよいよその盛大を加え、その天にある霊に答えなければならないであろう。

◆第62号 昭和7年(1932)1月24日

サレジオ協力者の精神

この一月29日は、聖フランシスコ・サレジオの祝日であるが全世界にわたっているサレジオ協力者はこの祝日を期して集会を行う慣例になっている。

我が日本においてもサレジオ協力者のかような集会の出来る日が、一日も早く来ることを祈るのであるが、今ここにサレジオ協力者の精神について、一言申し上げたいと思う。

福者ドン・ボスコは自らサレジオ協力者について次の通りに言っている。
「サレジオ協力者というのは、サレジオ会の精神に従って特別に愛の事業に務める者との意味である。

サレジオ協力者の精神に就いて一言申し上げたいと思う。
福者 ドン・ボスコは、自らサレジオ協力者について次の通りに言っている。

「サレジオ権力者というのは、サレジオ会の精神にしたがって特別に愛の事情に務める者との意味である。

この組合は、信心会ではない。また、修道会や、学術の教会の様なものではない。
サレジオ協力者は、単に人類愛のために働く者の団体で、実行をもって人を助けようとするのである。
故に、これは社会および道徳の向上の為の実行的方法である。
道徳の為―ということこそ我々の望みと目的を表している言葉である。

「我々は政治に関係しない。そして我々の決議は何時も、次の通りでなければならない。
「人々よ、貧しくいやしき子供、世に認められず見捨てられた哀れな子供の世話を、我々の手に委ねよ。我々は、彼ら子供等に対して我々の最善を尽くすであろう」。
しかして、これを如実に実行しえるならば我々は社会および道徳への貢献者なりと言ってよかろうと思う」と。

右の言葉を考えてみると、サレジオ協力者とは、熱心なカトリック信者であるということができるであろう。サレジオ協力者は、修道院等にあって特別な生活を立てているものではない。それが、男子にしても、女子にしても、めいめいその家庭のうちにあって日常の暮らしを送りながら福者ドン・ボスコの精神にしたがって愛の業に励むのである。
とりわけ青少年のカトリック教育に努力する平信者を言うのである。

現教皇ピオ11世陛下は、不断にアクシオ・カトリカを命じたまう。
サレジオ協力者は、実に、教皇陛下の御旨を果たす団体である。

この組合は、その創立の当初より歴代教皇の大きな奨励をうけ、多くの贖宥を与えられている。故に組合員は多大な霊的利益をこうむることが、出来るのである。

福者ドン・ボスコはその帰天の前に次の様に述べている。
「教皇の事業なる協力者の事業は、冷淡の状態にある多くの信者を目覚めさせ、愛の勢力を分配するために設立されているのである。故にこの組合こそは、教皇陛下の述べたまいしごとく、現代にとって最もぬきんでて適切な事業である。
それは、しかしながら、この事業は只一人の人間によって行われるものではない。これを行ったものは、ドン・ボスコではない。サレジオ協力者を用いたまう天主の御手である。
―皆さん、只今のみなさんのお言葉に従えば、サレジオ協力者の事業は、万人の歓迎を受けているのである。私は、それに付け加えて申し上げよう。この事業は、全世界にわたる全カトリック教会に弘まるであろう。そして、サレジオ協力者、すなわち真実のカトリック信者なり、と言い得る日が来るであろう。これは、私のユートピアであろうか?
それは、どうでも良い。教会が迫害されればされるほど、協力者の讃仰を得るであろう。
不信仰者が横行すればするほど、サレジオ協力者は、ますますその信仰の輝かしき光明を掲げるであろう」と。

このような精神によって生まれたサレジオ協力者の会員は、彼ら各自の属している教会においては、常に最も熱心なる信者であり、司教、教区長、司祭の信頼を得て、その地方の布教の上に、立派な影響を与えているのである。

皆さまの中に、もしまだサレジオ協力者となっておいでのない方は、一日も早く入会して、
天主の御栄えのために、お励み下さらんことを、切に望む次第である。
そして、また、本組合の精神を他の人々に伝えてもって多くの人々をして本会に入会しえるように御導きあらんことを祈るのである。

◆第63号 昭和7年(1932)2月24日

後れた召しだし

1. 対象となり得ない者
おくれた召しだしは、出世の出来ない者、無知のため行きようのない者、家庭に無用な青年等を対象とする者ではないのである。
また、変な信心を持つ者、交際をしらない者、偏屈者などを対象とするのではない。
世間に活動の出来ない者、不決断にして、自分の処世方針を定めえない者等を対象とするものでもない。

なおまた、智恵のおくれた者、ヒステリックな者、身体に重大な欠点を有する者等を対象とするものではない。
しかしてまた、労働を嫌い避け、食物のみを求めているもの、自分の家族に利益を得させるために、聖職者になろうとする者、社会的な尊位・高位を追及する者等を対象とするものでもない。

2、対象となりえる者―それは、何者か?
  いかなる者といえど、彼らは天主の御声を聞いたものである。また、天主の御声は既 
  に聞いたが、しばらくの間、ある務めがこれを防いでいた者である。
  もしくは、知らないもの、あるいは肉欲に引きずられてしばらくの間、その声にしたがわなかった者を対象とするのである。
  しかして彼らは、はっきりした性質の青年、約束通りに行う青年、指導をよく受ける青年等であるべきである。

一般の場合、それは16才から、27才までの青年であり、せめても智恵の発達は一般であって、己が失った時間と智恵の乏しさ、また、その道徳的、物質的の不足をあがなう志しを有する青年を対象とする。
  もしくは、適当な痛悔や償い、謙遜、絶えざる立ち帰りの志を持つ青年を対象とするのである。
賢明、正しい目的、天主の御栄と、霊魂の救霊とに、燃える青年こそを対象とするのである。

三、 重大にして大切なもの

彼らの召しだしこそ最も寛大、正確、有益なものでありえる。それは、左の如き聖人を作った例がある。

聖フランシスコ・サレジオ
彼は無垢な若い時代を過ごし、博士号を受けて後に司祭になることを決定した。
聖フランシスコ・アシジオ
数年間、不真面目な世間的生活を、過ごした後、自分を天主に捧げた。
聖イグナシオ
軍人になった後に、天主の御声を聞いた。
聖フランシスコ・ザベリオ
パリ大学を卒業する時、宣教師になることを定めた。
聖アルフォンソ・ザベリオ
聖アウグスチス
聖パウロ
これらの聖人も遅く天主の御声を聞いた。

四、その修養
適当な、瞬間を選ばねばならない。
人は、好意をもって天主よりの声に耳を貸し、これに従わねばならない。
天主がその御声を聞かせるために、用いたまう方法は、無数である。
よく、調べるべき事は、不意な不確実な熱心か、それとも天主の強き御声よりする熱心かをきわめなければ、ならない。その試練のために、苦業と謙遜とは、最も適当なものである。
彼らを、彼らのために、設けられている場所に出さねばならない。
即ちそれは普通の秩序や、時間割より以上、彼らの年齢と、意志による修養の所である。
かような、青年は、信心、勉強、秩序等のためには大人のように扱わねばならない。

五. 後れた召しだしの為になる、サレジオ会

サレジオ会は、後れた召しだしの為に非常に有益なものである。
なぜならば、天主の為になるサレジオ会の働きは静的、動的の両者を交えているからである。即ち、後れた召しだしは大抵今まで、労働に従事していたものを対象とするのである。
今、ここで勉強をやり始めようとする者にとって、この生活は最も相応しいのである。

サレジオ会は、その召しだしに関しての経済問題を重大視しない。即ち、貧しきものの為には、勉学上必要とする金銭をあまり、重大視しないのである。
サレジオ会は、、後れた召しだしのために、適当な規則と時間割とを、有している。
サレジオ会は、後れた召しだしを大切にして、これを特に、歓迎する。
福者 ドン・ボスコは、右の召しだしをその心の楽しみとして、それがために、大いに働いた。皆さんは、こんな召しだしを有している青年、大人を見つけるならば、どうか、天主の為、彼らにサレジオ会へ入るようお勧めください。

◆第64号 昭和7年(1932)3月24日

福者 ドン・ボスコとパウロの聖チエンショ会

本年は、パウロの聖ビンチェンショ会の百年記念にあたるので、教皇陛下の聖旨に従い、同会を益々盛んに世に広める為、各地信者は熱心に務めている。
さて、我がサレジオ協力者は、同会を重大視し、これに入会し、これを世に喧伝すべき義務に等しきものを持っている。なぜならば、我らの福者ドン・ボスコは、同会初期における熱心なるその会の宣伝者であったからである。

パウロの聖ビンチエンショ会の設立は、1833年 フランス パリにおいてであった。
その最初の会員は8名の大学生であって、会長は、フレデリック・オザナムであった。
同会は、短月日の間に、フランスの各地方に広まり、1846年にイタリアにわたり、ここにおいて、福者ドン・ボスコの勧めによって(特に北イタリアで)急速の隆盛を見るに至った。

同会の主義精神には、優秀なる教育力が深く潜んでいたので、福者ドン・ボスコは、己がオラトリオ内に、その一つを設立し、ドン・ルアを会長に、サレジオ会初期の長上達をその会員としたのであった。

同会の目的は、設立者オザナムの言によって、鮮明にされている。即ち、オザナムは、聖ビンチェンショ会についていわく、「或る人が、カトリックは死んでいると言った。顧みるに、我ら青年を見る時、この寒心すべきことは、必ずしも無根ではない。
カトリック信者と言われる我らは、何も行ってはいない、と御互いに言い得る」と。そこで、彼らは、天主に、最も適うことを為し始めた。
イエズス・キリストが行いたもうた通りに他人を救うこと、しかして信仰を愛徳の影の下におくこと、すなわちこれである。
オザナム曰く、「我らの真の目的は、貧乏人を援助することではない。我ら自身を純白なカトリック信者となし、博愛によってこれを人々の中に、広めることである」と。
この言葉は、実に賢明なものである。
福者 ドン・ボスコは、それを利用して、サレジオ協力者組合とサレジオ会 会則との冒頭に「他人に対して、愛徳を尽くすことをもって、完全に至るべく励むべし」と書いている。

福者 ドン・ボスコは、自分のオラトリオ内に、その一つを設立し、ドン・ルアを会長に、
サレジオ会初期の長上達をその会員としたのであった。

同会の目的は、設立者オザナムの言によって明らかにされている。
すなわち、オザナムは、聖ビンチェンショ会に就いていわく「ある人が、カトリックは死んでいる、と言った。かえりみるに、我ら青年達を見る時、この寒心すべき言葉は、必ずしも無根ではない。カトリック信者と言われる我らは、何もおこなっていないと、お互いに言い得る」と。そこで、彼らは、天主に最も適うことを為し始めた。
イエズス・キリストが行い給うた通りに、他人を救うこと、しかして信仰を愛徳の影の下におくこと、すなわちこれである。

オザナム曰く、「我らの真の目的は、貧乏人を援助することではない。我ら自身を純白な
カトリック信者となし、博愛によってこれを人々の中に広めることである。」と。

この言葉や、実に賢明なるものである。
福者ドン・ボスコは、それを利用してサレジオ協力者組合と、サレジオ会 会則との冒頭に「他人に対して愛徳をつくすことをもって(方法)、完全に至るべく励むべし(目的)」と書いている。

福者ドン・ボスコは、自ら立てた聖ビンチエンショの一つの会について、1860年の通り語った。

私は、ベルガモ市で、聖ビンチェンショ会を立てる為に、その市の司教の所に同居していた。会の設立にあたって種々な難問題が続出する・・・。
私は、司教に「この市に、良い青年が二人いないでしょうか」と尋ねると、司教は「それは易いことです。二人ばかりではありません。沢山お目にかけることができます」と答えた。私は、喜んだ。そして「そうでしたか、それでは、最早、成功したようなものです。
今晩でもよいです。それらの青年を、お宅に集めて頂けませぬでしょうか。すぐ会を始めたいのです。
その晩、18名の青年が、司教館に集まった。私は、彼らに、己が霊魂に対する善業の偉大なることを説き、彼らに勇気を付け加えた。また、他人のはばかりをすてること。我らに褒賞を与えるものは、世間ではなく、天主様であること、その天主さまは、一つの善業の偉大なることを説き、彼らに勇気をつけ加えた。
また、他人のはばかりをすてること、我らに褒賞を与えるものは世間ではなく、天主様であること、その天主様は一つの善業に対して、この世では百倍の報いを、来世では永遠の命を与えたまうことを考えるがよい、と勧めた。

皆一同、非常に喜んだ。そして、翌晩、委員選出の為に、再び集まることを約束した。
果たして、翌晩、一同は再び会合して、ここにめでたく最初の集会が開催したのであった。

福者の話の中には、聖ビンチェンショ会を立てる方法が、教えられてある。皆さんも同会に入会してください。もし、皆さんの所に同会がないならば、一つを立ててみなさい。
福者 ドン・ボスコの心算もここにある。
皆さんは、ドン・ボスコの精神に従って働くことを希望しているのであるから、その通り行わなければならない。

皆さんは、福者 ドン・ボスコが、サレジオ協力者にあてた最後の書簡を御存じでしょう。
「・・・・皆さんの慈愛によって、愛徳の事業は盛んになっていきます。」と書いてある。

オザナムも、愛徳についての手紙を書いた。それは、イタリアのある神父に宛てたものである。

信心深い善き父母を失ったあと、私が信仰をよく保ち得たことにつき、感謝すべきは天主様と、次いで聖ビンチエンショ会とである。

故に私は、この会を深く愛し、心のそこからこれに一致しているのです。
しかも、その善き種が生えたのを見て、何より嬉しく感じます。

なお、この会は、多くの青年を徳の道に立たせ、支持し、その心の中に非常に熱を燃やし始めたことは、私の目撃したところであります。神父様、貴方の学校には、金持ちの青年が多くあるそうですが、弱き心を強めるためには、彼らに貧乏人を見せること、即ち 御絵、御像をもってによらず、貧乏人をもって彼らにイエズス・キリストとその御傷をみせることは、いかに有益な教訓であるでしょう!

貴族の中には、弱く、虚栄心強く無人格の者が如何に多いことでしょう。それは、彼らへの教育が不十分であったからである。即ち彼らには、多くのことが教えられてありましたが、重大なあるものが、そこからかけていました。しかも、彼らは、その重大な或るものの名前のみ知るだけなのです。それは、苦しむこと、貧乏なると、物の必要なることであります。

◆第65号 昭和7年(1932)4月24日

三つの愛

昨年、福者ドン・ボスコの祝日は、4月26日と定められて以来、この日は、我らサレジオ会員ならびに、サレジオ協力者にとって重大な意義あるものとなった。
我らは、こぞってこの日を、盛大に祝うべきであるが、その為には、只 言葉のみをもってしては、足りない。すなわち、行いをもってせねばならない。その、おこない。-それは福者の御徳にならうことである。
さて、福者 ドン・ボスコの生涯と事業はほとんど三つの愛によっている。その三つの愛とは、聖体、聖母、教皇の三つに対する愛である。
勿論、この三つの尊きものは、各信者もまた、持たねばならないが、ドン・ボスコがその事業を創立したころは、我がカトリック教会は、最大の困難な時期に遭遇していたので、この三つの愛の観念を、信者の中に、深める必要が大いにあった。

その三つの愛とは、実際、カトリック教会の特有のものであり、同時にカトリック教会迫害の的になるものである。
教会初代から、この三つの聖きものは、大切にされたところのものであって、カトリックを放れた世の悪意の信者は、皆、聖きものを棄てて行ったものに他ならない。
ドン・ボスコが、その事業を始めた時、北イタリアにはプロテスタントのバルド派が、非常な勢いを為していた。

プロテスタント それは聖体も有せず、聖母マリアも尊敬せず、教皇をも認めない反抗団体である。

聖体、聖母、教皇の聖き三つのものは、カトリックの土台を為すものである故、これによらずして真のキリスト教は存在し得ぬのである。

聖体を持たないならば、生命の御主をもたないことになる。聖体の無いキリスト教信者は、死の宗教に属し、生命を得ないのである。(ヨハネ第6章)

聖母マリアを尊敬しないことは、すなわち神の聖旨を軽んずることである。
なぜならば、神は、その一人子の母として、聖マリアをお選びになり、これに聖寵を充ち満たせたもうたゆえ、聖マリアは造り主のご傑作であられる。
そこで、これを認めないと神の御業を認めないことなる故、神を軽視するところとなるのである。
教皇をみとめないならば、即ちキリストの聖教を棄てたことになる。なぜならば、キリストはその教会を、聖ペトロと聖ペトロの後継者なる教皇の上に建てたもうたからである。

我らカトリック信者は、必ずこの三つの聖きものを重大視して、これに熱愛をもたねばならない。
福者 ドン・ボスコは、この三つの愛に対して不断の火を燃やし、しかしてこの熱を他人に、特に子供にもたせるべく、一生涯の間、驚嘆すべき努力を払ったのであった。

福者ドン・ボスコは、聖体拝領の使徒と言われている。当時、聖体拝領は、今日の如く、これをしばしば為す者がなかった。ドン・ボスコは、この悪い傾向を破らんとして、常に、しばしば聖体拝領をするよう勧めたのであった。
良き準備があるならば、毎日でも聖体を拝領せよと不断に教えていた。これこそ、真の教会の教えである。

また、ドン・ボスコは聖母に対して、如何に深い信心を持っていたか。それは、諸君の既に知れるところである。

彼の事業の背後には、常に聖母マリアのお姿が現れてくる。かのキリスト信者のたすけなる聖マリアは、一般にドン・ボスコのマドンナ(聖母)と言われている程である。
ドン・ボスコは、その子らに、常にこの信心を勧めた。この信心の結果は、ドン・ボスコ伝の各ページに見えている。

教皇に対するドン・ボスコの尊敬はいかほどのものであったか。それは到底筆舌では尽くされない。また、この尊敬を子供に持たせるために、あらゆる手段方法を用いた。
一例をあげると、ドン・ボスコは、その子供に度々運動会を行わせた。そして、彼らを整列させて、各組を組ませて、Vipa Pio IX!(ピオ9世万歳)の文字を形づくらせるのであった。また、「パパ様の為に祈らなければ、なりません」と度々、子供に繰り返して聞かせた。
ドン・ボスコの心の中に深く入っているこの三つの愛に対する確実な証拠は、未だ他にある。すなわち、福者がものがたったある不思議な夢ものがたり中に明らかに見ることができる。
彼は海に舟を見た。海は荒れていたので、船は今にも沈まんばかりであった。でも、その船の両端には、二本の柱が立っていて、船は、その丈夫な柱にしっかりと結ばれてあった。

柱の一本には聖体、一本には聖母マリアのお姿が見えていた。舟の船頭には、教皇が乗っておられた。こうした具合であったので、いかに波が高くなっても、また、船がいかに動揺しても、決して沈没することがなかった。故に、この船の中の人々は、皆救われ、それ以外の者は、皆 おぼれ死んでいった。

海は世間、船はカトリック教会である。我がカトリック教会は、聖体、聖母、教皇の三つの聖きものによっているので、いかに迫害をこうむるとも決して滅びることがない。

我ら信者は、真のカトリック信者であるために、この三つの愛をいつまでも心の中に持続するように心がけねばならないのである。

◆第66号 昭和7年(1932)5月24日

イエズスの聖心に対する

信心の真相

愛のシンボルであって、我らの裏に最も懐かしき感情をおこさせ、信者の霊魂を励まし、もって信心の香りを豊かに漂わせるもの。それは、至聖なるイエズスの聖心に対する信心であります。

いかなる時代の聖人でも、この信心を知り、かつ守ったのでありました。しかも、主 イエズス・キリストは、近代 最も明らかにそれを、お顕しになりました故、我らは、天主を我が父とし、かつ、我が友として讃美し愛して、しかして仕えたてまつることをもって、信者の中に、キリストの真の精神をを目覚めさせ、完全なものとすること。
これこそこの信心の有する格別の性質であると申さなければなりません。
聖書に「天主は、愛なり」(ヨハネ4―8)とあります。
そこで、聖アウグスチノは、「愛にもとずかずして、天主を崇拝することはできない。」といっています。
みこころに対する信心、それは実に愛に対する崇拝であります。
なぜならば、この信心によって無限の愛を我らにこうむらせたまう天主が見え、我らは御心をもって天主に相応しき愛を捧げえるからです。
カトリックの起源から、最も害毒を流した異端のうちに、ヤンセニズムを数えることができます。この異端者は、「我らの父」とよばれるよう思し召し給う天主に背き、人心をつかむのに恐怖を用いました。彼らによると、イエズス・キリストにおいて、カルワリオ山上で、人と天主との結びとなった愛は、破壊されなければなりません。
天主の子は、奴隷にならねば、ならなくなります。
即ち、新約の特徴となる、愛の精神は、旧約の特徴であった恐怖の精神とかわらねばならないのです。
主、イエズス・キリストは、その愛の神秘が理解されず、かつ汚されるのを見たまい、己が心臓に記されるその御心を人に示し給い「見よ、なんじらもし、我が言葉を信じなければならない。せめて、なんじの目を信ぜよ、我はなんじを愛していることを証明するために、なんじの兄弟となり、なんじの苦しみの友となりました。
しかも、なんじは未だ我をうたがう。どうか、我が心を見よ。これをよく見よ。
そして、我がいかになんじのために、愛に燃えているかを察せよ。
人間よ、なんじの救い主を知れ。そして、共の柔和を疑うてはならぬ」とのたまう如くであります。
聖心の信者に対して、始め多くの反対者がありましたが、恵みの太陽にたとえられる聖心の光明は、これを取り巻く雲霧につきさせして全く消散させてしまいました。即ち、教会が異端を否定して、この信心を認可したのみならず、大いに信者に勧めたのであります。
ところで、ヤンセニズムの恐怖の精神が、全くきえさったとはいえません。
即ち、人々の中には、天主への愛よりも、天主を恐れることを大にするものがあります。
およそ信者にして、失望、冷淡等に堕する者は、その原因はここにあるのであります。
また、カトリック宗教を、難しきもの、窮屈なもの、面倒であるとの観念を抱く人々も、同様な訳によるのであります。

イエズスの聖心に対する信心は、こうした病弊に対するもっとも有力な薬であります。
この信心は、なぐさめ与える力と、信頼であるところの聖寵を、霊魂の中に、打ちこみしかしてこれに愛の精神を持たせるべきものであります。
愛は、霊魂を喜ばせ、なぐさめ、徳を最も望ましきものとなすものであります。
無宗教の時代とも言うべき現代においては、この信心によってイエズス・キリストの愛に充ちた心の人を作るべきであります。
こうした心を持つ人々は、イエズスより与えられる愛に対し、己が愛をもってこれに報い、
忘恩者達がなす悲しむべき業を償いていく人々であります。
実に、イエズス・キリストの御希望は、ここに在るのであります。
みこころに対する信心をつくすために採るべき方法は種々あります。
月の始めの金曜を、聖心日として、つとめることも一方法であります。
みこころの月なる六月が近づいてきました。
我らは、教会の指図に従ってこの月を立派に務めるよう致さなければなりません。
さて、我らサレジオ協力者は、特にこの信心を大切にすべきであります。
なぜなら、福者 ドン・ボスコが、ここにおいて立派な手本を我らに残して行ったからであります。
福者は、その晩年、教皇陛下のみ旨に従い、万苦をしのんでイエズスの聖心に捧げた壮麗な聖堂をローマに建てたのです。
聖心の信心会が、福者の建てたこの聖堂に創立されて何人でもその会員となることが出来るのです。
日本におけるサレジオ会は、この信心会より委任を受けて、日本におけるサレジオ会は、この信心会により委任をうけて、日本におけるサレジオ会は、この信心会より委任を受けて、日本における会員希望者を取り次ぎをしております。
どうぞ、皆さんもこの会に加入されますよう、そして霊魂上の多くの利益を蒙られますように深くお勧めいたします。

◆第67号 昭和7年(1932)6月24日

一周年を迎えて

出版印刷の事業は、もろ刃の剣に例えられる。これをよく用いれば社会の幸福増進の扶助となり、これをよく用いれば社会の幸福増進となり、これを悪しき方に用いれば、暗黒の滅亡へと導く。印刷所の発達普及した今日においては、特にその影響がはなはだしい。

ひるがえって日本の出版界の現状を見る時に、世の救済となるべき善き出版物は極めて少なく、人生を暗黒へ導くところ悪徳印刷物は実に洪水の如く世を覆っているのである。
実に恐ろしきことである。
イエス・キリストがおっしゃったごとく、昔も今も闇の子は、光の子よりも世の中には幅を利かしているのである。
これについては、我々 日本のカトリック信者にも、大きな責任がある。
現教皇陛下のお言葉に「悪を防ぎ善を勧めるために良き印刷物の発達、普及を図ることは、使徒的の愛の事業であるカトリック印刷事業の使命である。・・・今日、印刷出版は、社会の諸勢力中の一大勢力である。故に、それは、社会・教会にとってもっとも恐るべき害毒を流す勢力ともなり得るし、最も有益な勢力ともなり得るのである。しかし、いかに善き印刷物も、これを読まなければ何の役にもたたない。
諸氏は、家庭においては勿論、その他如何なる所においても勿論、その他如何なる所においては善き印刷物に親しむようにしなければならない。
我らの子供達は、カトリックの印刷物―パンフレット・書籍・新聞の配布をするだけでも立派な仕事である」とある。

皆さま、我がドン・ボスコ社は、良き印刷物をひろめるために種々の犠牲を払っている。その中、「カトリック講和集」が発行されるようになってから、丁度 一周年を迎えることになった。小児も生まれて一年経てば、歩むのである。
この可愛い小冊子が、愛読者の皆さまを訪れて、いささかでも皆さまの慰安となり、光明となり、力となったであろうことを思って、我々はその労を忘れ、それとともに、責任の重大であることを感じ、一層の努力をもってこの講和集を改善し、皆さまのよりよき友として送りたいと思う。それについては、愛読者の皆さまに、一層の御援助を乞わなければならない。殊に、私どもは「カトリック講和集」の読者である皆さまに向かってお願いしたいのでありますが、それは我々のこの布教事業の後援者となっていただきたいことであります。後援者となっていただきたいことであります。
皆さまは、皆さまが購読者となると共に、何とぞまた、他の購読者をご紹介していただきたいのです。そして、公教家庭には、もれなくこの講和集を入れたいと思うのです。

カトリック的、著述を弘めることのいかに大切であるか、福者ドン・ボスコはこれについて次のように言っている。

民間に広める善良な書籍は、霊魂のうらに救い主の御国を保たせる為の一つの有益な方法である。一カトリック書籍の中に在る思考、主義、道徳等は、聖書と使徒伝来より取った眼目である。悪風と不道徳とは、イエズス・キリストの群れにおいて、彼らを虐殺し、また無経験なるものと不従順なる者とを滅亡へ導かんとしている。
この時に、あたって良き書物の普及はいよいよ必要である。
・・・・良き書物の普及はいよいよ必要である。・・・良本は司祭の入ることの出来ない家にも入る。そして、また、悪い人であっても、記念としてもらった良い本は、それを捨てることがない。よい本は、人目に懸かることを遠慮しない。見捨てられても、怒らない。
読まれるときは穏やかに真理を考えさせる。
侮辱されても不満は言わない。そして、彼らにあるときは、悔恨の情を残し、ある時は真理を求める望みを起こさせるのである。
良い本は、往々にほこりをあびて、本箱の中におかれたままになっている。
誰も、これを思う人がいない。ところが、淋しい時、うっとおしい時、苦しみのある時、世に嫌悪の情を催すとき、なぐさめの必要ある時、未来が憂慮される時が来た時、この忠実な友は、ほこりをはらわれて、彼らの目に触れ、そして、聖アウグスチノ、福者コロンビノ、聖イグナシオのそれのような改心を行わせる。
良い本は、人をはばかる人に対し、親切にして彼に近づき、少しも恐れずして、種々なことを彼に考えさせる。よき人と同じく彼らに親しみ彼らの相手となってくれる。
良い本によって救われ、過ちよりまぬがれ、道徳へ導かれた霊魂のいかに多いことであろう。良い本を人に与えるものは、それにより、読者をして天主に関する一つの思いだけ思いおこさせただけでも、天国のために計られない程、大きな功徳をしたことになる。

なおまた、一家庭の中に送られた良い本は、もしそれが与えらたその人に読まれないにしても、息子か、娘か友達か隣人かが、いつかはそれを読むのである。それ、只 天主のみ、
良い本の行う善を充分に知り給うのである。

サレジオ協力者なる皆さま、よい印刷物を弘めることは一切のカトリック信者の大きな義務である。とりわけ、我々のごとく福者ドン・ボスコの精神に従って活動している者は、なお一層の責任の大なるを感ずるのでる。
よく言われていることであるが、聖パウロが、今、現に生きているならば、彼はきっと印刷物をもって布教するだろうと私も思うのでる。
読者である皆さまよ、我々は共に天国をめざして、悪魔との戦いに勝利の光栄を確信し、
一層の奮発を誓って皆さまのご後援をお願いする次第であります。

◆第69号 昭和7年(1932)8月24日

感謝の心

感謝の徳を、深く強く有することは、およそ聖人の一特質である。
ドン・ボスコにおけるこの徳は、実にたぐいない程に、偉大なものであった。

今、ここにその実例2、3を挙げてもって我々の刺激となろう。
福者ドン・ボスコは、いかなる小さな親切を与えられても、その感じは極めて敏であった。
彼、福者に道を教える子供、火をともすしもべ、水の一杯を与える何人も、皆等しく彼から丁寧にも優しく感謝されるのである。
また、彼に寄付した人、彼を妨害より救った人、或いは有力者に彼、または彼の子を紹介した人等 皆等しく福者より忘れられないのであった。何か珍しい土産を贈られていると、彼は先ずその恩人を思い、これらを与えるのであった。
そして、その人々に教皇様からの種々の祝福を得させるのであった。
かつ、また子供の心に感謝の念をおこさせる為、毎日恩人の為に祈らすのであった。
或る朝、ミサを立てようとした時、一人の神父を呼び寄せて「今日、私は二 、三年前私共に恩を与えて下さったワレンガ霊父のためにミサを立てる積りです」と言った。
この思いたるや、何と優しくも美しきものである!
我らは、度々多忙のため、受けた恩をしらずしらず忘れることがある。
ドン・ボスコは、かえってそれを忘れないように細心の注意を払った。

これについて、一美談がある。
ドン・ボスコが中学時代、キエリ町にあって非常な難儀をなめたことがある。
その時、ヴィランシャルと言う友から時々パンを貰ったのであった。
これについて、ヴィラシャルは、老後自ら左の如く物語っている。

「ドン・ボスコは、私を決して忘れていませんでした。そして、決して恥じることなく、私が昔、彼になしたことを人々に紹介するのでした。私の方は、ドン・ボスコをすっかり忘れていた位です。無論、道で会っても私にはわかりませんし、こんな具合ですから、今になって考えて見れば、めいめいもう、忘れ合うのが普通のことです。
ところがある日、私は多くの神父に囲まれたドン・ボスコに街でであいました。
彼は私を見るや、私のそばに来て、

―やあ!ヴランシャル君、お元気ですか?
私は、ヨハネ・ボスコです。

―ああ、そうでした。閣下!ありがとうございます。
―どうして、私を閣下とお呼びですか?
 どうぞ、友達としてあつかってください。
 私はいつも一介のドン・ボスコです。特別な名前など、持ちませんよ。

―私は困ってしまいました。実際ドン・ボスコが大人物になっていることは評判で聞いていましたが、こんな路上で再会するとは夢にも思はなかったのですから、全く面喰ってしまったのです。
その時、ドン・ボスコは、
―私は中学生の時、度々貴方から食物を恵んでもらいました。未だによく覚えていますよ。
貴方は天主様の御摂理で、貧しきドン・ボスコへの最初の恩人の一人となりました。
皆さん、この方が私の最初の恩人の一人です。私の貧しい若かりしころ、私を助けた恩人です。と、一同に紹介してくれました。
そして、
―トリノにおいでの節は、是非よってください。
と堅く握手して、別れて行きました)と。
その後、十年経って、ヴィランシャルは、ドン・ボスコの病を聞いて、急ぎトリノへと行った。オラトリオに着き、門番に申し込んだが、「今日は御面会ができません」と断られた。
「では、ドン・ボスコはご不在なのですか」
「ご在宅です。けれど、具合が少々悪いですから御面会できないでしょう」
「ご病気であっても差し支えない。私は、どうしてもお会いするのです」
といい張って、ヴィランシャルは、ついにドン・ボスコの部屋近くまでやってきた。部屋の前でもまた、中々入室を許さない係員が居た。この係に一生懸命お願いしていると、部屋の扉は自然に開きそこから、ドン・ボスコが現れた。

ドン・ボスコはヴランシャルは、ついにドン・ボスコの部屋近くまでやってきた。部屋の前でも、またなかなか入室を許さない係人がいた。この係に一生懸命お願いしていると、部屋の扉はひとりでに開き、そこからドン・ボスコが現れた。ドン・ボスコはヴィランシャルの声を聞いて、困難にも歩を運んで来たのであった。
そして、手をとって側に腰をおろさせ、種々なつかしい有難い会話が行われた。
「初めて知りあったときを考えれば、それはもうずいぶん昔ですね。しかし、私は若い時受けた御恩はけっして忘れてはいません。
私はいつも君のために祈ってます。どうぞ、君も私のために祈ってください。」と言った。
やがて、ヴランシャルがお暇しようとすると、ドン・ボスコは、オラトリオの長上をよび、「今日は、お昼に食堂で私の席へヴィランシャル君を座らせてください」とねがった。
何たる麗しき愛の実現であろう。

◆第70号 昭和7年(1932)9月24日

潔白なる霊魂の特性

潔白なる霊魂に及ぶべき美しきものは、この世に断じてあり得ない。
もし、我らがこれを了解し得るならば、潔白を失うことなど到底できないはずである。
潔白な霊魂は、物質上からも、世俗のことからも、また、自己からも全く自由に開放させられている。
聖人達は、自己の肉体を厳格に扱い、必要以上のものは決して取らざるよう、寸時の油断もしなかった。
(例えば、休憩時間は人並以下、食事は命をつなぐに必要なだけ、そして美食はさける)

見よ、霊魂は肉体が制欲をもって失うとこのものを、徳として獲得し、肉体が欲の奴隷と
なって獲得するところのものを徳より失ってゆくのを!

潔白は、天より来る。我らは、これを天主に願わねばならない。願って我がものと為し得るこの潔白の徳を天主より得たならば、これを失わざるように充分の注意をしなければならない。そこで、我らが決心すべきは、よく心の門を閉めて、傲慢、肉欲その他の欲望を入れざるようになすべきことである。

潔白な霊魂を託された守護の天使の喜びやいかに!諸君よ!天国は潔白なる霊魂をうれしき微笑みの中に、眺めているのである。

潔白なる霊魂達は、天国においては、我が主の側の最も近き所に座を占めるでありましょう。地上において、潔白であればあるほど、天国においては、天主様に近く在る理由である。
人の心が、潔白であれば、愛することを止めることは、もう出来なくなります。
なぜなら、愛の源となる天主様を見いだしたからである。
「清い心の人々は、幸いである。彼らは天主を見奉るから」と主はのたまわれた。
みなさん!我らは、天主様の御前において、発揮される潔白なる霊魂の力をば、到底さとることはできない。天主様は、実に、その霊魂に欲するところを、充分に満たし給うのである。世にも稀なる潔白なる霊魂の所有者のモーゼを見よ!天主様は、ヘブライ民族を罰しようとしたときに、モーゼに向かい、「汝、我に祈るなかれ。それは、我、我が怒りをこの人民に向かって表さなければならない故なり」とのたもうた。しかし、モーゼは祈った。
そして、その民を救うたのであった。即ち、天主様は、モーゼのうるわしき霊魂の祈りをば、聞き入れざるを得なかったのである。

ああ、愛する諸君よ!呪うべき罪におかされざる霊魂は、憐れみ深き天主様によって、その望む何者をも満たされるのである。

潔白を守るために、およそ三つのことが必要である。1、天主の我が前にましますことを思うこと。2、祈祷。3、秘蹟拝領のこと。の三つである。また、霊魂にとって滋養剤なるよき、読書も大なる効果をもたらすのである。

霊魂―それは、何と美しきものであろう!天主はある日、聖カタリナは言った。「もし、私が、天主はただ一つということを知らなかったならば、示された美しき霊魂を天主であると信じたことでしょう」と。太陽が水に映るごとく、天主の御姿は清き霊魂に映り給うのである。
潔白なる霊魂は、天主の三位を感心される程である。
即ち、父は、御自分の御業を眺めたまい、見よ、我が作りしものを!
とのたまう。聖子は、その御血の価値を、その霊魂の中に見たまう。そして潔白を得る為に要した犠牲の程度にしたがい、共にその美しさを悟りたまう。

聖霊はその霊魂をご自分の聖堂として、これに住み給う。
また、我らは、悪魔が我らの霊魂を滅すべく努力している力を見る時、我らの霊魂の価値のいかんに大なるかをさとり得る。地獄は、霊魂を滅すべく力をあわせて一致する。
天国は、霊魂を滅すべく力をあわせて一致する。
天国は、霊魂を救うべく、力をあわせて一致する。天国は、霊魂を救うべく力をあわせて一致する。・・・・実に偉大なものは、霊魂なるかな。
我らは、自己の権威を重んじる為に、度々、天国、カルワリオ、地獄を思い出さなければならない。我らが、天主の子」たる意味を充分に悟るならば、到底 罪などを犯し得るものではない。返って地上における、天使のようになるはずである。
「天主の子」であることは、実に美しい権威であることよ。

如何に小さな心をもってしても、天主様を愛する為に、その心を持ちいえる人は、実に美しい。よし、天主に高められたことありとしても、汚れた罪の中に落ち込むことは、本当に恥ずべき限りである。

天主様は、人をつくり、その肉親を養うために、我らが今見るこの小さき世をつくり給うたのである。ところで、この世にある霊魂を養う必要起こってきたが、造られたものの中で、その目的にそうものがなかったので、天主様は、自ら世の霊魂たちの栄養分となり給うたのである。
我らが、砂漠である現世を渡る時、この神的栄養をとるに怠るもののあるのは、災いである。山海の珍味の側に在って飢え死にする人の如く、人々の中には、長い年月の間、自分の霊魂に栄養を与えぬものが多々ある。
「なんじ、貧しいにもかかわらず、私は私のために造ったこの美しい霊魂を、近くに見たいのである。我は、それを大いにつくりし故に、我のみ彼に足り得るのである。
我は、それを清く造ったゆえに、我のみその養分になり得る。」
と天主様が彼らに向かって叫ばれた御声を、信者が知り得るならば・・・。
天主様は、潔白なる霊魂を、常に特別に扱い給う。
聖ヨハネは、主より最も愛され、主の御胸の上に住みえた。
聖カタリナは、潔白なる故に、度々天国をみた。
しかも、その死に際して、天使らは、その身体を、モーゼが十戒を受けたシナイ山に持って上った。潔白の人の身体は、天使らによって葬られるほど、天主様は、その潔白なる霊魂に向かって表す愛を、我らに示したもうた。
天主様は、好んで潔白なる霊魂を見下し、その霊魂が願う何事も与えたまう。
天主の為にのみ生き、天主の中にのみ生き、天主の中にのみ生きる霊魂の祈りを、どうして天主様が捨てたまうであろうか?
その霊魂が天主を求めれば、天主は直ちに現れ、叫べば直ちに答えたまう。
この霊魂こそ、天主様と一つなるものである。
潔白なる霊魂は、我が主の御心の上に、全能である。
何とうるわしくも喜ばしき事よ!

イエス・キリストを愛せば即ち柔和も愛し得る

聖フランシスコ・サレジオは、柔和の聖人で、如何なる人をもその柔和の中に、抱擁した。
そして、最も頑固な罪人さえも、天主に向かって引きつけるのであった。
聖ヴィンチェンシオは、一大罪人を一人の神父に託し、「彼を改心させて・・・」と願った。
ところで、罪人は神父が何と言っても改まらない。
そこで、その神父は、聖ヴィンチェンシオに、加勢を頼むのを止むなきに至った。
難しと思いきや、聖人が口を開くと罪人は、直ちに改心した。
後日、その罪人は、聖人の柔和が私を得たのである、と告白した。
そこで聖人は、神父達に向かい、痛悔した罪人を荒々しく扱ってはならない。
厳しさ―それは悪魔が、人の魂を滅ぼすべく度々 用いる手段である、と戒めたのである。

人、場所、時の如何を問わず、柔和を守らねばならない。
聖ベルナルドの言う通り、人々の中には、万事が順調である間は、柔和であるが、何かあると直ちに火山のように怒りだすものがある。かくの如き人を灰の中に隠れた火に譬えることがある。聖人の道を歩こうと希望するものは、茨の中に香り高き百合のようでなければならない。
百合こそ、いかに棘に苛まれていても、常にふくいくの香りを漂わせて止まぬうるわしの花である。
天主を愛する霊魂は、常に心に柔和を保っている。そして、その平和は、相貌にも表れている。幸福や災いに支配されるなどの浅はかなものではない
なぜならば、彼は常に天主と共にあるから。
人の心は、逆境に際して真の姿を顕す。我らは、礼をしらない人と、付き合わなければならない時、柔和を失わざれるよう一層の注意を要する。柔和の一言よくを一言をよく激しい怒りをとくことがしばしばある。
我らは、憤怒の心おきるときは沈黙を守るが良い。なぜならば、こうした場合は何を言っても自己の言葉が正しいと誤り思うからである。
もしその場合、全てを言いきるならば、後で必ず後悔すべき何者かが表れる。

我らが、自ら欠点があった場合は、自己に対しても柔和を守らなければならない。
欠点に染まった自己に対して、立腹するのは謙遜にあらずして極度の傲慢である。我らは、自己のいやしさを認識しなければならない。聖テレジア曰く「人をして悩ませる謙遜は、天主より来たるものにあらず、実は悪魔よりくるものである」と。
我らが欠点に陥ったならば、ジェノワの聖カタリナの如く天主に向かって祈らなければならない。いわく、「主よ、これを我が畑にまいた我が作物である。我は、主を一心に愛したてまつる。我は、今後決して同じ種をまかないと決心したてまつる。主よ、願わくば、我に助力を与えたまえ」と。

◆第71号 昭和7年(1932)10月24日

救いを求める子供の群れ

渾身の力を注いで、布教線上に活躍する修道会中には、サレジオ会も加えられている。
サレジオ会は、実に、その勢力の大部分を、布教の為に費やしてしまうのである。
サレジオ会創設の為に、神より遣わされた者は、福者ドン・ボスコである。
ドン・ボスコは、若い時から外国宣教を非常にこのみ、何とかして、この事業に従事する修道会への入会を希望した。

ドン・ボスコは、新司祭となった時、トリノ教区の習慣に従って三か年のコンビット(神学専門学校)で学窓生活を送ることになった。
やがて、ここを卒業した彼ドン・ボスコは、おのが聖職上の身分を定めねばならないことになった。一層完全なる生活へと心をはせていたドン・ボスコは、指導霊父 福者 カハアソの意見を聞いた。
カハアソは勧めた、先ず聖イグニアシオの黙想会員に言って黙想するのがよい、と。

1884年の夏であった。ドン・ボスコは、かねてより希望である修道会入りを実現しようとしていたが、これについて、福者カハアソは、はっきりした何者をも言わなった。
己より賢明なる人の意見を用い、これに謙遜を持って従う人のみ味わうべき平和を、ドン・ボスコはよく知っていた。

さて、その後のある日、既に出発を決意したドン・ボスコは荷物片手に、福者カハソハを訪ねた。
―どこへ行かれますか?
―ピネロロ町へ・・・。そして、童貞マリア会へ入会したいのであります。
―貴方は、修道会いりの全ての望みをやめた方が良いです。
 青少年の為なる貴方の事業を今後も続けなければならないのです。神の思し召しはこれ以外にはないのです。
こうした話があったので、ドン・ボスコは、これに対して何も言わずにその日はそのまま帰った。しばらくして、福者カファソは、ドン・ボスコを呼びだした。
―修学を終えたあなたは、どこかで働かなければならない時期になっているが、何か特別の御希望は?
―神父さまの望みは私の望みです。
―今、三つの椅子が空いています。
 一つは副主任司祭、一つは神学校教授、一つはリアジオの病院長です。どれをお選びになりますか?
―神父様のお望みなさるところに従います。
―しかし、これより以上に心ひかれる希望はありませんか。
―私は、子供を世話したいと、言う希望はあります。
 けれど、神父様は私を私を自由に扱ってください。私は、神様の思し召しを神父様のお勧めにおいて見るつもりです。
―現在、貴方の心をとらえているものは?
―現在、私は多くの子供の間に在るような気持ちです。そして、子供の群れに私は救いを求めているようです。

この、ドン・ボスコの最後の言葉は彼の生涯の事業の一大方針をしめしている。
子供の群れは私に救いを求む・・・・・。

ドン・ボスコのこの言葉は、今日の我が日本においても、相応しいものではないだろうか?
サレジオ会は、ドン・ボスコの世継である。そして、我が日本の青少年を多数救わんと望むけれども、既にご承知の通り、サレジオ会の活動を一層さかんにするために、一般の慈善と援助とが一層拡大するのを必要とするのである。

ねがわくは、サレジオ会が一日も早く、救いを求める青少年の群れの声に応じられんことを!

◆第72号 昭和7年(1932)11月24日

めでたしの後に

1841年(今から91年前)、十二月八日、聖母の汚れなきおん宿りの大祝日の朝、福者ドン・ボスコは、トリノ市のアッシジの聖フランシスコの聖堂で御ミサを終え、香部屋に帰り、バルトロメオ・ガルレリと言う可憐な少年を呼び寄せて、さあ一緒にめでたしを唱えておけいこを始めましょうと言い、少年を自分の側においてひざまずき、熱心にめでたしを唱えました。そして、立ち上がり、教理について未だ全く未知であるこの少年に、十字架の印をすることから教えました。
少年バルトロメオ・ガレリオこそドン・ボスコのオラトリオおよびその素晴らしい事業の礎として、天主様より与えられたものでありました。
めでたしの不思議な功徳よ!
次の日曜日、その一人の少年が八人となり、次々と増えてゆきました。こうしてドン・ボスコは、天主より照らされ聖母マリアに導かれて、世界を驚かせたその大事業に着手したのでした。今日、ドン・ボスコの事業は、実に全世界にその網を張っています。
ドン・ボスコの事業あるところに太陽は没しません。世の果てからはてまで、ドン・ボスコのという声は、祝せられつつ、仰がれつつ唱えられております。
祝せられ、仰がれるわけは一体何にあるのでしょうか。それは、ドン・ボスコが立てたサレジオ会の目的を見ればわかります。曰く、「サレジオ会会員は、自らキリスト的完徳に達しようと励むとともに、年少者、特に、顧みられない貧しい青少年に対して如何なる慈善事業をも尽くすであろう」とあります。

顧みられない貧しい年少者!これぞ、救うべき社会の大切な部分であります。社会をあらためんとするならば、年少者よりはじめ、彼らに正しき教育を施してやらなければなりません。ドン・ボスコは、その賢明をもってこの必要をさとりました。そして、19世紀の誇りとされるほどの偉人となりました。
サレジオ会学院院則の冒頭に、次の事項が掲げられます。

1. 青少年時代は生涯の中で最も危険な時期であるから、青少年たちをその危険から救い、慈愛をもって彼らを導き人として道を誤らせないよう、学問と職業とを授け、宗教と道徳とに対する立派な精神を養わせる。これが、サレジオ会学院の目的である。
2. サレジオ会は、身分の上下や貴賎を問題とせず、如何なる青少年の世話もする。
しかし、もっとも、救済を必要とする者は、他からの世話をうけることができないでいる中流以下の子弟である。故に、本会はとくにこのようなもの達に好意をよせている。
3. 物質上の援助を受けることの出来ない青少年は、多い。しかして、彼らに対しては、如何なる訓練もほとんどその効果を望みえない程のものが少なくない。
即ち彼らの中には、相当の年齢には達しているが、親がいないとか、援助者がないとか、あるいは親はあっても親から援助をうけることができず、学問もなく、職業につく能力もないと言ったような人達である。もし、これらの青少年を収容して、職業、秩序、宗教等について、訓練を与えてくれる人がいない、とすれば彼らの将来は実にみじめなものとなる。
4. サレジオ会は、かかる青少年達の為に、主として都会に孤児院、日曜学校、その他各種の学校を設けて彼らを収容するのである。 

かくのごとく、年少者の教育事業に関して、顧みられざる貧しき青少年を中心とするサレジオ会が、広く一般の人々の援助を待たねばならないことは当然のことでありましょう。

故に、サレジオ会はドン・ボスコの指導に従って、不断に皆さまの御援助を願うのであります。
1841年、12月8日の朝の、めでたしからドン・ボスコの事業と共に、その権力者も起こったのでありました。
そして、ドン・ボスコの事業と共に、その協力者も起こったのでありました。
そして、ドン・ボスコの事業は、いかなる時も協力者の援助によって、栄えてゆきました。
日本の協力者の皆さま!日本にても、ドン・ボスコの事業が益々栄えますように、御援助を頂くようにお願いいたします。

◆第73号 昭和7年(1932)12月24日

聖フランシスコ・ザベリヨを祝う
大分県公会堂における早坂司教閣下の大講演会

聖フランシスコ・ザベリヨが、我が日本の布教の大恩人であることは、今さら申すまでもないところでありますが、特に九州における大分教会はこの聖人をその昔、神父さましてお迎えしてをもって、信者たちは親しくそのご指導をあずかったのですから、彼らにとっては、聖フランシスコ・ザベリオを祝うことは、殊更に意義深い事であります。

こうした理由からして、大分カトリック教会は、毎年、この聖人の祝日を他所より一層 盛大に行っているが、今年は、我らの司教 早坂閣下を迎えて大講演会を開催し、大分市民よ!昔の信仰の血流れる大分市民よ!と覚醒の大警鐘が与えられ相当の反響を呼び起こしたことは、我がカトリックにとって大いに喜ばねばならないことであります。

なお、当日は、例によってチマッティ教区長一行の音楽をこれに加えて、祝祭気分を盛り上げるたのも、我が教区独特の妙味でした。
ちなみに、早坂司教閣下には、当日、「思想国難に直面して」と題されて、およそ次のような意味のご講演をなされましたが、論旨実に明快、聞く者をして、ある時は深き谷底へ落ちていくかの如くに考えさせ、満堂声をひそめて、時折、万雷の拍手の音のみ湧きおこるのは愉快でした。

今日、我が日本が苦しんでいる思想国難は、一体その起因はどこにあるのでありましょうか?国難にも、目に見える国難、目に見えぬそれと両様ありますが、目に見える方は目に見える武器をもってこれにあたるべく、目に見えぬ方は、目に見えぬ武器をもってこれにあたらねばなりません。思想国難は、まさに目に見えぬ方のものである。
目に見えぬ我が日本の思想国難は、一体何処より来たったか?
それは、天主を忘れ、服従の美徳を捨て、社会階級の存在説を否定し、人生をこの世限りの、物質的見地の色眼鏡を通じて見るからであります。
しからば、これに至ったその原因は?と言えば、無論一顧の価値のないダ―ヴィニズムを、世間一般が金科玉条として、その思想根底に植えているからであります。
見よ!今もなお盛んに小中大の諸学校において、このダ―ヴィニズムが、堂々と学生・生徒児童に教えられているのでありませんか。

昔の日本美徳はいずこに!教科書からも、それが年々歳々脱落してゆくこの事実を、真に国を憂うる日本国民は、何と見ることでしょうか?人間、人生を物質的にみたところより、
目下の悪思想の原因はある!これを戦うには、まずその原因を廃さねばなりません。
その武器、それは、カトリックであります。天主の全治全能を絶対に信じ、その十戒を固く守り、しかして、現世の目的、来世の応報を信じ如何なるときでも、国民は、自分の頂く君主に絶対服従することを固く守らせられるカトリックそれであります。
思想困難の日本を救うべき、古い武士道、再び生まれよ、しかして往時の如く自尊心にもとずくものであってはなりません。目下の日本を救う古武士道の再生は、カトリックを通じてのみ待望されるべきものであります。

◆第74号 昭和8年(1933)1月24日

天主の愛のために

この度、宮崎県都城市、東京都荒川区三川島町とに、サレジオ会によって新たに教会が建てられ、布教に従事することになりましたことを、ここに皆さまにお知らせするのは、私の深い喜びとするところでございます。
とりわけ東京におけるそれは、東京大司教より、東京において布教のために働いてくれるようにと、特別な働いてくれるようにと特別なお招きによるものであって、日本の中心東京に、我が家サレジオ会の基礎を置き得るにいたりましたことを主の光栄のために、深く感謝し、一致協力、相はげまして大司教閣下の御希望に添うべく、天主の祝福が我らの事業の上に豊かならんことを、協力者の皆さまと共に、ひたすら祈らなければなりません。
また私は、この機会に私の希望を申し上げておきたい。
それは、サレジオ協力者にして、司祭たるべく遅れて召しだしを受けた人、即ち相当の年齢に達した人で、今から進んで聖職者となりたい志望のある人は、私または東京における
教会の主任司祭まで、御申し出でくださるようにお願いいたします。

皆さまよ、我がサレジオ会の総長は、全世界にわたる会員、生徒、協力者に向かって次のごとく祈ります。
「全ての人々が、イエズス様を知り、彼を愛するに至るために、天主の愛が我らの心を一致せしめたまわんことを―」と。

私は重ねて、皆さまにおすすめいたしたい。皆さまが、聖書の次の次の言葉を思い出し、神の愛のために、全てに堪え、希望と確信をもって一致協力主の道をすすまれることを!
「愛は堪忍し、情けあり、愛はねたまず、自慢せず、驕らず、非礼をなさず、己のためにはからず、怒らず、悪を負わせず、不義を喜ばず、そして真実を喜び、何事をも包み、何事も信じ、何事をも希望し、何事をも堪えるなり」(コリント前書13ノ4-8)

「至愛なるものよ、我らは相愛すべし、是相は神より出で、また、既に愛する人は神より生まれて神を知り奉るものなればなる」。

◆第75号 昭和8年(1933)2月24日

四旬節にあたっての私の願い

宮崎教区長

司祭 ヴィンセンチオ・チマッティ

聖会が、四旬節を定めたのは、我々が、イエス・キリストの四十日の断食にならい、受難後と死去を尊び、罪を償い、復活の準備を為さんが為であります。我が宮崎教区の我々は、
生命に伴う、物、名誉、財産、快楽これらはすべては、塵に等しい空なるもの、永遠の命こそ、唯一の真の宝であることを悟って、我が主の御苦しみに則って、罪を痛悔し、罪の償いをなし、祈りと善業をもって、見事な準備をおえて、主と共に復活を遂げることができるように致したいものであります。

特に、私はこの四旬節を迎えるにあたって、我が教区の全ての信者に向かって注意を喚起しておきたいこととがあります。

それは、この世における多くの貧しい人々の憐れむべき状態を思い、一致協力、及ぶ限りの方法を以って、彼らを救うために適当な慈善事業に共同することをいいます。
これは実に、我が教皇陛下の熱い思し召しであり、ピオ11世陛下の回勅に書き記されてあるように、祈りと寛大な施しと、苦行と、教皇陛下の熱い勧告を自ら力行していただくように、皆さまにおすすめいたします。わけても、我が教区には、寄る辺なき哀れな老人・孤児の救いのために宮崎救護院・カトリック出版界の為に将来、大いに働きたいと望んでいる青少年をカトリックの印刷技術者として養成している大分のドン・ボスコ印刷会館、及び、全てを捧げつくして日本人の救霊のために、雄々しく働こうとする聖職者の養成機関、高鍋及び中津の神学校があります。これら我々の経営は、実に志しある人々の熱心なる援助を大いに期待しております。
我が主 イエズス・キリストが我らを救うために、経験された苦しみを思い、かつまた、我ら自らの罪の償いと、霊魂の復活との為に、私は皆さんのご奮発を祈ってやみません。

ご復活を迎える準備

聖会は、年ごとに色々の祝いを信者に行わせるが、それは、信者の心の中にイエス様を生かし、その生活がイエス様と一つになるためである。これは、完全な信者となるべく誠に必要なことである。聖パウロは「我は生きるといえども、もはや我にあらず、キリストこそ我において生き給うなれ」(ガラテヤ書 2-20)といえるように、彼自身の中にはキリストが生き給うていた。そして、われら信者に対して、「我キリストに倣えるように、汝らも我に倣え」(コリント前書4-16)と勧めている。
聖パウロの勧め受け入れ、聖会の望みに応じてこの定められたところに従って霊魂のかてを摂取する様にしなければならない。
待降祭 第一主日から御公現最後の主日までが、クリスマスの期間で、ご復活の期間は、2月12日から始まる。
初代のキリスト信者は、心よりご復活の準備を完全にするため、断食、苦行をなし、40日間、あるいは70日間、時には夜を徹して聖堂で祈ったものである。
それは、イエス様の40日間の断食にならうためであった。聖会は、信者のこの慣習を証人して、四旬節の期間を定めた。イエス様が断食されたように、信者もまた断食し、イエス様が十字架上に死なれたように、信者は自分の罪のために自分を十字架につけ、イエス様が墓穴から復活されたように、信者は罪の生活から復活して、主と共に、新しい生命に生き得るように、これを定めたのである。
我らは、次に示す聖パウロの言葉に倣い、聖会の戒めをこの期間において果たしたいものである。「知らずや、イエス・キリストにおいて洗礼を授かった我らが、皆その(イエスの)
死に真似て洗礼をされたことを。けだし、我らはその死に倣うために洗礼をもって彼とともに葬られているのである。これ、キリストが父の光栄をもって死者の中より、復活なさったように、我らもまた新しき命に歩むためなり」(ローマ書 6-3-4)
聖会が、信者に向かってご復活の時の、告解をなし、聖体拝領をすることは、全て信者をして以上のことを全うするために他ならない。
初期の信者は、ご復活の祝いに洗礼を受けるのが常で、その儀式は、全身を水に浸したものであった。
これは、イエス様と共に、復活することを意味したのである。現代の信者は、洗礼は一度限りであるから、再び復活は出来ないように考えられるが、そこには秘蹟という有りがたい恩寵があって、これによって、聖パウロの言ったごとく復活することができる。
我らも今年のご復活の祝いを見事に迎え得るために、よき準備を今から致しましょう。

◆第75号 昭和8年(1933)3月24日

傑出するたとえ

―放蕩息子の改心―

今、ここにしるす譬えは、我が主 イエス・キリストの御口からでたものであって、ただ、福音史家 聖ルカのみがその福音第15章に記してあるのである。それは、実にいみじくも優れた感銘を我らの脳裏に憶えているものであって、改心する異邦人 聖ルカが、我らに真実の中に、最も価値の高いこの真実を伝え記してくれたことを、真心から永久に感謝しなければならない。

「或る人に二人の子供あり」とまずある。ある修道者が二人で、この最初の言葉について
語ったことがあったが、若い方の修道者が尋ねて言うには、

―霊父よ、私はこのたとえを読んで感激いたしますが、同時に何か欠けたところがあるように感じられます。
―と言うと・・・?
―この二人の子には、母がありませんね。
―母はもう死んでいたのでしょう。もし、母ありとするならば、この哀れむべき青年は、家を出奔しなかったでしょうから。・・・と語り合ったことがある。
 次に「次男なるもの父に向かい」とある。
 次男、すなわち一番経験に乏しい子供、ああ、若者よ、汝は若かったのだ。
人生の経験がなかったのだ。
「父よ、我らにあてられるべき分の財産を我に賜え」
モーゼの律法(申命記 21章17節)に従えば、弟は財産の三分の一が受けられるのであったが、この分け前を受けるには、父が既に死んだ後でなければならなかった。
「父は、子らに財産を分けり」
父は、神様をかたどるのである。
神は、人がもし物ごとをわきまえる年ごろになればこれに意志の自由を与えたまうのである。神が、我らに自由を与えたまうのは我らに悪をせよとであるか?
いや、神は我らの中に反逆(滅びへの道)の心の有りうべき事を知りたまうも、なお、
我らの服従(生命への道)を賞賛したまうのである。
「神は汝のまえに、火と水とを置きたまわれば、汝、右にするのも、左にするのも自由
である。されど、汝の目当てに立てるは、生命もしくは死である」(伝道書25章17節)

「しかして、幾日も経たないのに」
何故、これほど速やかに?それは、父の家の土地が、彼の青年の足を焼いていたから。
「次男は、一切をかき集めて、遠い国へ出立し」

これは、真に恐ろしい事件を証明している。田舎に住む金持ちの家の子である青年を見よ。そこにおいて彼は一切を持っているが、彼らは他の快楽を望むのである。
なぜなれば、田舎において身にカビの生える生活をすることをのぞまない。
彼らは、繁華な都市部の所有と、快楽とを試みたいのである。
両親から、あてがわれるパンの味は彼にとってあまりにも平凡すぎる。

次男も、この家庭の幸福を嫌がる青年であるから全ての悪習に染まった者の経験がしてみたいのである。
その、経験というのはすなわち、稲妻の様に過ぎ去る快楽とそれに続いて来たる苦しみの原因となるそれである。
「かのところにて、放蕩なる生活に財産を浪費した」
「悪習に染まった青年が、金銭を所有していてその使い道を明らかにする必要がないときこの青年の使った金は、常に汚れた不潔な方面へと流れたのである。
「既に一切を費やして後、この地方に大飢饉が起これば、彼もしばらく乏しくなり」。

ああ、何と深いシンボリズムよ。罪の後の心の不安、それと貧乏。
しかし、不安な心は聖寵を頂くために、まだ熟していない心である。
この状態にいる人は、試みと苦しみとによって心が耕される必要がある。
何故ならば、後悔の芽は 良く耕された魂にだけ芽生えて成長するのであるから。
「その地方のある人の許にいたりて、これに縋ったときに、その人これを自分の小作場にやって、ブタを養った」

彼の青年は、自由な生活を望んで居たが奴隷となった。繁華な都に憧れ田舎の父の家を嫌っていたが、再び再び豚の肉を食べることも禁じられ、そのうえ、ユダヤ人が特別に恥ずかしい職業としている豚の飼育をするために、自分のものでない他人の畑に追いやられているのである。快楽と、乱行とを求めて家を出て豚の番人となったのである。
たとえのこの部分は、世に日ごとにおこる事実である。
自分の価値を知らず生活する者は迷いの奴隷となる。
「こうして豚の食べる豆をもって、自分の腹を満たすのを望んでいる事、これを与える者は無い」・

果ては、立派な馳走の備えられて晩さんの望みが叶ったのではなくて、獣がたべるような食物、ききんの時に飢えたる人々が、食べる食事をもって、腹の痛みを和らげなければならないようになった。
憐れな背教者 ロアジは「これを与える者はない」と言うところを読んで、「誰も彼に食事を与えなかったので、彼はどうして生きていたか」と尋ねるのであるが、我々は答える、誰も彼に与えなかったので彼は盗んだのであると。
かくして、彼は窮迫と、罪のどん底に落ち込んだ。快楽を望んで飢えに会い、尊まれたいと欲したが豚の番人となり、自分の者で満足せず、いたずらに他に探し求めたが、同様に飢えている人々は、彼に遂に獣の食物を盗むほどまでになったのである。
かくて、父の家を恋うことがしきりである。
「やがて自ら省みて言ったことは、我が父の家には麦粉に飽きる養い人が、幾人かあるに、我はここにて餓死せんとする」

見よここに、改心の心理があらわれて来る。神を離れる者は自身から離れるもので、神に帰るのは、自分自身に帰る、即ち自ら帰りみるのである。

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